お気楽サバイバー研究所

21世紀は人類が経験したことのない「過剰」の世紀である。現在の社会の常識は崩壊する。生き方が「お気楽」に変わるのだ。

8つの収入

2013年03月18日 | 経済
10年以上前だが、私は金持ちになりたくて、ロバート・キヨサキの「金持ち父さん」シリーズを全部読んでいた。しかし、私は金持ちにはならなかった。ビジネスオーナーにも、投資家にもならなかった。

さて、今日は収入というものを8つのタイプに分類してみた。

1.被雇用者
  いわゆるサラリーマンという奴だ。組織から給料を貰って生きる人。正規、非正規などという分類はどうでも良い。
  大事なのは経営者になる道があるのか。身につけた資格や職で、いつでも独立できるかどうかだろう。

2.フリーランス
  これは幅広い。士業や師業、自由業あるいは自営業が該当する。
  医者でもフリーランスはいる。株式会社の社長でも事実上のフリーランスはいる。
  名目から実態を知ることは、案外難しい。

3.起業(組織)経営者
  これも実に多様だ。サラリーマン社長という言葉もある。
  忙しく働く社長もいれば、何も仕事をせずに報酬を得る社長もいる。
  収入をどうやって得ているかと、収入の多寡、仕事の量は相関はあるだろうが決定的ではないのだ。

4.利子所得者
  株の配当や、預金利息を収入としている人だ。
  印税収入や不動産収入も、ここに含めて良いと思う。
  こういう収入で暮らしている人は、概ね遺産か、過去の仕事の利息を受け取っていると言える。

5.投機家
  投機家は配当ではなく売買差益を収入源とする。
  株やFXだけではなく、プロ・ギャンブラーもここに分類される。
  日本人では珍しいが世界で見ればプロ・ギャンブラーは何十万人といる。
  なお、ここで言うギャンブルとは運ではなく、技術と確率のゲームのことだ。

6.年金生活者
  日本は高齢化がどんどんと進行中だ。
  年金生活者も増え続けている。
  まだ年金を貰っていない人は自分の年金額を調べてみることをお勧めする。
  その少なさに、驚くに違いない。


7、公的扶助を受けている者
  生活保護などがこれに該当する。
  公的扶助とは、国が貧困状態にある者を対象に公費を財源として生活費を支給する制度だ。

8.無収入
  これは少数派だろう。莫大な資産家で収入などいらない人。(使いきれない人)
  逆に、公的扶助について無知で、あるいは思想的な理由から公的扶助を貰っていないホームレスだろうか。

さて、貴方はどのタイプの収入で生きておられるだろうか。
そして、どういう収入で生きて行きたいと考えておられるだろうか。
何もどれか一つということではなく、ポートフォリオを組んでも良い。

何が言いたかったかというと、いまや被雇用者は一般的とも言えないし、得策とも思えないということ。
皆さんのお考えをお聞かせいただきたい。

ロックか、ルソーか

2013年03月14日 | 政治
今まで政治について語るのは生臭くて怖かったのだが、そうも言っていられなくなった。どの政党を支持するという問題ではなく、自らの政治的立場を明確にすることは発言する者の義務だとすら思うようになったのだ。

さて、昔は「右か左か」と言われていたが、今は保守、リベラル、リバタリアン、コミュニタアリアンの4分類が一般的だ。あるいはグローバル主義、反グローバル主義という分類もある。

しかし、思うに一番根本にあるのは、人権を優先するか、人民主権を優先するか、という問いだ。リベラル派はジョン・ロック(1632-1704)に従がい人権を優先し、共和主義者はジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)に従がい政治的自律を優先する。まあ、こんなことは多分、中学か高校で習ったはずだ。

問題は、あなた自身がどの立場を取るかだ。答は以下の中にある。

1.ロック派である
2.ルソー派である
3.こんな単純な問いには答えられない
4.難解で意味がわからない

マスコミには支持政党などではなく、こういう根源的な世論調査をして欲しいのだが、私がお願いしても聞いてくれないだろう。因みに日本人の過半数はルソー派だろうし、ロック派はいま瀕死の状態ではないだろうか。

