フィールド最前線! 農業がリードして利根沼田を元気に 山口浩輝のブログ

地方を元気にするのは夢と起業!利根沼田は無限ポテンシャルを秘めたフィールド(畑・領域)で日本一の地方を目指そう

村田光貴さんという農業者との・・・

2012-01-20 22:25:01 | 全国放浪記
山口浩輝です

陸前高田で農業を営む

村田光貴さんから伺った話

先にも述べたように

ホントに書けることと、書けない事がある


まず、彼は現役の消防団員でもあった

その話はまさに被災現場そのもの

そして、サバイバルそのものだった

普通に暮らしていれば、あらゆるインフラがあって

警察や消防はすぐに駆けつける

いわば秩序が保たれた状態ではない

そして、様々な状況判断を迫られた事と思う


幸いにも、地震があった瞬間は高田にはいなかったようだが

彼と数時間会っただけでも、生きていてくれた事が嬉しくなるくらい

とても身近に感じたし

魅力的な人間だった


そして、農業者としても厳しい状況に直面した

栽培していた果樹園は津波の被害を受けて

りんごが樹ごと流失してしまった


同じ果樹生産者としても、彼の絶望感は痛いほどわかる

果樹にとって樹を失う事は、それなりの状態にするまでに5年

同等なレベルまで戻すのに10年はかかる

それくらい”樹”は生産の源だからだ


唯一無事だった畑も、その土地の持ち主が亡くなってしまったため

結果的に栽培が出来なくなってしまった

このときも、土地の所有権ではなく

耕作者としての権利についても深く話しをした

今後の農業にとっても大切な話だ


3時間くらいだったが、彼とは色々と話ができた

そして、彼はいったんこの地を離れ

別の場所で新たに農業を始める決断をしたとのこと・・・


もしかしたら、色々な意見があるとは思う

彼も苦悩の日々があったことだろう

でも、私は彼の決断を応援したい

これからは国内だって海外だって

同じフィールドになる

拠点が二つ出来たとしたら

それはとても素晴らしい事で

この先数十年農業をやるのであれば

選択肢は無限にあっていいはずだ!!!


そして、どこで農業をやったとしても

自然という相手と向き合っていかなくちゃならない事には変わりない


村田さん、お互いがんばりましょ!


奇しくも、彼はこの翌日に高田を離れるのだという

私がここを訪れるのが1日遅れていたら

きっと会うことは無かっただろう

ホントに不思議な縁だ


そしてそして、サプライズはこの後も起こる

私の音楽(特にジャズ)つながりの皆さん

次回は必見ですよ!!!!!(コメント待ってます)


つづく









三陸地方の4Hクラブ会長・村田さんとの出会い

2012-01-20 14:10:53 | 全国放浪記
山口浩輝です

しばらくスキー場へ行っていたもので

帰宅すると疲れが出てしまい

夜はスイマーに勝てず・・・

しばらく

ご無沙汰してしまいましたが

続きを書きます


3日目は大船渡を出て南下

再び陸前高田へと戻りました

ここでは、初日の山崎シェフにご紹介いただいた

農業青年の村田光貴さんとアポを取っていた

度重なる遅延の連絡にも、快く応じていただいて

それだけでも感謝だったのに

彼からも多くの話を聞けた

その内容は、壮絶なものがあって

私がここで書くことが出来るものと出来ないものがあるが

触りだけでも触れられればとは思う


まずは村田さんの紹介

彼は三陸地方のいくつかの市町村にまたがる4Hクラブの会長とのこと

元は新規就農で高田に入ったそうで

すべて借地でりんごを中心とした果樹と米やイチゴなどを

無農薬~減農薬で生産販売しており

また、地域の特産物を定期的にお届けする

「三陸気仙のふるさと便プロジェクト」も主催している

とても気さくな人柄で

私も会ってすぐに意気投合してしまった!!!


彼とは、何もなくなってしまった大船渡線の竹駒という駅の跡地で落ち合った

そして近くのプレハブ小屋で営業再開していた喫茶店に入った

ここでまた、想像もしなかった出会いが生まれるのだが

村田さんの話とそこで起きた事は

また次のブログで・・・!

