イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

何処かで必ず誰かに必要とされているから安心して

2010年08月26日 01時54分28秒 | Art (サインペン)

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  -葛餅が入っていたフタをキャンバスに-

私は白い綺麗な紙だけじゃなく、色んな物に文字や絵を

書かせて貰います。宅配便の中に入っていたダンボールや

緩衝材としてクシャクシャに丸められて入っていた茶色い紙も

私にとっては大事なキャンバスなので取っておきます。

創作の時には、その時 目に入った素材を選びます。

茶色い紙の計算されてないクシャクシャな線に私は風情や

美をおぼえます。なので「技」を見せてやろう的な発想

も無く(と言っても披露出来る技などありませんが(笑))

故に「無」になってそれに向かえて、迷わず思うままに、

自由にポンと字を載せられるのかもしれません。

そして、そんな時は文字と素材が思いがけない素敵な

コラボになっていたりするから不思議です。

ほんとは、この世の中に無駄なものなんて何1つない筈。

役に立たないものなんてない筈。

無情にポイッと捨ててしまえるものなんて何もないのかも。

人間だってペットだって「要らないよ」ポイッ!何てされたら

悲しくなってしまいますよね。でも、ちゃんと自分を

必要としてくれる人は存在します。だから安心して下さい。

スペアのない私、あなたはとっても貴重で大切な存在です。

最近、十分使える物でもサッサカ捨ててしまう事が、1つの

片づけ上手のように言われていたりするけれど、私は

処分する事イコール片づけ上手ではない気がしています。

高い安いにかかわらず、ものを大切に使う人は、

(私が何気なく人間ウォッチグしてきた中で感じたのは)

人間関係も丁寧に大切にしている方が多かったです。

以上は私の主観です。私が正しいとか合っているとか

そういう事をお伝えしたいのではありませんので

ご理解頂けたら嬉しいです。

因みに私自身の物選びの基準は、流行物を追う事に

関心はないので、自身が好きな色やデザインを元に

なるべく長く愛用出来る物を選ぶ事が多い気がします。

そういえば人間関係に於いても何となく共通しています。

安心し信頼出来る方と狭く、深く、誠実に長く、大切に

お付き合いしていくタイプです。


美しき日本

2010年08月25日 22時44分15秒 | 

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13年前の8月、初登頂した富士山から拝んだご来光の

美しさは、風光明媚そのものでした。

幼い頃から乗り物酔いが激しかった私は、登山には高山病が

つきものでそれは乗り物酔いと何処か通じるものの様に捉え

富士山登頂前から漠然と「多分高山病になるんだろうな」と

思っていました。私の予想はトンと外れ高山病で苦しむ所か

とても楽に元気良くピョンピョン飛ぶ様に登る事が出来ました。

ここからは私の夢物語として読んで頂けたらと思います。

一生懸命無心になって山登りをしていると天狗様が背中を

押してくれ山登りが楽になると聞いたりしますが私の場合も

本当にそんな感じでした。(以前、山梨県 富士見高原で

行われた10マイルロードレースに参加し走った時にも、平地で

走るのとそんなに変わらない呼吸で割と楽に走れたので、

私の体が高地に強い?だけなのかもしれませんが・・・)

絵本の中に時々出てくる天狗様は威厳に満ちた真っ赤な顔に

象徴的に八つ手の葉を持ち高下駄を履いたお姿が印象的です

子供特有の「○○だったらいいな」という願望にも似た豊かな

想像なのかもしれませんが私は天狗様が本当に存在している

ような気がしていて、八つ手の葉で天狗様を呼べば風と共に

現れてくれると何処か信じていたのかもしれません。小学校

低学年頃から時々自宅庭の八つ手の葉を取って両の手に持ち

体ごと大きく動かし「風よ吹け吹けもっと吹け」と言っていると、

本当に風がピューピュー吹き始めるのです。勿論、ただの偶然

だったのかもしれません。そして私には風と天狗様の

関係性を知る由もないのですが(笑)

