お気楽サバイバー研究所

21世紀は人類が経験したことのない「過剰」の世紀である。現在の社会の常識は崩壊する。生き方が「お気楽」に変わるのだ。

神話的空間の誘惑

2012年05月21日 | 文化
神話は物語ではなかった。神話が歴史であり科学である時代があった。近代はそれをノンフィクションからフィクションへと変容させた。そして今、人間は閉塞感の中の終わりなき日常の中を、不安を抱えながら生きている。そこにはもはや、新しい物語すら無い。すべての悲劇と破滅は繰り返されているだけだ。退屈と憂鬱にはもう慣れた。元気なのは、寂しい経済空間に憑りつかれた人たちだけだろうか。そういう人を見ていると、また大きく疲れるのだ。 そもそも神話とは人類の起源という謎に関するものだ。文明の起源という謎に関するものだ。ダーウィンは一つの人類という思想を作り上げ、神話を破壊したが、それが大いなる陰謀であった可能性は高い。一つの人類国家というアジェンダを作るたもの装置。そしてまた、他にも多くの目的を持っていたように思われる。もちろん、推測でしかないし、証明できる性質のものでも無いのだが。 >神は存在した。今も存在するかもしれないし、私たちも神の子かもしれない。ただし、神は複数だろうし、それは恐らく地球外生命だ。もしも私たちが地球生命ならば、これほどまでに生態系と不調和ではないだろうし、そのエネルギーを宇宙開発に向けたりするはずもない。 もう、現代文明の経済制度の息苦しさの中を生きるのは御免だ。支配の道具としての科学、宗教とも距離を置きたい。人生を社会的要素の中で矮小化させるようなことはしたくない。いくつもの神話に触れ、その精髄を感じて生きてみたい。奴隷化計画に隷従するのは自由だが、それは不安と盲目の中での選択だとしか言いようがない。精神と身体の回復には、まず呪いを完全に解く必要がある。そしてそれは、新しい神話の役割でもある。