お楽しみに

三陸町・越喜来にて、政治と子供の安全を再考してほしいと思う

2012-01-17 23:21:27 | 全国放浪記
山口浩輝です

今日は阪神大震災のあった日

もう17年前になる


この17年間でM7クラスの地震は

国内だけでも7,8回は起きている

また何時起こっても不思議ではない

日本はそういう国だということだ


今回は三陸町の越喜来という地区

復旧は各所でだいぶ進んでいるが

やはり壊滅的な所は凄惨な状況

とにかく何もない・・・

こちらはおそらく役場とか公的な機関の建物だと思う

心が痛くてたまらなくなる

今まででもそうだが、やはり絶対安全であって欲しい

役所や公共機関

そして何より未来の子供を守るべき学校などは

最大のリスクマネジメントをして欲しい

大槌町や陸前高田などでも感じたが

あそこまでの被害は、いくらお金があっても民間では到底不可能なレベルの被害

正直、政治の力は不可欠だ

(ここでは唯一、政治の話にも少し触れてきた)

私の町でも、学校施設は耐震補強などをやっている

(市役所はヤバイらしいが・・・)

各所で色々な方々がご尽力されているのは重々承知している



学校だけは、絶対に想定外なんて事が起きないくらい

やってほしい

これは政治を司る方々に

真にお願いしたい


この地区には、津波からの避難経路を提案し続けた市議会議員がいたそうで

結果、この小学校の生徒は校舎が全壊しても無事だったとのこと

詳しくはコチラ

世の中、少子化であはるが

これは制度だけの問題じゃなくて

未来への希望そのもののイチバンの形が

「子供」なんだと思う

平和ボケしていて、「死」と云うものが身近でなくなったため

「自分が必ず死ぬ事」と「それが何時起きうるか判らない」という

人間として当たり前のことを

忘れてしまっているのではないかと

その時、ふと思った


続きます・・・






三連チャン終わりました

2012-01-16 17:53:36 | わたくし事ですが・・・
こんばんは、山口浩輝です

飲み会が三日続きまして

ちょっと更新が途絶えてしまいました・・・


金曜日はPTA新年会

土曜日はスキークラブ新年会

そして日曜日は地元どんどん焼きと

消防団の次期役員を決める会議・・・


体がしんどかったけど

無事に終了!!!

今年はお酒の量を減らそうかな?・・・ムリか(笑)


自分の色々な判断が良かったのか悪かったのかは

これから判ってくるけど

信じた事はやり抜くしかない

私利私欲だけの判断をしているわけじゃぁないからね!


さて、ちょっと前だけど、気になったニュース
宮城の被災農地をつかって大規模な実験農場を作るとか・・・

これもどうなのか難しい問題だけど
(マスコミは何とも評価していない)

こういう状況にいち早く対応できる状態にいつかなりたいものではある

先端技術を追求する事は、農業にとってはとても大事な事だが

それよりも先にやるべきことは沢山ある事は間違いない


さぁ、今夜は妻がダウンしているので

子供と食事を取ってから

引き続き、被災地のレポート書きます


いつも以上に多くの方に読んでいただいているようなので

とってもありがたいです

それでは、また後程!








三陸とれたて市場 その2 松本さんとの・・・

2012-01-13 23:17:36 | 全国放浪記
山口浩輝です

三陸とれたて市場さんでの続きを書きます

ここでは、(私が推測するに№2の)松本さんという方が

年明けの貴重な時間を割いていただき

私の対応をしてくれた(ホント感謝です)

社屋は取り繕った痛々しい外観だが

そんな事はどうでもいい

様々な震災後の対応で

名刺もまだ作っていないという

それもまた、私にはどうでもいいことだった

まさに価値観の変化

私はこれから見聞きする事すべてを、しっかり刻もうと思っている状態においては

肩書きも社屋も名刺も、メモ書きも必要なかった


通されたオフィスは、外観とは裏腹のキレイな内装で

津波で流された骨組みから

漁業関係者(ようはプロの大工ではない)の方が

作ってくれたとのこと


やっぱサバイバルは、自分の手持ちが全て発揮される

生きていくということは、本来そういうことだ


対応してくれた松本さんは

静岡出身で、元大手メーカーの技術職

やはり切り口が独特のものがあって

新鮮だった


とにかく彼とは時間を忘れて色んな話をした

震災から始まり、

流通の形態

地方のこと

リスクマネジメント

そして何より

大きな将来のビジョンと

多くのジレンマを共有できた(笑)


詳しい事は書かないし、書けない

(個人的に聞いてくれれば教えますよ)

私自身も、ホントにどーでもイイ価値観を

捨て去る良いキッカケを与えてもらったくらいだ!


