観光用の解説看板、あまりありすぎると有難みが薄れるね。
両国橋周辺は、例の観光用の看板が鬼のようにあります。
曰く、四十七士が休んだ、回向院の正門だった云々。一つの場所に3枚の看板が設置されていた場所もありましたが…。
そんな場所の一つ、見出し画像が、堅川に戻ったところの一之橋です。
堅川の開削は、低湿地である本所の排水と掘った土による陸地の補強、嵩上げの意味があったとのこと。湿地の開発はこのように行われたわけですね。その結果、城東は立派な土地になったのですから、インフラ整備は、長い歴史の中で培われたものだということを実感します。
二つ目の写真は、塩原橋。
塩原太助にちなんでいるのか。
木目調の橋げたがいい感じです。
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