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真夏の富士山
博多へ着いて・・・かかってきた一本の電話は中学の同級生からの悲しい報せでした 『特別可愛がられよったけん 遠くにおるばってん 報せとこうと思うて R先生が・・・』 あたしの人生に多大な影響を与えてくれた恩師 中学2年・3年の担任 国語の先生でした 報せをくれた同級生も まさかあたしが帰省してる事とは知らず驚きと同時に・・・ この世に“偶然”はないと言われますが お導きでしょうか・・・ 翌日 お別れに行くことが出来て お礼を言うことができて本当に良かった 反抗期真っ只中だったあたしは 今にして思えばほんとうに子供 生意気なあたしを 先生はどんなときも大きく受け止めてくれました 文学散歩で行った柳川 北原白秋の本も出版された先生は白秋が大好きでした 白秋の碑の前で歌いました 【山門は我が産土 雲騰がる南風のまほら 飛ばまし、今一度】 なつかしい思い出です 晩年は万葉集の研究をし 教えていらっしゃったとか 生涯現役の91才 先生が教えてくださったこと 今もたくさん覚えています 十億の人に・・・ 垂乳根の母が釣りたる青蚊帳を すがしといねつたるみたれども・・・長塚 節 白金も黄金も玉もなにせむに 勝れる宝 子にしかめやも・・・山上憶良 『先生 ありがとうございました』 |