rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

故郷がある者は幸いなるかな、ミヒャエル・エンデ”遠い旅路の目的地”

2011-08-28 01:08:13 | 本たち
「ふるさとは遠くにありて思うもの そして悲しくうたふもの」
室生犀星の叙情小曲集に収められている、詩の一節。
自分にとっての故郷とは、いったい何処を指すのだろうと、小さな頃から思っていた。
今までに住んだ場所の平均滞在年数は8年弱、引越しした数にすると3年弱になる。
現在住んでいるところが、一番長く14年といった具合。
最初にいた札幌は、5年と短く、それ以後茨城にいるので、もしかすると茨城が故郷になるのかもしれない。

ミヒャエル・エンデの”遠い旅路の目的地”
生れ落ちてこの方、旅から旅のホテル住まいの主人公シリル。
親の身勝手な振る舞いのもとに、軟禁状態に暮らし、愛情を注がれなかったおかげで感情の起伏に乏しい少年に育つ。
あるとき、ホテルの廊下で泣きじゃくる少女と出会い、”ホームシック”という状態を知り、人にとって故郷を思う気持ちが特別なものであることを学ぶ。
そして、自分が”故郷”を持たないことを知る。
その”故郷”を持たない、つまりはどっしりとした後ろ盾となって心の拠りどころとなり、ひたすらに愛情を与えられ注ぎこめる何ものかが無い空白の部分があることを、認めた。
それからというもの、巨万の資金を元手に、彼は自分に欠けているものを探す旅に出かける。
探すものはなかなか見つからなく、諦めかけた頃に、衝撃的な絵と出合い、探すべきものの手がかりを得た。紆余曲折を経て、ついには辿り着くのだが、果たしてそれで彼は満たされたのだろうか。
その欠損部分を埋めるために、他に多くの犠牲を求めてまでも。

しかし、それは致命的な空白だったのだ。
自分の存在が、しっかりとあるためには必要不可欠で、それが満たされないものは自己を肯定できない永遠の煉獄にいるに等しい。
故郷とは、何も生れ落ちた場所ばかりではない。
自分の肯定できる安定したきっかけを持ったところなら、いつ何処でも構わないのだと思う。
今でも、自分をはぐれ雲か浮き草のように感じている。
だから、シリルの是が非でも自分にかけている空白の部分を埋めたいという強い衝動に、共感できるのだ。
なんとも拠りどころのない、言いようのない不安。
自分の心にぽっかりと空いた、虚無のような不気味な部分に、吸い込まれてしまいそうな眩暈の感覚。

現代は、人の移動がかなり自由で、社会形態からして一生を同じ場所で過ごす人が少なくなっている時代だ。
自分と似たように、”故郷”を持たない不安を抱えた人が、どれほどいるのだろうと考える。
いや、”故郷”という観念が、今では失われていて、そんな不安を意識できないでいるのかもしれない。
意識できれば、自分に巣くっている不安な感情を客観視し、対応も可能だろうが、そうでない場合には、いったいどうなってしまうのだろう。

一見悲劇的なシリルだが、意識して自分の中の空白部分を埋めようと前進できただけ、幸せなのかもしれない。
訳も分からずに、認識できない欠損部分のブラックホールにじわじわと引き寄せられ、ついに吸い込まれてしまうよりは。
結局のところ、人は自分の心に、欠けているその部分に、一生振り回されて生きるのだろう。

さて、自分自身はというと・・・今もって、漂っている感覚が止んでいない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