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ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第12話)レイ・ラニ・カイ

2008年12月07日 09時18分41秒 | 女子ガイコク人列伝
1957年1月23日生まれ、米国・ハワイ州オワフ島出身。170cm、75㎏ (得意技)ダイビング・ボディ・プレス、ダブルリスト・アームサルト
 本名はパトリシア・セイモアといい、ハワイをイメージしたリングネーム、レイ・ラニ・カイを名乗り、70年代後半から80年代にかけ最も日本マットに貢献した女子レスラーであることは誰も異存はあるまい。ハワイのらつ腕プロモーター、エド・フランシスに発掘され、ファビュラス・ムーラの元で鍛えられ75年に18歳でデビュー。その年には早くも国際プロレスに来日し、女子部の小畑千代、佐倉輝美らを相手に奮闘。着物姿にサンダルというコスチュームで登場し、妙に親近感を覚えたものだ。
 帰国後はポリネシアン・スタイルに変貌し、79年秋に開催された『日米対抗リーグ戦』に参加のため、全女に初めてやってきた。とにかく受身が上手く、オールラウンドのファイト・スタイルは、まるで女版ディック・マードックといった雰囲気。エネルギッシュでパワフルな動きは、小気味が良く大きなバンプは定評があった。全女の常連外国人として、ジョイス・グレーブル、ウエンディ・リヒター・ベルベット・マッキンタイヤー、デスピナ・マンタガスなどを帯同させ、プロレスを教えていたりもした。
 85年2月にはニューヨークのMSGで、ウエンディを破りWWF王座を奪取。日本とアメリカを往復する活躍を見せた。86年には挑戦5度目で、ようやくオール・パシフィック王者に君臨。長与千種を下したことで絶大な評価を受けたのだ。「レイ・ラニはとにかくバスの中でも急に怒り出すので大変だった」と千種は語っていたが、とにかく激情タイプ。むしゃくしゃすると、周囲に当り散らす我がままな性格だった。
 その後はジュディ・マーチンをパートナーに、グラマー・ガールズを結成し、日本からやって来たJBエンジェルスと全米中で抗争を繰り広げたのだ。WWF世界女子タッグのベルトをJBに奪われたが、日本で奪回。89年5月には『レッスル・マリンピアード’89』に来日。メドゥーサがエース格で来たことには面白くない様子だったが、これを機に全女マットからはお呼びが掛からなくなった。それはメドゥーサが全女と専属契約したため、他のアメリカ人が不要になったためだ。一時はキムドクこと、タイガー戸口と付き合っていて、よくキム・ドクTシャツを着ていた。
 94年にFMWに1度だか来日したが、往年のパワーは見られなかった。いまだに現役のようだが、最近ほとんど消息は聞かなくなった。私と同じ歳だけに、同世代の仲間という感じだったが、千種とのレトロマッチを見てみたいものだ…?

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