りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 新御茶ノ水から湯島・寶娘のスタンプをGET。ちょっと松坂屋に立ち寄った際、目の前の交差点で、広小路亭と風月堂本店を見つけて撮ったのが、見出し画像。風月堂は中野にもあったのですが、残念ながら撤退してしまいました。

 次のスタンプは、北千住・千代田蔵。千代田蔵の醸造元の太田酒造さんは、太田道灌さんの末裔だそうです。

 そして、北千住のマルイのことりマルシェに立ち寄ります。

 ここで、妻へのお土産。ことりグッズを山のように買いました。

 でも、汚れると嫌なので、使わないと話していました。

 ま、それはそれかな。

 日比谷線から上野を経由して浅草に向かいます。

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 お店の看板が出ていないので、見出し画像のメニューを目印にすると良いでしょう。

 看板が出ていないというより、昔は出てたんだけど、どうしちゃったかねというような空気感の地域密着系の定食店という店構え。

 メニューにあるとおりカレーが主体だそうですが、水曜日はカレーを作るインドシア出身の方がお休みなので、違うメニューとのこと。

 時にはラーメンを出したり、御年80を超えるお母さまが和食を作ったりすることもあるとのこと。

 料理は人なりのスモールビジネス感が魅力ですね。

 今回、いただいたのが、そのインドネシアの女性が作るというインドネシアカレー。ココンナッツミルクがスパイスと旨味の魅力を演出します。

 グリーンカレー的ではありますが、その臭みみたいなものはない感じでした。

 近くに住んでいれば通いたくなるお店ですね。

 



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 愛宕山のふもとにある青松寺の立派な山門に鎮座されている”仁王様”?

 実は四天王だそうで、格が上でいらっしゃるのですね。

 そういえば鎧のようなものをつけている感もありますね。

 仁王様は力士なので、裸形のことが多く、その生命力感が見事だったりはしますが。

 4体の神様が寺を守護している様もなかなか圧巻です。

 四天王は、増長天、持国天、広目天、多聞天(毘沙門天)です。

 増長天は、インド神話に登場する雷神インドラ(帝釈天)の配下で仏の世界を支える須弥山(しゅみせん)の南方を守護するとされます。

 公式HPでは、「世界の南方を守護する。五穀豊穣を司る。やり、戟を持つ。」とあります。

 

 多聞天は、毘沙門天ともいい、北方を守護するとされます。公式HPでは、「夜叉を率いて世界の北方を守護する。毘沙門天ともいう。仏の道場を護って説法に耳を傾ける。剣と宝塔を持つ。また福徳を司るとして個別に信仰されている。」

 日本では七福神の一柱として信仰されるので、身近な神様ともいえましょうか。

 神楽坂の善国寺も毘沙門天を祀っています。

 日本橋七福神では、末廣神社が毘沙門天ですね。第4期のときにも、伺いました。

 インドではクーベラと言われ、財宝神として、戦闘的なイメージはなかったとのこと。

 北方の守護者としての毘沙門天のイメージは、インド中心部から離れたガンダーラや中央アジアにて形成されたとのことです。

 ガンダーラというとゴダイゴの歌を思い出すのですが、現在のパキスタン北西部なんですね。

 中央アジア近くというと、アレキサンダー大王の遠征やムスリムなど宗教上の争いがありそうですね。現在でも文化財が破壊されたなどという話も耳にしますが。

 広目天は、西方を守護する者。もともとは、サンスクリット語で、「種々の眼をしたもの」「不格好な眼をしたもの」という意味だったのが、千里眼と拡大解釈をされ、広目天となったとか。

 ちなみに、公式HPでは、「浄天眼をもって観察し、世界の西方を守護する。悪心をいさめ、仏心を起こさせるはたらきを司る。」と解説されています。

 筆と巻物を持つ姿はなんらかの関係があるのでしょうか。

 持国天は、東方を守護する者。刀を持つ姿が仏敵を威嚇します。公式HPでは、「国を支える役を司る。」んーそのまんまですね。

 青松寺は、大変立派な山門をお持ちです。ちなみに愛宕山傍にそびえる愛宕山グリーンヒルズの再開発は、青松寺の働きかけにより始まったとか。

 

 

 

 江戸時代には西国諸藩の藩主や家臣が江戸で死去した際の菩提寺を務めたとか。

 現在も、様々な人材の育成などを図られているようです。

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 再び新お茶の水方面に戻るために、移動していた際にみかけた立派なお社。

 太田道灌の娘が疱瘡にかかり生死の境を彷徨った際、京都の一口稲荷神社(いもあらいいなりじんじゃ)に回復を祈願したところ、回復したとのこと。

 一口稲荷神社というと、「やっぱりカレーは金曜日だよね」がある一口坂を思い出します。疱瘡が猛威を振るった昔には、よく信仰されたのでしょうね。

 道灌は一口稲荷神社を勧請し、旧江戸城内に祀ったとか。

 その後、江戸城改築のため、聖橋南側の東側に遷座。

 昭和6年(西暦1931年紀元2691年)に御茶ノ水駅の総武線拡張のため、現在地に遷座したとのこと。

 神社前には、御神木でしょうか、大きな木がそびえていました。

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 愛宕神社から、青松寺方面に階段をおりてくると、マンションの傍をすぎ、上を指さす赤子の像があります。これは、お釈迦様が生まれたときのお話を描いたものですね。

 お釈迦様は、生まれた後、すぐに7歩歩かれ、天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と話されたとか。

 よく、ソリが入ったジャイアン系の皆様が、自分だけがエライと意味で、この語を使われるようですが、宗教的には違うようですね。私は凡夫なので、よくわかりませんけど。

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