「世界ふれあい街歩き」イタリア・トスカーナ地方の古きよき街シエナ。
13世紀から15世紀にかけて、ローマとヨーロッパ諸国を結ぶ街道の街として栄えた。
周囲を城壁でめぐらせた丘の上にどっしりと構えるその姿は、フィレンツェと勢力を競い合った往時をしのばせる。
街に張り巡らされて路は、かなりの起伏を持ち、狭い路地の頭上には、アーチが多くかかっている。
建物は、ゴシック様式・ルネサンス様式・バロック様式いろいろあれど、レンガ造りで占められていて、街全体が明るい赤褐色だ。
いわゆる茶系の絵の具の種類に、ローシェンナ(焼かないもの)、バーントシェンナ(焼いたもの)があるが、まさしくバーントシェンナこそレンガの色そのもの。
それというのも、シエナ付近の土が、ルネサンスの頃に絵の具の材料として使われていたことにある。
街の中心カンポ広場には、レンガが一面に敷き詰められている。
その色も、黄味がかったレンガと赤みがかったレンガの二色使い。
並べ方も凝っていて、生地のヘリンボーンのように。
そして、広場の形状は、マンジャの塔の面に向かってすり鉢状にかなりの傾斜をもって造られている。
毎年夏には、シエナの伝統”パリオ”というコントラーダ対抗の競馬が開催される場所でもある。
また、シエナの人々の人生に深くかかわっている広場なのだ。
「広場は街の人の居間みたいなもの」といっていることからも、その重さが伝わってくる。
コントラーダ、これは地区のこと。
500年以上続き、生まれたところのコントラーダに、街の人は一生所属していく。
「夫や妻は変えられても、コントラーダは変えられない」らしい。
その親交を深めるべく、毎週一回、夕食会を持つという。
同じコントラーダのメンバーが集まり、飲んで食べ、悩みを打ち明け相談したりなど、大きな家族として交流していく。
シエナには、17のコントラーダが存在し、それぞれ動物の紋章を掲げている。
イモムシ・ゾウ・ヤマアラシ・カメ・サイなどさまざまに、強い愛着を持つ。
それぞれのコントラーダは、博物館を持ち、”パリオ”で使った歴代の衣装やヘルメット、優勝旗に写真などを展示している。
各地区には、各々の紋章が、建物の壁に刻まれて、主張しあっていることからも、団結力が強いことをうかがい知れるのだ。
そのようなシエナにあっても、大聖堂だけは、大理石で造られている。
あのフィレンツェに対抗するためだ。
1220年から200年の時をかけて建造した。
もちろん、贅を凝らし、当代一流の芸術家を動員したなかには、ミケランジェロもいた。
聖堂内の床は、実に見事で、街の紋章や聖書の場面を、色大理石をはめ込み彫刻を施して表現した。
いまでは、作品保護の為、年に2ヶ月の公開になっている。
シエナ出身のローマ法王の生涯を描いたフレスコ画が、”ピッコローミニ家の図書館”に描かれている。
華麗で装飾的な絵は、当時のシエナの意気込みを今に伝えるものだろう。
シエナの周辺は、ワインの一大産地。
粘土質で石灰質の土壌、乾燥した気候、起伏に富んだ地形、太陽に恵まれた土地柄、ワイン用葡萄の栽培にうってつけだ。
ワインも、最高ランクのものを多く生産し、中でもデザートワインには定評があるという。
幾種類ものドライフルーツを感じさせる豊潤な味わい、複雑な香り、後味に上品な苦味がほんのりと残る、素晴しいワイン。
その製造過程は、手の掛かるもので、摘み取った葡萄を風通しのよいところで3ヶ月間水分を飛ばし、中でも状態のよい葡萄を厳選し、醸造する。
贅の限りを尽くしたワインだ。
街には、小さなブロンズの工房があった。
1800年代から続く工房、200年前からの道具が、現役だ。
ブロンズ彫金の女性は、先祖の仕事を継いでいること、歴史あるこの仕事に誇りを持っていると言っている。
そして、コントラーダの紋章を銅版に刻み込んでいた。
夕日で薔薇色に染まるカンポ広場。
人々の永い営みを見守ってきたカンポ広場。
時代を、数多の人生を受け入れてきたカンポ広場。
シエナの人々は、生まれ出でてもなお、大きなシエナの子宮の中に包まれて生きているのだ。
それは、なんと心強いことだろうか。
