rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

渦巻くものたち。

2011-11-15 22:41:56 | 趣味たち
昨日に引き続き、”渦”について。

バームクーヘン、ロールケーキ、コロネ、今はないけれどキャロラインキャンディーは、好きな食べ物。
伊達巻、棒つきうずまきキャンディー、なるとは、見た目は文句なしにいいのだが、好んでは食べない物。

陶器の絵柄にある、蛸足模様、唐草模様。

ネジ、コイル状コード、ダ・ヴィンチのヘリコプター。

思いつく渦巻きの仲間たち。

面白い渦の世界。

 トケイソウ

渦に惹かれて。

2011-11-14 23:46:03 | 趣味たち
随分前に、歌手のちあきなおみが、「洗濯機の洗濯槽(もちろん二槽式)に出来る渦を眺めて飽きない」と言っているのを聞いたことがある。
”おや、やっぱり洗濯機の渦に惹かれる人はいるのだな・・・”と、同類を見つけた気になった。
よく思い起こせば、水の渦巻く姿が好きなのだ。
お風呂や洗面台の水栓を抜き、静かだった水が少しずつ動き出し、そのうちに水の流れが可視化し渦が出来る。
その渦巻き流れ落ちる水の様子に、うっとり見とれてしまう。
それが更に高じるて渦巻くものに引力を感じ、天気図の台風の予想進路に沿って台風が動くさまや、つむじ風から竜巻、渦巻く星雲などなど、渦巻くものが気になる。
転じて、独楽、風車、扇風機、回転するものに、じっと目が釘付けになるときも。
ばねなどのコイル状を少し伸ばし気味にしながら、指で辿るのも止まらなくなる。
そういえば、実際昇降したくはないが、螺旋階段の形状もいい。
どうしてこんなに渦に惹かれるのだろう。
DNAが二重螺旋だから?
それとも、転生するときに、光の螺旋をぬけてくるからなのか?
これは、冗談として、いつからそんなに渦に惹かれだしたのか、記憶が定かではない。
渦を愛好することは、特別奇異でないと思うが、とにかく渦が好きだとはっきりと宣言しよう。
”私は、渦が好きだ!”


気が付くと、ブログ開始1年を過ぎていた。

2011-11-13 23:26:51 | 随想たち
昨年の10月29日から、このブログを始めて、一年が瞬く間に過ぎてしまった。
そして、この一年は、世界的にも激動の一年だった。
北アフリカ地域や中東アラブ諸国の民主化運動や政変。
ギリシャ財政破綻だけではない各国の財政悪化とユーロ信用の失墜。
世界各地で起こる豪雨による水害。
日本の巨大地震と津波。
市民レベルでの原子力神話の崩壊。
アメリカ指導型TPPに参加する日本。
まだほかにも何かあったような気がするが、ありすぎて思いつかない。

どうやら、全てが変わる時にきているようだ。
地球も人も、乱世の時代。

さて、来年の今頃、どう世界は変わっているのだろう。
一年という短いスパンでなしに、これからいっそうの弱肉強食時代がやってくる。
強い縛りでつるむか、個人のレベルを上げ特化型にして生き抜く力をつけるか。
もちろん、浮き上がれない者たちはたくさん出る。
先進諸国において、束の間の夢を見た人たち。
いつまでも虐げられ搾取され続けている人たち。
全ては、経済の名の下に、御簾の向こう側にいるごく一部の者と、その僕たち、あとは浮かぶことのできない者たちと、強固なヒエラルキーが築かれる。

アジアンティックな精神論で、全てはなすがまま、風の吹くときは風になびき、雨に濡れ、陽の射すときは顔を上げ、柔軟でしたたかに生きていこうか。
それが諦めなのか、不敵なのかは、機のとらえどころによるだろう。
今のところいえるのは、政治家は、国は、一般市民を守ってはくれないということだ。

心して、荒れ狂う乱世の荒波に向かっていくしかない。
なんともまあ、ぬるいかりそめの平和ボケ世代人にとって、厳しい時代になったものである。



古代ギリシャの都市国家、シチリア島:シラクーサ

2011-11-12 00:57:23 | 街たち
今夜の「世界ふれあい街歩き」、地中海に囲まれたオルティージャ島にある旧市街地のシラクーサ。
古代ギリシャにおいて、アテネやスパルタに並ぶ都市といわれた。
円周率を表し、ペンチや天秤を発明した、かのアルキメデスは、シラクーサ出身。
ローマとの戦争では、アルキメデスの発明した武器が威力を発揮したそうだが、ついには負けて、ローマの兵士によってアルキメデスは、殺害されてしまった。
その誇りを今もシラクーサの市民は受け継いで、発明やクリエイティブなことに熱心だそうだ。
”立方体バス”を発明自作した演奏家?は、自らを”アルキメデスの息子”といっていた。

