お気楽サバイバー研究所

21世紀は人類が経験したことのない「過剰」の世紀である。現在の社会の常識は崩壊する。生き方が「お気楽」に変わるのだ。

facebookでの研究員について

2013年11月29日 | お気楽文化研究
「お気楽文化研究所@FB」
https://www.facebook.com/groups/129709860449234/

には14名の研究員がいるが、ヤル気のあるのは、2,3名なのだ。
定足数22人。
研究員8人。
準研究員14人。
やっぱ、facebookはgroup wearとしては最高なんだな。

そのうち、非公開にするから早い者勝ち。多分。(笑)

お気楽は三文の得

2013年11月26日 | お気楽文化研究
昔から、お気楽は三文の得という。

まあ、お気楽は損得にこだわらないので、何が得なのかはどうでも良いのだがね。

「早起きは三文の得。でも、三文って安くない?」という黒木瞳さんの名言があるが、そうではなく三つの得と理解した方が良い。では、どういう得なのか。それこそが、まず一つの研究課題なのである。

1.お気楽は健康に良い。

2.お気楽に生きると将来が不安になると思われるかもしれないが、その心配はない。お気楽だからだ。


ただし、中途半端なお気楽はキツイ。お気楽は揺れても良いが、揺れ過ぎてはいけない。加減が難しい。お気楽スマイルをキープしないといけないのだと考えられる。

うむ、三つ目がわからん。誰か教えて欲しい。

来週は研究員(定足数22名)の募集要項の発表だ。まあ、お気楽だからあてにはしないで欲しいが・・・。

お気楽文化の十ケ条

2013年11月23日 | お気楽文化研究
■その1
まず、看板を出すこと。お金がないのでブログで十分。まあ、お気楽にはその辺りが相場だ。

■その2
研究といっても深刻に考えたのではお気楽にならない。学会のジャーナルに寄稿するなどという面倒なことはやらない。お気楽にはその辺りが相場だ。

■その3
お気楽とは「成熟した、しなやかな大人の構え」のことだ。しかし、所長がまだお気楽として認知されていないという現実がある。これを問題視することはタブーだ。お気楽で行こう。

■その4
基本的に宣伝活動はしない。お気楽になりませんか、と声は掛けない。ただ、お気楽になりたいな、という人が自然に集まるのが理想。戦略なんて、お気楽じゃないよね。

■その5
研究所は階層型組織ではない。リゾームだ。なに、リゾームが分からない?興味があればググって欲しい。まあ、お気楽で行こう。

■その6
お気楽は能天気ではない。自信と謙虚さがその持ち味だ。だから私も、いつか画期的な「お気楽論文」が書けると信じている。もっとも、構想はまだない。

■その7
世の中は広い。中には私に会いたいという人がいるかもしれない。私もそういう人が入歯、いやいやいれば会いたいと思う。人生とは出会いだと思う。

■その8
ストレスは大敵だが、ストレスがまったく無いというのもストレスだ。お気楽にもそれなりの緊張感はある。常に幸福では幸福は感じられない。お気楽はこのパラドクスを熟知している。

■その9
お気楽はユーモアを忘れない。ユーモアこそが、人生を美味しく生きるこつだ。お気楽な人生は美味しい。美食は許されて当然だ。

■その10
お気楽といっても、いろいろなタイプがある。お気楽にも多様性は大切だ。お気楽が一人いるだけで場は和む。そういう存在を目指したい。

by ジェイ・ロバート

「お気楽系」とは何か?

2013年11月19日 | お気楽文化研究
「お気楽系」とは脳天気のことではありません。もちろん、能天気な人に「能天気をおやめなさいと言うつもりもありません。そんな干渉はよくない。また、脳天気な人ならば、この文章を読むこともないでしょう。

「お気楽系」とは、余裕のあるしなやかな構えです。おかしな成功幻想に駆られることも、精神世界に救いを求めることもありません。いわば、現代における成熟。それが、「お気楽系」です。

「お気楽系」から連想される言葉。それは「しなやかさ、自然な、自由な、生き生きした、みずみずしい」といったものです。あるいは「奔放な、余裕がある」といった言葉を付け加えてもいいでしょう。定義として曖昧だ、と怒られるかもしれませんが、真面目過ぎないというのもお気楽系の特徴なのです。

さて、なぜいま「お気楽系」なのか。これは、現代日本社会を分析したうえでの一つの結論です。いま、お気楽系が不足しています。そして、お気楽系が求められているのです。お気楽系が求められる背景には、以下のようなタイプの衰退があります。

1.人生設計という保守的な考え方が破綻した。
2.上昇志向の空気が薄まり、閉塞感が漂っている。
3.スピリチュアル・ブームにも陰りが見える。
4.おたく文化も行き詰まりを見せている。

生き方はいろいろあって当然です。むしろ多様であるべきでしょう。しかし、生き方の選択を間違えると自らを苦しめ、人生を楽しめなくなってしまいます。「お気楽系」も一つの選択肢。決めるのは自分自身です。

では、お気楽でいられるための一番の条件。それは自信です。では、自信とは何でしょう。ある事柄についての自信ならともかく、漠然とした自信とは何でしょう。漠然とした自信とは、多少状況が変化しても生きて行けるという見通しがあることです。つまり、将来がたとえ予定通りにならないとしも、「なんとかなる」という楽観的な態度。これが自信なのです。

もちろん、根拠があるかもしれない。健康であったり、技能があったり、対人能力に優れていたりといったことも要因になるだろう。しかし、同じような能力、要因を持ちながら、同じような状況にありながら、自信が持てる人と持てない人がいます。それは単に、性格の問題なのでしょうか。答えはノーです。自信は思考トレーニングの賜物です。適切な思考を積み重ねることが自信に繋がるのです。

世界は常に不条理に満ちています。不公平も不平等も存在します。賄賂も犯罪も残忍さもあります。それは、受け入れ難いものですが、まずは、良い点にも目を向けて現状を受容することです。これは社会についてだけでなく、自分自身についても同じでしょう。

ある程度の寛大さをもって現実を受容したうえで課題を設定しない限り、いかなる批判や抵抗も望ましい結果を生むことはないのです。

繰り返しになりますが、お気楽の第一の条件は、適切な思考に基づく自信です。その基底には、現状の肯定的な受容がある。それは、決して批判精神を持たない「ことなかれ主義」ではありません。そうではなく、このような態度こそが、より本質的で鋭い批判や、意味のある問題解決を可能とするのです

お気楽のはずが少し固い文章になってしまいました。、あた、少しずつ「お気楽系」についての考察を書いて行きます。冒頭の図は、お気楽系のポジションを示しています。読者の皆様のご意見をお聞かせください。よろしくお願い致します。

2013年11月19日 お気楽文化研究所設立準備委員会代表 ジェイ・ロバート