それにしても、このような立場の違いを議論で埋められるだろうか。議論することで立場が入れ替わる可能性はある。しかし、このようなものは信念に属するのであって、対話で解決することなど無いと知るべきだ。つまり、ハーバーマスは楽観的に過ぎるのであって、明らかに間違っている。

いやはや、政治について書くのは手が震える。短いが今日はここまでにして反応を見たい。

あ、そうだ。私はどれかって? いや、こういう単純な質問には答えられないな。どちらかと言えば人権優先だが。うむ。お茶を濁したようで。(笑)

コミュニケーション進化論

2013年03月12日 | 社会
最近、コミュニケーションスキルに関する話題が多い。企業が必要とする人材の最低限の条件だとも言われている。それにしても、なぜコミュニケーションの問題がクローズアップされているのか。あるいは何故、コミュニケーションに問題が生じているのか。これには人類史的な理由がある。今日はその辺りを簡単に解説したい。

まず、二つの大きな現象がある。

1.マスメディアの衰退
 これによって社会全体での文脈(コンテクスト)の共有が難しくなった。

2.ソーシャルメディアの発達
 コミュニティの異常増殖が発生。文脈、価値観が多様化した。

昔は、明らかに主導的な価値観があった。労働は美徳、頑張ることは素晴らしいなど、当然のように思われていた。また、長幼の序といった儒教的価値観も日本社会では当然のごとく受容されていた。マスメディアによる大衆操作も洗練されていて、事実上の権力である霞が関は、政治という劇場の演出と脚本を握りながら、国家を運営できた。もっとも、今やマスメディアの衰退によって、新たな利権を求めてあがいている多数の大企業があるわけだが。

また、昔は家庭と企業そしていくつかのサークルに属していれば安泰だった。同調圧力に流されていれば、制度に従ってそれなりの暮らしが出来た。未来はある意味で約束されていた。しかし、そういう時代は既に終わってしまった。もっとも、そういう幻想を持つ人は今も多い。そして、そのことがコミュニケーションを不能にする断絶の原因になっている。要するに、コミュニケーション不全とは、相互の文脈の違いであり、違いを理解しようとする努力、そして想像力の欠如なのである。

守旧派は今も力を持っている。そのため、コミュニケーションのとれない若者自体に問題があると決めつける。そして、コミュニケーション能力の向上を一方的に要求するし、最悪の場合、精神科医療という暗黒の領域に追いやり排除する。

しかし、若者は馬鹿ではない。ソーシャルネイティブ(青少年時代から、ソーシャルメディアを使いこなしていた世代)は実はコミュニケーション能力が高いのだ。それは多数のコミュニティ、多数の文化を経験し、プロトコル(作法)を器用に使い分けることを体で身に着けているからだ。彼らにかかれば、思い切り持ち上げておいて、心の中で軽蔑するなど、普通のことであって、そこには矛盾も不正義もなかったりする。非ソーシャルネィティブには理解できないだろうが、これはもう別の人種だと割り切るしかあるまい。

コミュニケーションは言語に限らない。ノンバーバルなものもあるし、今では、生放送で自室を見せるといった日常のバーチャル化も可能だ。そこには新しい生態系が次々と生まれている。

私は現状を問題ではなく現象として捉えている。国家のアイデンティティだとか、地域コミュニティだとか、家族の再生だとかを叫ぶつもりはない。ただ、現象を的確に捉えることで、状況が変化するということはある。

歴史的に見るならば、今は混乱して当然の時期だ。この混乱は、日本の場合あと50年近く続くだろう。すなわち、ほぼ全員がソーシャルネイティブになるまでということである。

こういう時代に大切なことは、他者の意見に振り回されないことだ。そして強い絆で結ばれた仲間を持つことだ。昔は家族があったが、今の家族には期待できない場合が少なくない。では、どうすれば強い自分を作れるのか。良い仲間と良い関係を築き、維持できるのか。それについては、私が教えて欲しい。よろしくお願いします。

この記事は昨年作成したものです。
なお、Ustreamでの対談(30分)もあります。
興味のある方は、是非ご覧ください。
http://www.ustream.tv/recorded/22501601