街の中心部に、でんと構える古代ギリシャ遺跡。
太陽神アポロ神殿は、2600年前、紀元前6世紀のもの。
そのすぐ隣には、中世の頃の住居あり、現役で活躍している。
紀元前5世紀の古代ギリシャ劇場。
夏には、仮面を被って演じるギリシャ悲劇が催され、今なお愛され使われ続ける。
その近くにある縦長細い洞穴は、「ディオニュシオスの耳」といい、元は石切り場でだった。
その名の由来は、往時の君主ディオニュシオスが牢獄として使い、捕虜の話を盗み聞きしたといわれる伝説があるほど、音響効果が高いことにある。
また、街には狭い路地が張り巡らされ、古い建物に付いているバルコニーの支えも凝った装飾が施してあり、街そのものが生きたアンティークなのだ。
街の大聖堂も、古代の神殿を利用しながら造られている。
市内には、古代ギリシャ悲劇を学ぶ演劇学校もある。
シラクーサは、古代ギリシャとともに生き続ける街。

そして、グルメ。
”アランチーニ”という、ライスコロッケがある。
米にサフランで色と香りを付け、オリーブオイルとバターで風味を持たせたサフランライス。
それの中に、ミートソースとモツァレラチーズをいれ、おにぎり状にしたものに、パン粉をまぶして油で香ばしく揚げる。
中身は、ハムとチーズのオーソドックスなものから、ウニとチーズなど変り種様々に、コロッケの形状を変えていく。
すごく、美味しそう。
ワインと一緒に楽しみたい。
”インドのイチジク”と呼ばれる、シチリア名物のサボテンの実は、ポピュラーな果物として食べられている。
サボテンの実をまだ食べたことがないので、興味深い。
酸味が効いて、爽やかな印象を持っているけれども。

そう、市場は、どこの国も活気に溢れている。
男達は、威勢の良い呼び声を上げ、並ぶ商品はそれに劣らないくらいみな新鮮そうだ。
あるチーズ屋の男は、肩からチーズをぶら下げて商いをしている。
”男はチーズ、女は馬車”という言葉があると話していた。
「女は馬車に乗ってお姫様気分で生きているが、男は肩にぶら下げたチーズの重みを人生の重みと思い生きているのさ。」
つまり、女は強くしぶといってことなの?
そうかもしれない。
でなきゃ、人類はとっくに滅びているだろうさ。
女が、下を向いて泣いているような世の中になったら、もう世もどん詰まりだってこと。
シチリアの男たちは、皆明るく楽しそうな顔つきに見えた。
だから、女たちといったら、それはそれは幸せなのだと想像できるだろう。
みんな馬車に乗ったお姫様ってことに。

そのような土地柄だから、ギリシャ悲劇が生き続けられるのかも知れない。
影があるところには、必ず日の当たる明るい面がある。
影と光は、コインの裏と表。
一人だけでは、存在できない。
しかし、影の部分は、極めて小さいのだろう。
真上から照らされる影は、小さくて濃い。
それは、おそらく死。
古代ギリシャの繁栄の骸を間近に、無意識のうちに意識しているシラクーサの人々は、一瞬の生を謳歌する心構えが出来ているように見えた。

2011年11月10日、満月の夜。

2011-11-10 22:57:11 | 空・雲・星・太陽たち

17時10分


22時10分

晩秋の月夜は、風情がある。
ベルベットのような光沢のある夜の天幕に、冷たく輝く白い月。
絹の綿か、マシュマロのような雲が、ぽっかりぽかり浮かび、月の明かりで照らされている。
ひんやりとする夜の空気に、身をすくませながら見上げる月。
静寂に浸され、月の詩が聞こえてくる。
今夜の詩は、雲との応答歌。
褒め称えるものは、一体何か。
存在できる奇跡を謳っているのかもしれない。
慎ましくひっそりと、しかも自信に満ちて。
夜の神秘にいっそうの含みを持たせながら。