ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

女子ガイコク人列伝(第15話)ジャッキー・ウエスト

2008年12月11日 08時00分03秒 | 女子ガイコク人列伝
1957年7月14日生まれ、米国フロリダ州オデッサ出身。166cm、65kg (得意技)ブレーン・バスター
 母がジェーン・シャーレル、姉がシャロン・リーというプロレス一家に生まれ育ったが、ロスにあるミルドレッド・バークのレスリング・スクールで基礎を学び、そのブッキング・ルートで73年3月に初来日。まだ16歳のはちきれんばかりの若さを売りに、早くもWWWA世界タッグ王者に君臨(パートナーは、マスクド・リー)した。その後は西海岸を中心に、全女マットの常連としてたびたび来日。74年4月1日には神戸でジャンボ宮本を破り、WWWA世界シングル王座を獲得した。
 私はジャッキーと同じ歳で、日本でいう同級生にあたる。75~76年にかけて彼女が来日した際に、何度か会ったことがあり、その時は20歳前後。ぽっちゃりした健康優良児タイプから、すっかり美人になった容姿を見せてくれたのだ。そのルックスは当時アメリカの人気TV番組「バイオニック・ジェミー」の主演だったリンゼイ・ワグナーにそっくり。私はジャッキーとリンゼイ・ワグナーをダブらせて見たりもしたものだ。まだ、一介のファンだった私は、ジャッキーをホテルの屋上で撮影したりしたが、彼女は何のためらいもなく応じてくれたのだ。その時のスナップ写真は、今だに資料として保存している。
 私が全女に入社したのが、78年。再びジャッキーに会えることを楽しみにしていたが、それ以降は来日せず。ただ79年になるとマッハ文朱が「女子格闘技シリーズ」をスタートさせ1度だけ参戦。マッハと格闘技戦みたいなプロレスをしていた。残念ながら全女のスタッフだった私は、ジャッキーと会うことはできなかった。以後、レスラーとしての情報は皆無だった。
 あれから30年…私と同じ歳だから、もう50歳を越えた。その消息は全くわからないが、いったいどんな姿になっているのか、見てみたいような、微妙な感じだ。

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