りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




観光用の解説看板、あまりありすぎると有難みが薄れるね。

 

 

 
 

見ない人ははじめから見ないけどね。

 両国橋周辺は、例の観光用の看板が鬼のようにあります。

 曰く、四十七士が休んだ、回向院の正門だった云々。一つの場所に3枚の看板が設置されていた場所もありましたが…。

 そんな場所の一つ、見出し画像が、堅川に戻ったところの一之橋です。

 堅川の開削は、低湿地である本所の排水と掘った土による陸地の補強、嵩上げの意味があったとのこと。湿地の開発はこのように行われたわけですね。その結果、城東は立派な土地になったのですから、インフラ整備は、長い歴史の中で培われたものだということを実感します。

 二つ目の写真は、塩原橋。

 塩原太助にちなんでいるのか。

 木目調の橋げたがいい感じです。

前の記事へ両国近辺?を歩きました!記事一覧次の記事へ



コメント ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする


   記事一覧画像一覧フォロワー一覧フォトチャンネル一覧