実家の母が亡くなりました。
先日 四十九日の法要も済ませ 少し落ち着いてきました。
何となくブログを書く気持ちにもなれず・・・。
だけど 母の事 自分の為に少し書きとめておきたいなと思えるようになりました。
私は父方の祖母、母にとってはお姑さんとの同居家族でした
7歳まで一人っ子で その後 弟と妹が出来るなんて思いもせずに 甘やかされて育ったんです。
と言っても甘やかしたのは祖母で 母は厳しい人でしたから
祖母の猫可愛がりと毎日闘っていたようです。
私はと言うと我侭娘なので 悪い事をしても祖母にかばわれて「ごめんなさい」が言えない子供
よけいに母に叱られました。
母もヒステリックに怒るもんだから もう鬼のようで^^;
それに 今も不思議なんですが 私は両親と川の字で寝た記憶が無いんです
私はずっと祖母の部屋で 祖母と二人で寝ていました・・・一人っ子なのにです。
だけど祖母と母が喧嘩をしているのは見た事は無いので 母はかなり我慢していたんでしょうね。
大人になって分かる事ですが 子供の頃は分かるはずも無く
「自分は本当に母の子供なんだろうか?」「私が死んだら母は泣くんだろうか」なんてよく思いました。
きっと 母はストレスをたくさん抱えて 我慢をしながら生きていたんでしょう。
そんな母は 他人を甘やかさない人ですが 自分も甘えない人で
99歳まで長生きした祖母の介護をやり遂げました。
本当に偉い母です。
でも心がいつも忙しかったのか 私の話をあまり聞いてくれなくて
私の話し相手は父でした。
自分でもお父さんっ子だと思っていたし 母とは何となく気が合わないと思ってました。
自分が結婚して初めて母とも色々話すようになり 母の色んな事情を理解し共感できるようになったんです。
そうなってみて思い返すと
母は随分私を可愛がってくれてたんですよね・・・。
部屋中に毛布やシーツを張り巡らせて真っ暗にして基地ごっこをしても叱りもせず
反対に手伝ってくれたり。
工作のりに絵の具を混ぜて綺麗なのりを作ってくれたり。
人形の服を縫いたいと言うと5歳や6歳の私に針の使い方も教えてくれました。
中1の頃には自分のスカートやワンピースの縫い方も教えてくれました。
そうなんです 面倒な事を面倒がらずに付き合ってくれてたんです。
はたして自分はどうなんだ?といつも反省してしまう^^;
他人に迷惑をかけない 自分の事は自分でする が一貫した躾けで
あまり細かい事は言われなかった と今になって気付きます。
少し頑固で偏屈な所のある母だったけれど 上辺だけじゃない優しさを持ってた母。
親切だけれど親切の押し売りはしない母。
凄く頑張った母・・・なのに祖母が亡くなってやれやれ自由になったと思ったら
大きな病気になっていました。
介護の忙しさに紛れて自分の身体が悪くなってるのに気付かなかったんですね。
なんだか悔しい。
直接の死因となった病気では7年半の闘病でした
抗がん剤治療の合間 調子の良い時を見計らって温泉旅行にも何度か行きました
楽しそうにしている子供や孫の様子を見て嬉しそうにしていた母。
今もその笑顔が思い出されます。
入退院も16回を数えて 今回17回目の入院!