誰かの幸福の為に仕事をする事の意義と素晴らしさを

とにかく具現化していくことは

地方における我々マイノリティーの役割かもしれないと

私だけ勝手に思ったりもした・・・


スミマセン

この記事はホント抽象的すぎますね









三陸町・越喜来の”三陸とれたて市場”にて その1

2012-01-13 22:37:39 | 全国放浪記
山口浩輝です

ちょっとブログの時間軸が前後しましたが

翌朝に再び大槌町に行く前に

宿から程近い越喜来地区にある

”三陸とれたて市場”という

webを中心とした販社の

松本さんという方とアポを取っていた

この会社は、この地域で真っ先に営業開始したそうである

というよりも

真っ先に”復興へ向けて立ち上がった”と表現したほうが良いかもしれない

私も地方において、しかも自然災害と向き合う仕事をしているから

知りえる部分もあるが

基本的には、自然災害に対しては

”諦めてしまう”のである・・・


それは別に否定するつもりも無い

そうやって、理不尽な自然と向き合い

しかし生きる為の”食”という根源を

途絶えさせない産業として継続させてきたのだと思う


ただ、今は少し様相が違う

それは色んな意味合いがあるとは思うが

地方の年齢構造は都会のそれとはまた違った

独特の歪みを抱えている


そんな中で、この三陸とれたて市場さんが真っ先にアクションを起こしたということは

私はホントに心に響くものがあった

それは

復興食堂で感じたものとは

全く違う側面がある

私も日々感じているが

地方においての

「マイノリティー(少数派?)の意地」

みたいなものだと思う・・・・・


スミマセン

ここまで上手く表現出来ないとは

ボキャブラリーの無さを実感


続きを改めて書きます






三陸町越喜来の宿にて

2012-01-13 00:38:16 | 全国放浪記
山口浩輝です

三陸の越喜来という漁村の

あづま荘という宿にて宿泊

被災地もいよいよ3日目へ突入

アポイントの多さと、三陸の曲がりくねった道と

何よりも得られる経験の多さに

どういう訳か疲れが溜まらない

とても不思議な感覚・・・


それにしても、この宿は素晴らしいロケーション

海が目の前で、日の出は絶景だった

高台にあるのだが

被害が無かったのが不思議なくらい海が近い

やはり三陸は、場所によって被害規模が全然違う

翌朝に、南部さんからメールが入る

その内容は

「お疲れさま、みんないいヤツでしょ?
 悲しみも喜びも全部吹っ飛んだ者は
 語ることで自らを癒し
 自らを再構築していくのです
 明日もがんばって聞いてやってください」

