スーパーに、当たり前のように「イルカ肉」が並べられていた。
さいころ状にカットされたイルカ肉の色は赤黒く、鯨肉と同じように見えた。
ある古い鮮魚店の店先に「いるかあります」と書かれた紙が張ってあるのを見て、イルカを食べるのだと知り驚いたのは、かれこれ15年前。
しかし、実際のイルカ肉を見たのは今回が初だ。
先ごろ、ケネディ駐日大使が、知的生物のイルカを食べる野蛮な習慣を改めるべきとのコメントをだしたと話題になっていた。
鯨と同じようなヒューマニズムと思ってみていたが、その食べるか否かの線引きは一つの倫理観で決められるものではないと私は考える。
土地の風土、そのもたらす条件が作り上げる習慣、多くの要素が絡み合って食習慣がなされるからだ。
時代と所によっては、部族抗争で負けた相手側の肉を食べることで、霊力を授かり、その力を自分の物とできる思考法から、人肉食だってあった。
さすがに西欧文明が浸透した今の世の中にあって、人肉食を習慣的に行うところはなくなっている。
対象物を食べ物とする線引きを一方的価値観で押し付けしては、異なる価値観が生み出す文化を殺してしまうだろう。
とあるコンビニで開発した「フォアグラ丼」、ガチョウに無理足りエサを食べさせ肝臓を肥大させて作るフォアグラが動物虐待としてよろしくないとの苦情から、発売中止となった。
しかし、世界には乳飲み子の牛や羊に豚を食べるところもあるし、孵化の様々な段階の卵を食べる場合もある、鯛の活け作りも残酷の極みだ。
命をいただかなくては生きていけない我々は、どうあっても残酷で、食に対する探究心がフォアグラを生んでもそれを責めるばかりでは変であろう。
奪った命は、きちんと自分の命に組み入れて昇華させることが大切で、無駄に捨てることこそが非難されるべきものである。
スーパーに並べられた豊富な食材が、無駄なく食べられるようになればと買い物をするたび願っている。
あのイルカ肉、今夜どこかの食卓にのぼったのであればいいのだが。
さいころ状にカットされたイルカ肉の色は赤黒く、鯨肉と同じように見えた。
ある古い鮮魚店の店先に「いるかあります」と書かれた紙が張ってあるのを見て、イルカを食べるのだと知り驚いたのは、かれこれ15年前。
しかし、実際のイルカ肉を見たのは今回が初だ。
先ごろ、ケネディ駐日大使が、知的生物のイルカを食べる野蛮な習慣を改めるべきとのコメントをだしたと話題になっていた。
鯨と同じようなヒューマニズムと思ってみていたが、その食べるか否かの線引きは一つの倫理観で決められるものではないと私は考える。
土地の風土、そのもたらす条件が作り上げる習慣、多くの要素が絡み合って食習慣がなされるからだ。
時代と所によっては、部族抗争で負けた相手側の肉を食べることで、霊力を授かり、その力を自分の物とできる思考法から、人肉食だってあった。
さすがに西欧文明が浸透した今の世の中にあって、人肉食を習慣的に行うところはなくなっている。
対象物を食べ物とする線引きを一方的価値観で押し付けしては、異なる価値観が生み出す文化を殺してしまうだろう。
とあるコンビニで開発した「フォアグラ丼」、ガチョウに無理足りエサを食べさせ肝臓を肥大させて作るフォアグラが動物虐待としてよろしくないとの苦情から、発売中止となった。
しかし、世界には乳飲み子の牛や羊に豚を食べるところもあるし、孵化の様々な段階の卵を食べる場合もある、鯛の活け作りも残酷の極みだ。
命をいただかなくては生きていけない我々は、どうあっても残酷で、食に対する探究心がフォアグラを生んでもそれを責めるばかりでは変であろう。
奪った命は、きちんと自分の命に組み入れて昇華させることが大切で、無駄に捨てることこそが非難されるべきものである。
スーパーに並べられた豊富な食材が、無駄なく食べられるようになればと買い物をするたび願っている。
あのイルカ肉、今夜どこかの食卓にのぼったのであればいいのだが。
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