ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

カルマ

2011年05月27日 23時45分09秒 | 女子ガイコク人列伝

  サムライTVの仕事で久しぶりにスカパー本社に行ったが、いつも打ち合わせよりも雑談に花が咲く。終わった後に元全女で最後のプロデューサーだった松永正嗣君と玄関で立ち話。話題はWWEのRAWで颯爽とデビューしたカルマのこと。カルマとはあのアメージング・コングのWWEでのリングネームなのだ。J sportsでのWWE「RAW」中継を見ていると、カルマがセンセーショナルな姿を見せていた。今から9年前の2002年10月に、全女とGAEAの興行戦争が勃発した際になぜか私が全女の大会プロデューサーとなって登場させたキャラクターがアメージング・コングだったわけ。名前を私が考えたが、これはA・KONGというモチーフがあってのこと。「黒人で体が大きい選手を探してほしい」と要望を受け、新日本プロレスのロス道場まで行ったのが正嗣君だったのだ。そこで、相当な選手がおらず帰国しようとした矢先、道場で掃除をしていた黒人の女性に白羽の矢が立ったのは本当に偶然のこと。それから日本初登場で、堀田祐美子の噛ませ犬になるはずが、想定外の活躍を見せて彼女の人生が変わっていった。WWWA世界王者になり、全女が解散するとTNA、そしてROHを経てこのたびWWEに入ったというまるで絵に描いたようなサクセス・ストーリーを歩むことになったことは素晴らしい限りだと思う。

 初来日した早々に、確か馬込のファミレスで食事をした記憶があったが、遠慮しながら食べていた姿が懐かしい限り。この時は外国人通?の吉田万里子を誘ったが、おどおどしたアメコンがいた。正嗣君はアメコンのマネジャーとして日本におけるブレイクの道を歩ませた名プロデューサー。今でも連絡を取っているらしく、その関係は続いているとか。その昔、モンスター・リッパーがバーサ・フェイというリングネームで当時のWWFに入り世界王者に上り詰めたが、アメコンは第二のモンスターそのもの。いや、それ以上だ。日本帰りは出世するという昔のジンクスを実らせ、大物になったのは嬉しい。WWEに上がるということは世界がマーケットになるから、我々には想像がつかないことが沢山待ち受けることだろう。成功を祈るばかりである。


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