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空想科学ロケット旅行

Let's Go Swanky Street, Singing The Kids Are Alright!

片岡義男 「東京青年」

2010-11-30 12:54:54 | Reading
三度目の読了だが文句なしの★5つ。1960年前後の東京を舞台にしたストーリー。戦後から立ち直った日本の都市という雰囲気がしてよい。相変らず文体のきれいさとしっとりした女性の描き方も○。また写真に関する描写が多く出てきて、やはりモノクロで色々なものが撮りたくなる小説である

そしてなによりも美しい日本語、美しい会話、(内面的に)美しい人たち。ここにも、もはや失われてしまった永遠がある。

それは作者がアメリカの雑誌から複写した一枚の写真(=本の表紙)から想像、創造した5人の美しい女性とふたりの東京青年の物語。青年は東京のどこかにいればいつの時代にいてもおかしくはないが、女性たちはこの時代でなければいけない、という作者の思いは作中にて描かれる「(もはや戦後ではない)新しい時代」「佐田啓二の奥さんになるような、新しい女優が必要なんだ」「女性の時代(銅像のタイトル)」と密接にリンクしている。

とくに新進女優としてデビューした日比谷優子のパートは今の自分の好みにとてもあっている。この時代の新しい女性像、女優像。吉永小百合は「拳銃無頼帖 電光石火の男」でスクリーンデビューしたがこれもまさに1960年作品。彼女の美しさは他の女優と違ってまさに瑞々しく新鮮に思えたが、まさにそういう時代だったんだろう。

そしてふたりの青年、文章のヨシオと写真の冬彦は、両方が片岡の分身なんだな。

とにかく「片岡義男=ただのお洒落小説」と思っている方にこそ読んでいただきたい作品。あわせて「夏と少年の短篇」もぜひ。

片岡義男 「最愛の人たち」

2010-11-30 12:36:44 | Reading
(※20000829からのお蔵出し 少しだけネタばれ)


この物語は「大人の恋愛もの」ではない。芙美子を頂点として後藤と川島の3人が描く正三角形の物語。しかもそこには世俗的な恋愛をはるかに超えた観念的恋愛関係が成り立っている。

物語はJRが出てくるように現代なのだが、「東京物語」「原節子」そして日本映画最後のスター女優といったワードから、現在が徐々に過去へ溶けだしていき、結果として非常にいい意味でのノスタルジックな雰囲気を醸し出している。

片岡作品でよく語られる女性の外面及び内面のきちんとしたスタイルは、現代が舞台となっている場合、ともすると「おシャレ」で「キザ」なものに誤解されが ちである。しかしこの作品ではひとつのキーとなっている原節子に日本でもっとも美しかった女性像を重ね合わせることによって、片岡が言いたかったであろう 観念としてのスタイルのようなものが、うまく表現されていると思う。

前述の3人に恵子さん(片岡作品常連の女性。やっぱり空手のインストラクター)を加えた4人が織りなす現在と過去の物語に、後藤が作り出すもうひとつの4 人の物語がうまく混ざり合い、夏という季節(千倉の海岸という設定も非常にうまく作用している)の中で、過去と現在、虚と実がえもいわれぬ多重的なストー リーを描き出している。

小説家と写真家、そして完璧な美しさをもった戦後の自由な日本女性という片岡作品の重要な要素をすべて盛り込んだ作品である。

物語の終盤近く、後藤が創造したストーリーの中の芙美子・後藤・川島が作り出した完璧な三角形は実は一触即発の関係をも孕んだものであるが、現実の3人が 観念としての関係性をとるというシーンはこの物語全体のひとつのラストシーンである。ヤマをそこに配し、ラストは中華街での穏やかな描写でまとめるあたり もさり気ない演出である。

さらに川島と恵子さんの手紙のやりとりの一番最後に恵子さんが、自分が撮った川島の写真を見ることでレンズのこちら側の自分を感じるというラストが、(レンズという特殊性を通しているせいもあるのか)はっとさせられるほど印象的である。

片岡作品の本質をもっともよく表している作品かもしれない。

CDウォークマンに見るひとつの時代の終焉

2010-11-04 20:38:42 | 日々のうたかた
自宅ではリビングにステレオがあり、寝室のデスクではポータブルCDプレーヤーにPCスピーカーをつけて使っている。そのポータブルCDプレーヤーがいよいよ調子悪くなったので(15年ぐらい前に買ったんだからよく持ったよな)、ふと「新しいのを買おうかな」と思い、昨日フラッとヨドバシカメラに行ってみた。

今ではデジタルオーディオプレーヤー全盛なので、もう機種とかあまりないんだろうなあと思ってはいたが、オーディオ売り場を探しても見つからない。 あれー?と思いつつ近くにいた店員さんに聞いたら案内してくれたのだが、なんとそこにはソニーのCDウォークマン1機種3色
が置いてあるだけ!

