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空想科学ロケット旅行

Let's Go Swanky Street, Singing The Kids Are Alright!

見ろよ、やつらのステップを

2007-10-13 06:01:33 | Watching
http://www.youtube.com/watch?v=Ea9mV9EhPvE
最高。



僕は本当にブルースブラザーズが大好きだ。ジェイクの腹が出ている割には小刻みに動くステップも。エルウッドの(まだこの頃は)ひょろっとした体が刻む足踏みステップも。

最高にクールじゃないか。


http://www.youtube.com/watch?v=imXMX5AMXLI

こっちも最高。レイのサングラスに映るキーボードのクールさといったらない。街中でみんなが踊りだすところも思わず笑っちゃうぐらいにかっこいい。


この映画が持っているクールでヒップなギャグ感覚は、僕にとって永遠のバイブルである「マカロニほうれん荘」「ドラネコロック」に通ずるものがあるんだよな。

http://www.youtube.com/watch?v=lGo9Xe5dPos
このシーンなんか、あまりの素晴らしさに涙が出た。

大人になってBB見て、まさか泣くとは思わなかったよ。


http://www.youtube.com/watch?v=-uPP9A9o7dQ
これなんか「マカロニほうれん荘」そのものじゃないか。

最後の「うわーん、時計が壊れちゃったよ」ってのが最高に笑える。


BBと鴨川マンガの類似点についてはそのうちきちんと書きたいな。



岩井俊二「ウォーレスの人魚」

2007-10-13 04:24:40 | Reading
内容(「BOOK」データベースより)
ダーウィンと同じく“進化論”を唱えたイギリスの博物学者・ウォーレスは、『香港人魚録』という奇書を残して1913年この世を去る。2012年、セントマリア島を訪ねた雑誌記者のビリーは、海難事故で人魚に遭遇する。マリア一号と名付けられたその人魚は、ジェシーという娘に発情してしまう。2015年、沖縄の海で遭難した大学生が、海底にいたにも拘わらず、三ヵ月後無事生還する。人はかつて海に住んでいたとする壮大な説を追って、様々な人間達の欲求が渦巻く。進化論を駆使し、今まで読んだことのない人魚伝説を圧倒的なストーリーテリングで描く渾身作。


<お蔵出し>


※結末などのネタばれ満載なのでご注意ください


★★★☆☆


進化論をベースにした人魚のストーリーは自分でもかつて考えていたことがあるのでどうだろうと思って読み始めたが、ウォーレスの実話というか伝説というかと近未来の科学的視点からの人魚の描写の緻密さに驚いた。進化論的な味付けもおもしろくグイグイと引き込まれた。やはり自分はこういう「科学=現実領域」と「人魚=幻想領域」が接するようなところで展開する物語が好きなのだなと改めて実感。密とジェシーが出会ってすぐにお互いを求めあってしまう廃屋のシーンもふたりの感情の描写がうまく、なぜかすんなりと納得させられてしまった。

圧倒的だったのはやはり海洲化と海鱗女の「癒合」という衝撃的な愛の形である。人魚という幻の存在を生物学的にここまで描いた作品はおそらくこれまでなかったであろう。このシーンを含む洲化と鱗女の記憶が密とジェシーに伝わるパートは香港というエキゾチックな舞台もあいまって非常に美しく且またエロティックであり、作者の映像的美意識が発揮されている。

[ジェシーの涙がいくつも床に降った。ジェシーは震える声でこういった。「先生…あたし…彼が好きなんです」]という彼女の告白も感動的である。普段は恋愛感情描写にはあまり心を動かされないのだが、作者はこういう切なさのようなものを映像的に描写するのがさすがにうまい。

そして拉致された密を探すために人魚として覚醒することを決心するジェシー…。



と、ここまではストーリーテリングも緊張感があり非常によかったのだが、なぜかここから先がよくあるファンタジーっぽさとアクションになってしまうのだ。

高周波を使ってテレパシーのように言葉を交し合う密とジェシーは、まあイルカなどの海洋生物を考えればまだそうでもないが、その高周波を使って氷を割ろうとするところなどはちょっと…。

斎門教授一味との甲板での場面やそこで斎門が語る人魚をクローニングしての臓器売買などはちょっとステレオタイプ。ただアレキサンダーの「みんな海の上で起きたことだよ」というのはちょっとかっこいい。

溺れたビリーの太古の記憶を呼び戻して冬眠させるというところは人間がかつては人魚だったということを意味し、この作品の一番のテーマを象徴する部分であるが、それまでの様々なシーン描写の迫力に比べるとどうにも弱い。

そして最後の


ジェシーは密の手を握った。
「……海に帰る?」
ダークブルーの世界に包まれながら、二人は抱擁した。


も、なんだかこれだけの物語のラストシーンとしてはちょっと平凡。密とジェシーが愛し合っていくのならそこには「癒合」という非常に重い十字架が待っているのかもしれないし、人魚とはなんなのか? 人魚として生きていくということはふたりに何をもたらし何を失わせるのか? といったこの作品のテーマからするとちょっと軽すぎる。

また人間がかつて両棲動物であり、人魚世界に別れを告げて陸に上がってきたのであれば、そうした進化の過程での別離と再びの遭遇、そこで起きた悲しい事件を通してかつては同じであったのに今ではお互いが理解できないところまできてしまった種としての運命的な哀しみのようなものをもっと強く描いてほしかった。まあ、これはかなり個人的な好みが入ってしまっているが。


他にも以下の点が気になった。

◎「癒合」に関連するのかどうかわからないのが、密と志津香が漂流中に立ち泳ぎのままセックスをするということ。このシーンの意味は? これによって密の人魚としての覚醒のスイッチと捉えるべきか、それとも密とジェシーの間に「癒合」という特質は現れないということの暗示なのか?

◎双子として生まれた密とジェシーはなぜ別々に引き取られなければならなかったんだろう? (まあストーリー設定上ということはわかるんだけど…)

◎リック・ケレンズの説明によれば人魚は人間から枝分かれした種に間違いなく、それは400万年前ぐらいらしい。しかし興味深いのは人間の祖先といわれているアウストラロピテクスと比べ、人間とホモ・アクアリウスがまるで同じ種であるかのようによく似ているということ。400万年水中で進化してくれば人間よりはイルカのような形態になっていくのではないか。リック自身、これはどうしたことだろう? と言っているがその後その答えは描かれなかった。


いかんせん途中までがかなり個人的な好みにぴったりだったので、なおさら最後が残念。


余談だがウォーレスと人魚のくだりは山田章博の人魚の話を思い起こさせられ、またジェシーのイメージがなぜかエヴァンゲリオンのアスカとずっと重なったままだった。



20030713



映画『ジャンヌ・モローの思春期』

2007-10-13 04:13:23 | Watching
<お蔵出し>


★★★★☆


フランス田舎の田園風景の美しさとそこでのひと夏の出来事。


今の映画だったら少女と青年医師の関係はもっときわどいところまでいってしまうのだろうが、そのあたりも抑制が効いていてよい(もっともその母親と恋仲になってしまうのだが)。


夏祭りの夜、少女の父親と青年医師が無言で喧嘩するところがいい。


だがそんな田舎の村にも戦争の足音が徐々に近づいてくる。シモーヌ・シニュレ演じる母親は息子夫婦が帰っていったあと、やがてくる悲しみの期間に備えるかのように窓を閉めて映画は終わる。その悲しみの予兆的な余韻がなんとも印象的。


20030730