お気楽サバイバー研究所

21世紀は人類が経験したことのない「過剰」の世紀である。現在の社会の常識は崩壊する。生き方が「お気楽」に変わるのだ。

発言する弱者

2012年10月01日 | 発作的発言群
一般的に、発言するのはいつも強者である。
弱者の声を代弁するのも強者である。
弱者は語る言葉に乏しいし、弱者の声に耳を傾ける者は少ない。

ソーシャルメディアの時代となり、フェイスブックでは勝ち組達が自慢話に花を咲かせる。2ちゃんねるでは負け組達が怨嗟を吐き出す。しかし、言説は未だに一部の強者が握っている。弱者である私としては、弱者の生の言説を聞きたいのだが、弱者には実名を出せない事情がある。歴史、政治、経済についての知識の不足や、誰も聞いてくてないだろうという諦めなどがある。弱者は言説を投げかけることなく掃き溜めに石を投げて憂さを晴らして終わることが多い。

弱者は今、なぜか「自己責任」と言われそれに納得してしまう。強い者に対して反論ができない。信じられる代弁者が身近にいない。巻かれたくなくても、半ば自動的に長い者に巻かれてしまう。

強者の戯言は格言となり本となって強者をますます富ませる。弱者はそれを読んでますます無力さを感じ、むだな努力をして貧しくなる。そういう世界を見ていて、私はとても悲しくなるのだ。

私は弱者の代弁者ではない。私自身が弱者として発言すること。ここを立ち位置にして語りたいのだ。常識やキレイ事に騙されることなく、生きる権利を主張したいのだ。新しい時代の思想を紡ぎたいのだ。

経済システムや社会理論を大上段から考えようとは思わない。そうではなく、日常の中のルーティンを変えて行くこと、文化を変えること、それが大きな変革のきっかけになるような気がしている。

私は病気と能力の不足ゆえにあがいている。何をして何をしないのかの峻別が出来ていない。だから、このブログがまだあるのかもしれない。未整理のものを未整理のまま出していたりもする。しかし、時は待ってはくれない。弱者はなりふりになど構っていられないのである。