rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

「人の本質は善」との研究が

2013-06-13 15:59:33 | つぶやき&ぼやき
京都大学と豊橋技術科学大のチームが行った実験の結果が、先日発表された。
「乳幼児にも思いやる心が見られることから、人間の本質は『善』だと示唆している可能性がある」
これには続きがあり、「大人になるにつれてどう変わるか、国による違いはないか検証したい」とあって、大人になるに従い悪を身につけると推測している。



今、読み返している本がある、ボルヘスの「エル・アレフ」だ。
アルゼンチンの作家ボルヘスは、幻想文学と分類されていて、古典や史実、空想を織り交ぜた作品を書く。
故国のアルゼンチンの内戦などを取り上げたものも多く、そこには暴力と死がおびただしく登場する。
パンパの平原を駆け巡るガウチョ(牧童)には、生き抜くためには動物的本能のほか身を守るものはなく、文明に保護された我々の道徳や人権など何の役にも立ちはしない。
「戦士と拉致された女の物語」に登場する拉致されたイギリス人女性の寓話にも見られるように、文明の側から文明の外に出てしまうと、価値観などぐるりを変わり、しかもどちらも本物のことなのだといっている。

性善説も性悪説もどちらが本質かなどと、愚かしいことかもしれない。
いえることは、自己保身のためにその場や自分が有利になることをしていくのが性であろうということだ。
それが、他人にとって共同体にとって不利益なことで、他に損失を与えるラインをいくと悪といわれるようになる。
周りと協調、他を害しないように諭して矯正するのが社会規範や道徳、宗教となるのだろう。
「思いやり」とは、他と共感し、自分の行動を抑制することともいえる。

自分は人とは性悪説に立つのが持論だが、今もそれは変わらない。
一人では生きられないのに、必ず人より抜きん出ようとし他を圧迫押し退けようとする。
これが一人だけの行動ではない、誰もが大なり小なり起こすから軋轢が生まれ、悪の萌芽が生じる。
また、それを意識的に行う者もでて、本物の悪へと変貌するのだ。
つまり、人の内包する「原罪」は、単体で生きられないその存在そのものにある。

この研究意図がどうあろうと、やってみることは構わない。
しかし、何かしらいいように引き合いに出されそうな危うさが感じられて怖い。

今日の収穫

2013-06-12 12:03:38 | 食べ物たち

パセリ。ブルーベリー。イチゴ。ラズベリー。12/6/2013

台風3号”ヤギ”のおかげで、久々に雨らしい雨が降っている。
当たり前の梅雨が、ここに来た。
心なしか、周りの植物たちが喜んでいるように見えるけれど、きっとその通りなのだと思う。

遅ればせながら、昨日はブルーベリーやラズベリーに追肥を施した。
ついでにバラやパセリなどにも。
鉢物は、きちんと世話をする限り、水不足には陥らない。
しかし、広い畑や山々には、ジョウロやホースで散水はできないし、また十分な水分を含ませるには雨には到底かなわない。
台風も、一時は日本列島縦断かとの予報もあったが、今では南の太平洋沖で迷走し、やがて温帯低気圧に変わるとの見通しだ。
その間は、まとまった雨を降らせるとのことで、豪雨でもなければ被害はでないとみえる。

安定した水と食料の供給は、人心の安寧につながる。
この雨で、水不足がいくらかでも解消されればと願うものだ。




モートンのファルセットが美しい a-ha”I Wish I Cared ”

2013-06-11 11:53:10 | 音楽たちーいろいろ
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a-ha - I Wish I Cared

曇り空だからというわけでもないけれど、気持ちのよい音楽が聴きたくなる。
そこで、大好きなアーハを、温泉でもないのにかけ流す。
程よい浮遊感を醸し出すのは、モートンの歌声。
柔らかくベルベットのような光沢のある類まれな声に、心を委ねる。

先ほどまで、街中ではできないスピーカーを大音量で鳴らしながら、庭の手入れをしていた。
最近調子のよくないねこも芝の上でごろりと横たわり、たぶん耳を傾けているのだろう。
ねこと自分、互いに気にかけていると思われる。
”I wish i cared"、こんな切ない思いはしたくない。




猫好きなバルテュス

2013-06-10 20:56:31 | アート

マドラスキャット


猫とヌード

バルテュスは、猫が好きだ。
彼の作品には、ちょくちょく猫が描かれている。
しかし、猫が主役のものはこの「マドラスキャット」一点ぐらいではないだろうか。

画家の猫好きはバルテュスばかりではない、ボナール、ピカソ、ダリ、クリムト、ウォーホール、藤田嗣治、菱田春草、速水御舟など枚挙に暇がない。
猫の魅力は、画家を強く惹きつける。

バルテュスの重要なモチーフに少女があるが、少女もまた猫のような存在といえる。
掴みようのない不確かな魅力、そのしなやかな肢体、きらきら輝く瞳だ。
我が家にも一匹と一人、猫と少女がいてバルテュスの世界が日常的になっている。
この一瞬のきらめきを目の当たりにしていると、なにやら切なさが込み上げてくる。
永遠にこの瞬間を留めておきたいと切望するのであった。

今のところから梅雨、少雨の半年

2013-06-09 21:43:07 | 空・雲・星・太陽たち
5月に早々と入梅宣言があったものの、少しばかりぐずついてその後雨の気配が途絶えた。
今年は今のところ、雨が少ない。
畑はいつも乾いていて、土埃の舞う日が多い。
路地物の作物の生育が、心配でもある。
植物も生き物も毎年同じように生まれ生きることはなく、だから今年は毛虫の発生が極端なほど少ない。
これは朗報ともいえなくもないけれど。

このあたりは、まだ水不足だとか聞かないが、ところによっては深刻な状況とニュースにあった。
首都圏の水がめダムの貯水率も50パーセント未満があったりなど、地味な雨を待ち望んでいる。
もしこのまま猛暑に突入でもしたなら、どうなってしまうのだろうか。
生活用水、工業用水、農作物、何においても水は欠かせない。
台風や豪雨ではない、梅雨のしとしと雨を雨乞いする頃に来ているかな。