13世紀から15世紀にかけて、ローマとヨーロッパ諸国を結ぶ街道の街として栄えた。
周囲を城壁でめぐらせた丘の上にどっしりと構えるその姿は、フィレンツェと勢力を競い合った往時をしのばせる。
街に張り巡らされて路は、かなりの起伏を持ち、狭い路地の頭上には、アーチが多くかかっている。
建物は、ゴシック様式・ルネサンス様式・バロック様式いろいろあれど、レンガ造りで占められていて、街全体が明るい赤褐色だ。
いわゆる茶系の絵の具の種類に、ローシェンナ(焼かないもの)、バーントシェンナ(焼いたもの)があるが、まさしくバーントシェンナこそレンガの色そのもの。
それというのも、シエナ付近の土が、ルネサンスの頃に絵の具の材料として使われていたことにある。
街の中心カンポ広場には、レンガが一面に敷き詰められている。
その色も、黄味がかったレンガと赤みがかったレンガの二色使い。
並べ方も凝っていて、生地のヘリンボーンのように。
そして、広場の形状は、マンジャの塔の面に向かってすり鉢状にかなりの傾斜をもって造られている。
毎年夏には、シエナの伝統”パリオ”というコントラーダ対抗の競馬が開催される場所でもある。
また、シエナの人々の人生に深くかかわっている広場なのだ。
「広場は街の人の居間みたいなもの」といっていることからも、その重さが伝わってくる。
コントラーダ、これは地区のこと。
500年以上続き、生まれたところのコントラーダに、街の人は一生所属していく。
「夫や妻は変えられても、コントラーダは変えられない」らしい。
その親交を深めるべく、毎週一回、夕食会を持つという。
同じコントラーダのメンバーが集まり、飲んで食べ、悩みを打ち明け相談したりなど、大きな家族として交流していく。
シエナには、17のコントラーダが存在し、それぞれ動物の紋章を掲げている。
イモムシ・ゾウ・ヤマアラシ・カメ・サイなどさまざまに、強い愛着を持つ。
それぞれのコントラーダは、博物館を持ち、”パリオ”で使った歴代の衣装やヘルメット、優勝旗に写真などを展示している。
各地区には、各々の紋章が、建物の壁に刻まれて、主張しあっていることからも、団結力が強いことをうかがい知れるのだ。
そのようなシエナにあっても、大聖堂だけは、大理石で造られている。
あのフィレンツェに対抗するためだ。
1220年から200年の時をかけて建造した。
もちろん、贅を凝らし、当代一流の芸術家を動員したなかには、ミケランジェロもいた。
聖堂内の床は、実に見事で、街の紋章や聖書の場面を、色大理石をはめ込み彫刻を施して表現した。
いまでは、作品保護の為、年に2ヶ月の公開になっている。
シエナ出身のローマ法王の生涯を描いたフレスコ画が、”ピッコローミニ家の図書館”に描かれている。
華麗で装飾的な絵は、当時のシエナの意気込みを今に伝えるものだろう。
シエナの周辺は、ワインの一大産地。
粘土質で石灰質の土壌、乾燥した気候、起伏に富んだ地形、太陽に恵まれた土地柄、ワイン用葡萄の栽培にうってつけだ。
ワインも、最高ランクのものを多く生産し、中でもデザートワインには定評があるという。
幾種類ものドライフルーツを感じさせる豊潤な味わい、複雑な香り、後味に上品な苦味がほんのりと残る、素晴しいワイン。
その製造過程は、手の掛かるもので、摘み取った葡萄を風通しのよいところで3ヶ月間水分を飛ばし、中でも状態のよい葡萄を厳選し、醸造する。
贅の限りを尽くしたワインだ。
街には、小さなブロンズの工房があった。
1800年代から続く工房、200年前からの道具が、現役だ。
ブロンズ彫金の女性は、先祖の仕事を継いでいること、歴史あるこの仕事に誇りを持っていると言っている。
そして、コントラーダの紋章を銅版に刻み込んでいた。
夕日で薔薇色に染まるカンポ広場。
人々の永い営みを見守ってきたカンポ広場。
時代を、数多の人生を受け入れてきたカンポ広場。
シエナの人々は、生まれ出でてもなお、大きなシエナの子宮の中に包まれて生きているのだ。
それは、なんと心強いことだろうか。
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