1953年に書かれたSF小説「華氏451度」を読んだ。華氏451度とは、この温度で書物の紙は引火し燃えるということのようである。近未来のディストピア(ユートピアの反意語)を描いていて、本を読むことだけでなく、本を持っているということだけで罰せられ、あらゆる本は密告によって燃やされる世界だ。「消防士」は火事を消すのが仕事だが、このSF物語の中では「消防士」は昔々に存在した職業で、今は「昇火士」がケロシンで家ごと本を焼いてまわる。
この物語が1953年に出版されたということが、私にとっては驚きだった。先見の明に脱帽である。
ラジオやテレビの普及で、人間は物を考えることをしなくなり、だんだんと要約、短縮、省略して、込み入った考えは遠心分離機ではじき飛ばしてしまう。その結果、本は無用の長物、いや有害にさえなる。そして、権力者に強いられるまでもなく、大衆は本を燃やすことに走るという設定である。1953年当時はインターネットもSNSもなかったのにである。
昨今では、SNSなどの発信においては、文章が短く、丁寧な説明もなく感情をそのままむき出しでぶつけることが多いような気がするし、私自身、テキストメッセージでやり取りするときは、長い文章を書くのを面倒がり、果ては絵文字でやり取りすることも多々ある。そんな今だから、「華氏451度」は真に迫る思いがする。若いころに比べて物事を短絡的にしか考えられなくなっている自分に気づき始めているからだ。これは年齢のせいではない。テクノロジーの発達が社会にもたらした負の一面であると思う。
でも、著者は1953年にこのメッセージを発している。驚きだ。この物語は出版当時より、今こそ読まれるべき本だと感じた。
クリンもこの本今年中に読もうと思っています!(Eテレの番組で特集されていたんです!)
本を読めなくなるような社会になったら、おしまいですよね!!