パワースポットがブームになる以前から時々、イヤシロチのように

感じる場所や神社などを訪れていました。「気」や「地場」の

良い場所になると、ここがイヤシロチと知らせる合図の様に

それまでは風1つ吹いていなかったのに、毎回決まって

突然風が起こり更に風が風を呼ぶといった様に次第に

それは強くなりイヤシロチ、神社に居る間中吹いています。

アルプスの少女ハイジの、モミの木が、風を受けて大きく

揺れるように、実に心地良い木々の葉音の音霊も加わり

私は毎回、心身ともに癒されます。

数年前、高千穂の天岩戸神社を訪れた時も一寸した事が

ありました。現在もこの地を守っていらっしゃるように、

感じさせられる手力雄命の像の前に立った時、心の中で

「こちらに参れて嬉しいです」と申し上げるとやはり風が

吹き始め、それは次第に大きくなりました。ふと冷静に

周りを見渡すと、本当に不思議なのですが、風は

私達の周りの狭い範囲だけに吹いている感じなのです。

というのは、私の立っている目の前の木だけが何故か

大きく揺れているのです。何だか不思議だなー、と

思っていると、間髪入れずに突然バタバタバターッと

雹でも降ってきたの?という程のはっきり聴こえる激しい

雨音の様な音と共に、その木の下に大量のドングリ?

が一斉に落ちてきました。それを目の当たりにした私は

単純に凄い凄い!と喜びましたが、周りを見渡すと

観光客達にはこの光景は全く見えていない?

目に入っていない?というような感じで、特に気に留める

風でも、立ち止まるでもなく、そそくさと足早に拝殿に

向かっています。この妙な様子に私の方がエッ?!と

キョトンとしてしまいました。只、この現象は私だけではなく

家族も見ています。私のロマンチックな解釈では、こちらを

訪れた私を受け入れて下さった高千穂の神様が、

天狗様に風をつかわせ?歓迎を顕して下さった、

粋な計らいだったのかしら、と。

(自身が写した下記写真を後で見て、手力雄命のお顔

と天狗様のお顔は何だかそっくりだな、と思いました)

いよいよ神社内に入ると、今度は辺り一面からお香の様な

何とも言えぬ気品に満ちた、清らかでいつまでも記憶に残る

ような、檜の様な香しい木の香が強くずっと漂っていました。

またまた私はこの香りの清々しさに感激し、いい香りだね!

と家族に言うと、あ、そう?といった感じでした。

高千穂神社では、どこからともなく「よう参られた」と言う

声を聞かせて頂きました。

私が聴いた音の後に木の下に一斉に落ちた物が

本当にドングリだったのかは分かりません。というのは

参拝前だったのでパッと見ただけでドングリにとても似て

いた為ドングリ?と思いました。なので天岩戸神社に

ドングリの木が本当に存在するのかは分からない為、

このブログを書くにあたりhpから一部抜粋しました。

私がドングリ?と思ったのはもしかしたら招霊(おがたま)

の木の実だったかもしれません。ここにオガタマの写真

は載せませんでしたが、hpには載っています。

(やはりドングリに似ていました。)下記はご参考迄。

-天岩戸神社宮崎あっちこっち44より-

西本宮拝殿前に招霊(おがたま)の木というのがある。

一説によると、芸能の神であるアマノウズメの神はこの

オガタマの木の実をふり乍ら踊ったとされ、この実の形から

神楽鈴が作られたと言われオガタマの木は招霊、おぎたまが

訛ったものと言われており神社に多く植えられ、古来から

日本民族の神木と言われてきた。古くは、玉串奉納に

オギタマの木を使うのが正式とされてきたものの、現在では

榊を使うようになっている。

-高千穂で写した写真の中から2枚をご紹介します-

【魂がこもっているかのような手力雄命の像】

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【高千穂 真名井の滝】・・・癒されました

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