「仕事とは何ですか?」
こんな質問を受けたことがある。この質問を私に投げかけたのは専門が社会科学の専門家なので、当然、仕事を定義してくださいということだと理解した。その時は馬鹿げたことを言ったように記憶しているが、今ならこう答える。
「価値を提供し対価を得ること」
これで十分だろう。しかし、多くの人が仕事について悩むのは仕事というものにまつわる諸々の観念だ。社会貢献だとか、やりがいだとか、労働実感とか、適正報酬とか、キャリアアップとか、自己実現だとか。それらに諸観念は既存のものであって、自分で生み出した独自の仕事観などというものはまず無い。
それでも一般に成人したら働くべきだと考えられており、また働かなければ生きて行けない人がほとんどだ。働くということは現代社会における制度的拘束なのだが、労働からの自由を主張する人はまずいない。せいぜい、労働時間の削減とか、人間的な労働を要求する程度にとどまる。
文明が発達したというのならば、必要な生涯総労働時間は削減されるのが普通だ。しかし、競争を是とし、進歩と成長を信仰するグローバル社会にあっては、どうもそうはならないらしい。国にもよるのだが、日本でも定年延長、生涯現役が良いことのように言われている。私には到底信じられないのだが、いまだに「労働は美徳」という支配者に都合の良い道徳を大衆は支持する。それは、自分が働いているのに、優雅に生活している人がいるのが羨ましいというだけの嫉妬ではないのか。実に情けない精神性だと思う。
若い頃から「稼げる人間として成長する」という目標を持つことは素晴らしいことだろうか。人間の価値は収入で、あるいは市場で決まるのだろうか。まったくもって、そこには哲学も、思想も、人間らしい思考も感性も感じられない。しかし、現実の社会や制度を動かして行くのは、そういう非人間的な資本主義エリートなのだ。
仕事が無い人は数多い。さらに多いのが我慢して仕事をしている人だ。大多数の人は、仕事の価値や社会的意義など考えてはいないらしい。そして「仕事が楽しくない」などと言おうものなら「そんなのことは当たり前」だと言う。
しかし、考えて欲しい。多くの人は仕事に膨大な時間を費やしている。その時間が楽しくなくて良いというのは、自己を囚人とみなした奴隷的生き方なのであり、非難されておかしくない生き方なのだ。大多数の人が言う「仕事が楽しくないのは当然」という割り切り方は、とてもとても奴隷的で卑屈な生き方なのだ。
私は、雇用制度そのものが人類最後の奴隷制度だと考えている。雇用という安定を餌に、奴隷的身分にすすんで身を置いているのがサラリーマンの一般的な姿だ。収入や会社内での地位など関係ないし、別にそれが高いからと言って尊敬する気にもならない。私はむしろ、悩み、考えているニートの方が遥かに人間的なのではないかと思う。
別に労働からの撤退を呼びかけるつもりはない。ただ、働いているということは自慢でもなければ、誇りでもないというのが、普通の考え方だと言いたいのだ。「そうは思わない」という人は、完全に洗脳されて頑張っている人だろう。そういう人との対話は時間の無駄だ。
こんな質問を受けたことがある。この質問を私に投げかけたのは専門が社会科学の専門家なので、当然、仕事を定義してくださいということだと理解した。その時は馬鹿げたことを言ったように記憶しているが、今ならこう答える。
「価値を提供し対価を得ること」
これで十分だろう。しかし、多くの人が仕事について悩むのは仕事というものにまつわる諸々の観念だ。社会貢献だとか、やりがいだとか、労働実感とか、適正報酬とか、キャリアアップとか、自己実現だとか。それらに諸観念は既存のものであって、自分で生み出した独自の仕事観などというものはまず無い。
それでも一般に成人したら働くべきだと考えられており、また働かなければ生きて行けない人がほとんどだ。働くということは現代社会における制度的拘束なのだが、労働からの自由を主張する人はまずいない。せいぜい、労働時間の削減とか、人間的な労働を要求する程度にとどまる。
文明が発達したというのならば、必要な生涯総労働時間は削減されるのが普通だ。しかし、競争を是とし、進歩と成長を信仰するグローバル社会にあっては、どうもそうはならないらしい。国にもよるのだが、日本でも定年延長、生涯現役が良いことのように言われている。私には到底信じられないのだが、いまだに「労働は美徳」という支配者に都合の良い道徳を大衆は支持する。それは、自分が働いているのに、優雅に生活している人がいるのが羨ましいというだけの嫉妬ではないのか。実に情けない精神性だと思う。
若い頃から「稼げる人間として成長する」という目標を持つことは素晴らしいことだろうか。人間の価値は収入で、あるいは市場で決まるのだろうか。まったくもって、そこには哲学も、思想も、人間らしい思考も感性も感じられない。しかし、現実の社会や制度を動かして行くのは、そういう非人間的な資本主義エリートなのだ。
仕事が無い人は数多い。さらに多いのが我慢して仕事をしている人だ。大多数の人は、仕事の価値や社会的意義など考えてはいないらしい。そして「仕事が楽しくない」などと言おうものなら「そんなのことは当たり前」だと言う。
しかし、考えて欲しい。多くの人は仕事に膨大な時間を費やしている。その時間が楽しくなくて良いというのは、自己を囚人とみなした奴隷的生き方なのであり、非難されておかしくない生き方なのだ。大多数の人が言う「仕事が楽しくないのは当然」という割り切り方は、とてもとても奴隷的で卑屈な生き方なのだ。
私は、雇用制度そのものが人類最後の奴隷制度だと考えている。雇用という安定を餌に、奴隷的身分にすすんで身を置いているのがサラリーマンの一般的な姿だ。収入や会社内での地位など関係ないし、別にそれが高いからと言って尊敬する気にもならない。私はむしろ、悩み、考えているニートの方が遥かに人間的なのではないかと思う。
別に労働からの撤退を呼びかけるつもりはない。ただ、働いているということは自慢でもなければ、誇りでもないというのが、普通の考え方だと言いたいのだ。「そうは思わない」という人は、完全に洗脳されて頑張っている人だろう。そういう人との対話は時間の無駄だ。