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閉ざされた世界、逆説的な、ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」

2014-02-11 00:46:15 | 本たち
誰しも憧れたことがあるはずだ、大人が介入しない子供だけの世界を。
大人の振りかざす常識に縛られることなく、奇想天外自由奔放で自分達が作るルールに則った空間を夢見たことがあるだろう。
物置や押入れ、庭の片隅などに作る秘密基地が、子供にとっての独立国。
そこには、おもちゃやマンガに秘密の本とラジオ、食料となるお菓子やジュースは欠かせない。
日常からの離脱だ。
そのとき自分はレジスタンだったり、密命を帯びた忍者、正体を伏せているヒーローなど、なりきるものは無数にある。
一人でも、友だちが加わって複数ならバリエーションが増えるというもの。
「20世紀少年」の空き地で繰り広げられる少年たちのあの様子を思い出していただければ具体的か。
あと必要不可欠な装置は、宝物箱、あるいはタイムカプセルだ。
当事者にしか価値のわからない、よそ者にはガラクタとしか思えないものが選ばれた品々なのだ。
この神聖な空間と宝物は、成長と共に子供のいる世界に侵入した日常によって忘れ去られ、子供たちは大人の領域に足を踏み出すことになる。
時々ふと過ぎる子供の頃を懐かしむ気持ちによって、かつてそれらが世界の中心だったことを思い出す。
しかし、「恐るべき子供たち」のポールとエリザベートは、頑なに子供の世界に閉じこもる。
何者も彼らの世界に踏み込むことは叶わない。
せいぜいぎりぎり境界を踏むことしかできず、彼らの顔を外に向けるのだ精一杯だ。
よしんば、片方が外界へと踏み出そうとするならば、もう一方が均衡の乱れを感じ阻止しようと他を排除する行動を起こす。
やがて双子星のような二人は、互いの強い引力で衝突し消滅への運命を辿るのだ。
目に見えない硬質の結晶が膜となって、彼らを包み込み閉じ込めているように思えた。
子供の世界と大人の世界は、相反するかのように見えるが、実はそうでないかもしれない。
価値の基準は違っても、他との違いを受け入れず排除するという心の作用は変わっていないのではないか。
偏見嫉妬、子供だから純粋、大人は欺瞞など、簡単に言い切れないと感じている。
「恐るべき子供たち」は、逆説的な物語として私には捉えられたのだった。



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