亡くなる前日の夜まで病室で元気にしていたんです
もう1週間ほどで退院できるかなぁ なんて言ってたんですが・・・。
突然の急変であっと言う間の最後でした。
何か声をかけたいけれど たくさん言いたいことが有るはずだけど
名前を呼ぶ事と「ありがとう」しか言えませんでした。
ほんとに ありがとう。
生んでくれて そして育ててくれて
ずっと支えになってくれて 見守っていてくれて
ありがとう。
もっと色々話せば良かった もっともっと顔を見に行けばよかった
ろくに親孝行も出来ずに ごめんね。
ほんとにありがとう。
ありがとう。
・・・・・。
先日 四十九日の法要も済ませ 少し落ち着いてきました。
何となくブログを書く気持ちにもなれず・・・。
だけど 母の事 自分の為に少し書きとめておきたいなと思えるようになりました。
私は父方の祖母、母にとってはお姑さんとの同居家族でした
7歳まで一人っ子で その後 弟と妹が出来るなんて思いもせずに 甘やかされて育ったんです。
と言っても甘やかしたのは祖母で 母は厳しい人でしたから
祖母の猫可愛がりと毎日闘っていたようです。
私はと言うと我侭娘なので 悪い事をしても祖母にかばわれて「ごめんなさい」が言えない子供
よけいに母に叱られました。
母もヒステリックに怒るもんだから もう鬼のようで^^;
それに 今も不思議なんですが 私は両親と川の字で寝た記憶が無いんです
私はずっと祖母の部屋で 祖母と二人で寝ていました・・・一人っ子なのにです。
だけど祖母と母が喧嘩をしているのは見た事は無いので 母はかなり我慢していたんでしょうね。
大人になって分かる事ですが 子供の頃は分かるはずも無く
「自分は本当に母の子供なんだろうか?」「私が死んだら母は泣くんだろうか」なんてよく思いました。
きっと 母はストレスをたくさん抱えて 我慢をしながら生きていたんでしょう。
そんな母は 他人を甘やかさない人ですが 自分も甘えない人で
99歳まで長生きした祖母の介護をやり遂げました。
本当に偉い母です。
でも心がいつも忙しかったのか 私の話をあまり聞いてくれなくて
私の話し相手は父でした。
自分でもお父さんっ子だと思っていたし 母とは何となく気が合わないと思ってました。
自分が結婚して初めて母とも色々話すようになり 母の色んな事情を理解し共感できるようになったんです。
そうなってみて思い返すと
母は随分私を可愛がってくれてたんですよね・・・。
部屋中に毛布やシーツを張り巡らせて真っ暗にして基地ごっこをしても叱りもせず
反対に手伝ってくれたり。
工作のりに絵の具を混ぜて綺麗なのりを作ってくれたり。
人形の服を縫いたいと言うと5歳や6歳の私に針の使い方も教えてくれました。
中1の頃には自分のスカートやワンピースの縫い方も教えてくれました。
そうなんです 面倒な事を面倒がらずに付き合ってくれてたんです。
はたして自分はどうなんだ?といつも反省してしまう^^;
他人に迷惑をかけない 自分の事は自分でする が一貫した躾けで
あまり細かい事は言われなかった と今になって気付きます。
少し頑固で偏屈な所のある母だったけれど 上辺だけじゃない優しさを持ってた母。
親切だけれど親切の押し売りはしない母。
凄く頑張った母・・・なのに祖母が亡くなってやれやれ自由になったと思ったら
大きな病気になっていました。
介護の忙しさに紛れて自分の身体が悪くなってるのに気付かなかったんですね。
なんだか悔しい。
直接の死因となった病気では7年半の闘病でした
抗がん剤治療の合間 調子の良い時を見計らって温泉旅行にも何度か行きました
楽しそうにしている子供や孫の様子を見て嬉しそうにしていた母。
今もその笑顔が思い出されます。
入退院も16回を数えて 今回17回目の入院!
亡くなる前日の夜まで病室で元気にしていたんです
もう1週間ほどで退院できるかなぁ なんて言ってたんですが・・・。
突然の急変であっと言う間の最後でした。
何か声をかけたいけれど たくさん言いたいことが有るはずだけど
名前を呼ぶ事と「ありがとう」しか言えませんでした。
ほんとに ありがとう。
生んでくれて そして育ててくれて
ずっと支えになってくれて 見守っていてくれて
ありがとう。
もっと色々話せば良かった もっともっと顔を見に行けばよかった
ろくに親孝行も出来ずに ごめんね。
ほんとにありがとう。
ありがとう。
・・・・・。