お気楽サバイバー研究所

21世紀は人類が経験したことのない「過剰」の世紀である。現在の社会の常識は崩壊する。生き方が「お気楽」に変わるのだ。

ネットワークの教訓

2011年05月03日 | アーカイブ
第4の波とも呼ばれている「ソーシャルメディア」だが、それを誰もが無料で参加できる薔薇色の世界だと誤解している人が多い。とんでもない。そこには、スケールフリーという法則が働いて、富める者がますます富むという構造が出来上がっている。私はfacebookを使いこなしているし、友達もたくさんいる、などと浮かれている人はいないだろうか。重要なのは、友達の数などでは全くない。どういうネットワークのどういう位置にいるのかが重要なのだ。友達を増やして頑張るというのは「おちこぼれ相手の互助会ビジネス」の最下層に仲間入りしたいということと同義かもしれない。参加すべきネットワーク、つながるべき相手を慎重に選ばなければ、とんでもない落とし穴が待っている。もしも貴方がコミュニティに圧力を感じるならば、すぐにそのコミュニティを離れるべきだろう。

ソーシャルメディアの最大の欠点は、情報の断片化、コミュニティの断片化だと私は考えている。SNSでは好まない情報を容易に遮断できる。そして、限られたコミュニティの中だけが、その人の情報環境となる。それぞれのコミュニティで常識が逆転していることも珍しくはない現象だ。私たちは意識して冗長な関係に埋もれたり、重すぎる関係になることを避ける必要がある。最近では「つながり」という言葉が多用されているが、「つながり」を増やすことは売上や利益の増加を担保しない。それどころか、確実に時間とコスト、そしてストレスを増やす要因となる。コミュニェーションには適切な規模というものがある。それは、おおよそ150。これをダンバー数という。

ソーシャルメディアの本当の衝撃は、それが権力にとって脅威であるという点にある。抽象的な言い方だが、影響力の構造が、階層型からネットワーク型へと変化しつつあるという事だ。そこでは所属や肩書など、あまり意味を持たない。重要なのは知識や技能、ただそれだけなのだ。ある人は、ホモ・エコノミクス(経済人)の時代が終わり、ホモ・ディクティアス(ネットワーク人)の時代になるという人もある。それは、世界の権力ゲームそのものが変わるということではないだろうか。経済ゲームから情報ゲームへ。富の交換と蓄積という基本システムから、情報の創造と流通という基本システムへの移行。もはや、ジャック・アタリが指摘したような資本主義の中心都市など必要ないだろう。世界は必然的に多極化へと向かう。

巷には、ソーシャルメディア・マーケティングを販促プロモーションと考えているような人も未だ多くいらっしゃる。多くの企業は、世界が経済ゲームから情報ゲームへとシフトしているということに気がついていない。重要なのは富や資本ではなく、ネットワークであり、コミュニティであるということに気がついていない。「コトラーのマーケティング3.0」の行間を深く読むこと。マーケティングにおいて重要なのは、メッセージを発信することではなく、多様なメッセージを深く傾聴することなのである。

個人にとってはどうか。これはもう「他者と自分の関係を正しく認識し、制御し、活用できるか」という1点にかかってくる。そのためにはまず、分かりやすい自己イメージを保つことだ。そして、貴方が何者なのかを最も雄弁に語るのは、貴方の友達であるということは、最低限知っておく必要がある。貴方は、何のためにSNSに入っているのか。ビジネスがしたいのか、市民として発言したいのか、それとも特異な趣味の仲間と語りたいのか。これは私見だが、一つのSNSでこれら三つのニーズを満たすことは難しい。ありのまま、というわけには行かない。立ち位置を明確化することは、とても重要だ。

どんなものにも光と影がある。長所と欠点がある。ソーシャルメディアでも同じだ。情報格差という問題もある。これはハード面だけではなくリテラシーについてもだ。また、ソーシャルメディア上の情報や繋がりは、コンピュータで簡単に解析できる。利用者は分類・整理され、評価、格付けされることを受け入れなければいけない。なに、みんながやってるから怖くない???

それにしても、大いなる自由の基盤がハイパー管理システムの上で実現されるとは・・・そんなものか。(笑)