深川の芭蕉庵から芭蕉は、川で千住で行ったんだ。当然、北に行くのだから北千住だね。わざわざ大川を江戸側には渡らない。
そんなことないもん。何か事情があって、右岸についたかもしれないじゃん。
見出し画像の新大橋を望みながら、歩みを進め、芭蕉記念館に行きます。
この場所の近くに芭蕉庵があったということで、松尾芭蕉に関する展示を行っています。ちなみに博物館の日の無料イベントには参加していなかったようです。
松尾芭蕉は、俳聖で著名なので今更説明は不要かと。
寛永21年(紀元2304キリスト暦1644)~元禄7年(紀元2354キリスト暦1694)
ちなみに、歴史上の年号の記載ですが、原則は元号かなと。それだと不便なので、連続的な紀年法を併記はします。日本のことであれば神武紀元(神武天皇即位紀元)が適当であろうかと。お寺に関することなどは、仏暦(釈迦入滅紀元)を併記することもあり、それに併せて通用という意味でいわゆる西暦(キリスト誕生紀元)を併記しています。
キリスト暦も実際の生誕年であるかは定かではないし、国際的にも仏暦を使用している国、イスラム暦を使用している国もあるということは現実ですね。ここでは通用度を優先という考え方は採っていません。西暦という表現であえて宗教色を消し去るのもおかしな話なので、キリスト暦と表示しています。
話が反れましたが、芭蕉記念館の入口にはバショウが栽培されています。松尾芭蕉の芭蕉は、この植物からきた俳号です。「はせお」とも言ったそうですけど。
バショウの原産地は不明だそうですが、英名はJapanese banana というそうですね。
シーボルトが日本で「発見」し、ヨーロッパに伝えたからだとか。
実にはバナナのような果肉がないので、食用にはならないそうです。
沖縄では、芭蕉の葉鞘の繊維を使い、芭蕉布という布が作られていたそうです。
昭和49年(紀元2634キリスト暦1974)に国の重要文化財に選定されたとか。
松尾芭蕉というと、奥の細道。奥の細道は、芭蕉庵を引き払い、舟で遡上からはじまっています。
千住で降りたとあるのですが、それが冒頭のナマムスとの「論争」
まあ、私は、北千住派ですが。
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