CDラジカセ(あ、たぶんカセットはついてないな)はまだそれなりに品揃えがあるので、その差にしばしがく然……。そりゃまあ確かに僕だってiPod~iPhoneに乗り換えてずいぶん経つので文句は言えないが、それにしても1機種しか扱ってないとは。

ちなみに値段は3980円で予想よりだいぶ安かったが、ACアダプタが付属しておらず乾電池が必要!ということで購入を断念。だったらノートPCをスピーカーにつないで使えばいいや、と。

先日ソニーがカセットテープウォークマンの国内生産を終了というニュースがあってひとつの時代の終焉を感じたわけだが、さらに追い打ちをかけられたという感じか。

思えばCDウォークマン(正式にはディスクマンだっけか)は音飛びという悩みから抜け切れず、そりゃmp3プレーヤーにみんな移行するよな、というのはわかるんだけどね。

電車の中で立ったまま、落とさないようにバランスを取りながらCDを入れ替えたのが今では遠い昔のようです。いや、遠い昔なんだけど(笑)。


「マカロニほうれん荘」 30年ぶりの新作ポスター

2010-10-28 13:44:36 | Reading
(2009/03/29からのお蔵出し)


金曜日、「マカロニほうれん荘」のポスター目当てで少年チャンピオンを買った。チャンピオン買うなんて何年、いや何十年ぶりだ?

マカロニのポスターはmixiコミュで賛否両論、画像を見ていたのでそれほどびっくりはしなかった。たしかに線が太くなっているし、キャラの顔は当時と違っている。トシちゃんのサングラスの反射がなくて真っ黒なのはちょっと違和感だし、きんどーさんの顔もちょっと違う。馬之助は変わってないな(笑)。

でもじっとあちこちを見ているうちに、うんうん、やっぱりこれは鴨川つばめの絵なのだと納得。手とか足とかの書き方とかね。セックスピストルズをベースに描いているのはいつぞやの扉絵をベースにしているんだな。この時代にあえてピストルズというかPunkを持ってくるあたりがなんだかうれしくなってしまう。右上のスーツ(ズートスーツ?)を着たきんどーさんもなにかモデルがあるような。

当時ほどのパワーはないけど、それでもこういうモブっぽいイラスト描くとやっぱりうまいな。コメント&イラストで渡辺航という漫画家がマカロニのイラストを描いていたが、やっぱり違うんだよなー。なんというか線の感じとかポーズとか。

本誌中にマカロニを解説したページがあって、そっちにも描き下ろしイラストがあるけどこっちはちょっとダメ。あまりにもフニャフニャしすぎというか、タッチがぜんぜん鴨川つばめっぽくないんだもん。

なんにせよ、今になって描き下ろしのマカロニが見られるとは夢にも思っていなかった。壁に貼っては眺めてニヤニヤしている(笑)。それにしても次週からチャンピオンでは当時の作品をオリジナル作家が描き下ろすという。なんともすごい企画だ。でもこれにマカロニが入っていないのは残念なようなホッとしたような気分だ。



鴨川つばめ 「DタウンCロック」

2010-10-28 12:43:12 | Reading
(20010831からのお蔵出し)


どうしても読みたくてヤフオクで5000円で落とした。どんなカンジだろうとドキドキしながら読んだが、手に入れてヨカッタ!

ストーリーはあってなきがごとくのドタバタなのだが、まずなんといっても絵がいい! おそらく「マカロニ2」の後なのだろうが、少女マンガっぽい色合いが抜けてかつてのポップな絵柄に戻っている。また途中には入っているイラストなどを見ても今さらながらそのポップでお洒落なセンスにはホレボレとする。これだったら江口寿史ではないがイラストだけでも十分にやっていけたのではないか(ただこの人はギャグ漫画が描きたかったのだからそうした選択はしなかっただろうけど)。

とくにギターを持っているところを描かせたら右に出る者はいないのではないだろうか? ロックが持つ楽しさ・躍動感というものが絵から溢れてくるようだ。こういうセンスの絵を描けるように練習しよう。

中身のほうも、誰かがホームページで書いていたがやはり目立つのはセリフのかっこよさ。

「まったくいい天気だ 青い空のスクリーン 緑のベッド ふりそそぐ光のシャワー 最高だ! 天国ってあんがい身近なところにあるんだな」

というセリフひとつとっても、普通であればそれほどでもないのかも知れないが、このマンガのなかでオヤジがいうとものすごくステキでイカしていて、それでいてなんだか切なくなるような気がする。

それからこれもさっきの誰かが書いていたが、戦闘機の彗星復元のドキュメンタリーを見たオヤジが「その夜 わたしは1時間30分の番組に心から酔った。次 の日は二日酔いだった」というセリフも最高だ。ただしこの回の最後にある「その夜わたしは『彗星』の夢を見た パイロットはわたしで 爆撃目標はチャタレー夫人のウサギ小屋であった」というセリフにはオヤジの哀しみというかなんというかそういったものがにじみだしていてハッとさせられる。これは作者の感情なのか?(チャタレー夫人=奥さんや家庭というものをオヤジはけっして否定は
していないと思っていたので)

ちょっとした背景の書き方などにやはり外国コミックのようなセンスを感じる。絵に関してはほんとにグレイトの一言に尽きるだろう。こんなポップでやわらかい絵が描けるようになりたい。

ラストひとつ前でちょっと壊れ気味になるが最終回はなんとか持ち直しているものの、やはり最後が訳のわからない尻切れトンボになってしまっているのは残念だ。この作者であればもっとかっこいいラストを描くこともできただろうに。

全編を通して笑うというよりもひたすらリズムに酔うと言ったほうが近いだろうか。すでにギャグマンガでもないような気がする。ただP141の「第二に地球空洞説」というのには、「マカロニほうれん荘」とおなじテイストを感じて思わず笑ってしまった。

ふと気がついたが、ルイジアナとブタゲルゲは出てこないんだな。

とにかくあまりにもウレシくて何度も読み返してしまった。


「最高だ! イカシテるってこういうことなんだな」