との事

ここに来て、ようやく私自身が

この震災と向き合えているような気がした

ボランティアでも無く、支援物資を持っている訳でもない私も

ようやくそれなりの存在意義みたいなものにたどり着いた気がした


話を聞きに来たのだし、そんな事にでも価値があったのかもしれない


そういえば、今までかなり多くの事を

被災地の方が積極的に話してくれた事を改めて実感した


この後も、まだ出会いが盛りだくさんだった

次は「三陸とれたて市場」という被災した会社へ向かう

続きます・・・


大槌町 その2 翌朝に知った全容・・・

2012-01-12 23:47:54 | 全国放浪記
山口浩輝です

怒涛の2日目から3日目へ

翌朝に再び、明るくなってから大槌町を訪ねた

今回は画像中心です

とにかく・・・・凄かった・・・

まずは昼間の大槌町の復興食堂の外観
周りを見れば、これだって立派な住民の憩いの場だ


それくらい、この辺りには、何も無い

夜になれば明かりも無い

ちょっと離れた所だが

この建物、5階の窓まで全て割れている・・・

津波の高さは想像を絶する・・・

このほか、とにかくひどい


私が見て回った中で、間違いなく最大級の被害

これが、ほんの10分くらいのうちに波に飲み込まれた被害とは・・・

ホントに信じられない


大槌町にて その1 サイコーの”復興食堂”・必ず立ち寄って欲しい場所

2012-01-12 22:16:24 | 全国放浪記
山口浩輝です

続きを書きます

2日目の夕刻、日もすっかり暮れた

漆黒の闇の中

なんとか大槌町に到着

この日は真っ暗で判らなかったが

翌日になって、この地区の被害というのは

こちらも想像を絶するレベルだったが、それは次のブログで・・・


目的地の「復興食堂」は

南部さんの言うとおり

”行けばわかる”そのものだった

その意味は2つ

まず1つ目は、周辺にそれらしい明かりがあるところがココしかなかったため

一発で発見できた

テント張りの簡単な作り(そりゃ仕方ない)

中には入れたばかりだという薪ストーブ

そしてさっそくスタッフに群馬から来た経緯を話すと

とっても気さくに対応してくれた

しかも常連客?だかスタッフなのかビミョーな岡野さん(シゲさん)は

私と同席して、色々と話をしてくれた

店のスタッフの方々も、空いている時間を作っては私の席に来て話をしてくれた

一人旅という事もあってか、なんというか

これほどまでに厚い待遇を、今まで受けたことが無いかもしれない

というくらい

だけど

私はあまりしゃべっていないし、質問もしていない

なのに

彼らは被災直後の凄惨な体験

津波の話や犠牲になった身内の話など

私からはまず質問できないだろうなぁという体験談を

とにかく語ってくれた!しかも時折冗談交じりに・・・


さらに、ここからどんどん盛り上がり

最後のお客さんが帰ると

「山口さん、今から店閉めるから、みんなで飲もう!!!」

となってしまい

結局は、宿に着くのが午前様になりそうな勢いで盛り上がった(笑)

しかも、前日もかなり飲んでいたのだとか・・・

とっても陽気なスタッフ(夜の部の方々のようです)

とにかく、彼らのバイタリティーと人間としての魅力は素晴らしかった

私も地方の人間だから判るが

何か新しい事を始めたりするには、

思いもよらない高いハードルが出てきたりする

でも、彼らの「復興」への執念はとてつもない

ただ行政や外部の人間を頼ったりしているのではなく

今出来る事全てを、全力で取り組んでいる

まさにそのものだった!


彼らの情熱があれば、時間はかかっても

大槌町は必ず復興すると確信している


私も、出来る限りの応援はしていきたい

というか

もう一度、飲みに行きたい


大槌町に行く機会がある方は、ぜひココを訪れる事をおススメする

昼間は元気な女性達が、夜はアツくて気さくなスタッフが出迎えてくれるはず


南部さんが

「とにかく行けばわかる」といった言葉の

もう1つの意味がはっきと解った!!!






岩手県大槌町の”復興食堂”へ向かう

2012-01-11 18:25:51 | 全国放浪記
山口浩輝です

続きを書きますね

日も暮れて、宿に戻って夕飯がちょうど良い時間となったが

色々考えた上で、食事をキャンセルして

大槌町の”復興食堂”なるものを目指す事にした

後ろめたい気持ちで宿に連絡を入れると

「はじめから素泊まりの予約だった」とのこと(笑)

手配してくれた”三陸とれたて市場”の八木社長に改めて感謝!!!

心おきなく大槌町へ向かう

日の暮れた暗い道を進む途中に

(表現は悪いのですが)ゴーストタウンのような釜石市も通過した

そしていよいよ大槌町へ

漆黒の闇の中で、その時は詳細がわからなかったが

ここは南部さんからとにかく行けと言われていた

詳細も所在地も言わなかった

とにかく行けばわかるとしか聞いていない

その言葉をただ信じて

行ける所までま自力でと思っていたら

案外、あっさり到着できた・・・

つづく

いつもご愛読いただきありがとうございます

私の故郷・旧白沢村
裏にある雨乞山山頂からの眺め
日本一の河岸段丘!!!タモリさんも絶賛した 上州・沼田が誇る絶景