りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 本日はナマムスはお休みです。

 堅川の近くにある江島杉山神社。江戸時代の鍼灸師 杉山和一を祀ったものだとか。

 杉山和一(すぎやまわいち)は、伊勢の国で武家の跡取りとして生まれますが、病気で失明してしまいます。

 17歳の頃、鍼師を目指し、江戸に上がりますが、上達せず破門されてしまいます。

 そのため、江の島弁財天の岩屋に籠り断食修行をしますが、何も着想しません。

 それではと入水するところを止められ、訳を話している最中に筒に入った松葉が刺さります。

 あれ、痛くないぞと着想したのが、管鍼法(かんしんほう)。

 現代では、鍼治療のほとんどがこの方法となっているそうです。

 その後、杉山は京に上り、管鍼法を確立させ、江戸に戻り開業します。

 評判となった杉山は、将軍綱吉の病気治療に関わり、平癒させます。

 喜んだ綱吉は、杉山に何か欲しいものはないかと聞くが、その答えは「一つでも目が欲しい」と。

 困った綱吉、目は無理だが、一つ目に土地を与えようと拝領したのが、この土地とのこと。

 杉山は、この場所で、杉山流鍼治導引稽古所を開設します。これは、按摩・鍼技術の取得教育を主眼とした恐らく世界初の視覚障害者教育施設だとされています。ここでの教育は系統的に行われており、鍼灸師を輩出したとのこと。

 また、綱吉は、江の島弁財天へ参詣を続ける杉山に配慮し、当地に勧請することを許可しました。その後、

 その後、明治時代となり、幕府から拝領した土地は接収されました。

 しかし、弁財天を祀った神社は、「神社」との理由で、接収を免れ、江島神社と改称。その後、摂末社として杉山本人を祀る「杉山神社」も創建。

 昭和27年、両社は合祀し、「江島杉山神社」と改称します。

 境内内には、杉山和一記念館がありました。

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