京都大学と豊橋技術科学大のチームが行った実験の結果が、先日発表された。
「乳幼児にも思いやる心が見られることから、人間の本質は『善』だと示唆している可能性がある」
これには続きがあり、「大人になるにつれてどう変わるか、国による違いはないか検証したい」とあって、大人になるに従い悪を身につけると推測している。
今、読み返している本がある、ボルヘスの「エル・アレフ」だ。
アルゼンチンの作家ボルヘスは、幻想文学と分類されていて、古典や史実、空想を織り交ぜた作品を書く。
故国のアルゼンチンの内戦などを取り上げたものも多く、そこには暴力と死がおびただしく登場する。
パンパの平原を駆け巡るガウチョ(牧童)には、生き抜くためには動物的本能のほか身を守るものはなく、文明に保護された我々の道徳や人権など何の役にも立ちはしない。
「戦士と拉致された女の物語」に登場する拉致されたイギリス人女性の寓話にも見られるように、文明の側から文明の外に出てしまうと、価値観などぐるりを変わり、しかもどちらも本物のことなのだといっている。
性善説も性悪説もどちらが本質かなどと、愚かしいことかもしれない。
いえることは、自己保身のためにその場や自分が有利になることをしていくのが性であろうということだ。
それが、他人にとって共同体にとって不利益なことで、他に損失を与えるラインをいくと悪といわれるようになる。
周りと協調、他を害しないように諭して矯正するのが社会規範や道徳、宗教となるのだろう。
「思いやり」とは、他と共感し、自分の行動を抑制することともいえる。
自分は人とは性悪説に立つのが持論だが、今もそれは変わらない。
一人では生きられないのに、必ず人より抜きん出ようとし他を圧迫押し退けようとする。
これが一人だけの行動ではない、誰もが大なり小なり起こすから軋轢が生まれ、悪の萌芽が生じる。
また、それを意識的に行う者もでて、本物の悪へと変貌するのだ。
つまり、人の内包する「原罪」は、単体で生きられないその存在そのものにある。
この研究意図がどうあろうと、やってみることは構わない。
しかし、何かしらいいように引き合いに出されそうな危うさが感じられて怖い。
「乳幼児にも思いやる心が見られることから、人間の本質は『善』だと示唆している可能性がある」
これには続きがあり、「大人になるにつれてどう変わるか、国による違いはないか検証したい」とあって、大人になるに従い悪を身につけると推測している。
今、読み返している本がある、ボルヘスの「エル・アレフ」だ。
アルゼンチンの作家ボルヘスは、幻想文学と分類されていて、古典や史実、空想を織り交ぜた作品を書く。
故国のアルゼンチンの内戦などを取り上げたものも多く、そこには暴力と死がおびただしく登場する。
パンパの平原を駆け巡るガウチョ(牧童)には、生き抜くためには動物的本能のほか身を守るものはなく、文明に保護された我々の道徳や人権など何の役にも立ちはしない。
「戦士と拉致された女の物語」に登場する拉致されたイギリス人女性の寓話にも見られるように、文明の側から文明の外に出てしまうと、価値観などぐるりを変わり、しかもどちらも本物のことなのだといっている。
性善説も性悪説もどちらが本質かなどと、愚かしいことかもしれない。
いえることは、自己保身のためにその場や自分が有利になることをしていくのが性であろうということだ。
それが、他人にとって共同体にとって不利益なことで、他に損失を与えるラインをいくと悪といわれるようになる。
周りと協調、他を害しないように諭して矯正するのが社会規範や道徳、宗教となるのだろう。
「思いやり」とは、他と共感し、自分の行動を抑制することともいえる。
自分は人とは性悪説に立つのが持論だが、今もそれは変わらない。
一人では生きられないのに、必ず人より抜きん出ようとし他を圧迫押し退けようとする。
これが一人だけの行動ではない、誰もが大なり小なり起こすから軋轢が生まれ、悪の萌芽が生じる。
また、それを意識的に行う者もでて、本物の悪へと変貌するのだ。
つまり、人の内包する「原罪」は、単体で生きられないその存在そのものにある。
この研究意図がどうあろうと、やってみることは構わない。
しかし、何かしらいいように引き合いに出されそうな危うさが感じられて怖い。