どうなんでしょうね? 私は見たこと無いのですが~。
幽霊と言うか、『霊魂』ですよね。
ホラ、死んだら身体から抜けて行って、守護霊として守って下さるんだ~って言う。
或いは、真夜中の墓場とか、自殺の名所なんかでバッタリお会いしちゃったって言う。
これ、かなーり昔から専門家が科学的に検証したり、仮説を立てたりしていますね。
亡くなりそうな方を寝かせたベッドに精巧な重量計を仕組んで測ったら、亡くなった瞬間に僅かながら軽くなったので、霊は質量を持った、れっきとした『物体』だ、とか。
僅か過ぎて、誤差の範囲なんですけどね。
前世の記憶を語り、生まれ変わりを主張する方もみえます。瞬間的に地球規模の移動をするから、四次元の物体ではないか、とか。
この説は、n次元の物体の断面は(n-1)次元だと言う論拠で、例えば我々が暮らす三次元の物体が二次元の世界と交わった時、接する面は二次元であり、二次元の世界から消えたり、瞬間的に移動した様に見えたりすると言う仮説。んー、なんとなくそうなのかなと思っても、四次元の人から話を聞く事も出来ないので証明は出来ませんね。
自殺の名所では霊が呼ぶと言われたり、実際高校の先輩のお兄さんが亡くなったりもしましたが、やはり証明は出来ません。そういった場所では変な写真が撮れたりする噂も聞きますが、誰もその写真を見せてくれた事はありません。
そもそも『死ぬ』瞬間についても、誰も状況を説明出来ないんですよね。
アメリカの学者さん同士でしたか、『死ぬ瞬間は苦しむ』『いや、瞬間は全く苦痛を感じない』と真っ二つに分かれたあげく、『苦痛は無い』と言い張る側の一人がじゃあ死んで見せるから見てろ、と言って身を張ってまで証明せんとしました。
証明になりませんよね~~~~~。(´・ω・`)
つまり、これだけ文明が進んで科学が発達しても、『死』のメカニズムを世界中の誰も証明出来ていないんですよ。
では、どうして世界中で幽霊(霊魂)が昔から信じられ、霊に怯えて「きゃあああーーー」とか言って、御当地の宗教で祀られているのでしょう?
怖がりながらも、人々は心の中で「幽霊は存在するべき」と思っているからではないでしょうか。
・自分が死んでも霊として存在したい、この世から消えたくない。
・死んで欲しくなかった人が、この世から消えて『無』になったと受け入れられない。
・某かの事情により自分のせいで亡くなった人が、自分を怨んでいるに違いない。
こんな想いは、世界共通なのではないでしょうか。人間に限らず、亡くなった親族を悼む習慣は本能的に動物にあるようです。
では、死体を見て怖くなるのはどうしてでしょう?
死体からユラリと離れた霊魂が、追っかけてきて自分に憑いて殺されてしまうからでしょうか?
それだけではないと思われますね。
そもそも、動物にとって『死体に出会う』とは、どういう状況でしょうか。
・食物連鎖の上位者に襲われた
・伝染病にかかった
・災害に巻き込まれた
といった所ですよね。『死体ある所、身の危険アリ』と、遺伝子レベルで理解するのだと思います。また、腐乱した死体は大変不衛生なので、やはり近くにいるべきではありません。
宗教で祀られるのは何故でしょう。
やはり、上の水色の理由なのではないか。亡くなった人に幸せになって欲しい。死なせてしまった人に赦して欲しい。
そしてなにより、霊魂の存在云々より、故人の気持ちを大切にして敬え、と言うのが宗教上の本分ではないかと思っています。
なんだ、それじゃ幽霊なんて居ないじゃん!!
これからもう肝試しなんて余裕だね!!
……と安心させておいて、ひとつ中学生の頃の思い出話を。
当時、同じ塾に通っていた友人Bと一緒に、友人Aの家へ遊びに行ったんですよ。
A君の家の前で、二時間程ああでもない、こうでもないとだべってたんです。
ところが、B君が変な顔でチラチラと横を見るようになって、様子がおかしい、とB君を問い詰めました。
B君「なぁ、そこの家の門に立ってるおじいちゃん、おまえら見える?」
関羽曰く、そんなものはない。いや、そんな人は居ない。
何言ってんだおめぇ、と一緒に笑うA君の血の気が急に引いた。
A君「…………一昨日、亡くなったんだったわ」
…………確かに、門には『忌中』の札が貼ってある。
うふふふふふふふふふふふふ( ^-^)
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
幽霊と言うか、『霊魂』ですよね。
ホラ、死んだら身体から抜けて行って、守護霊として守って下さるんだ~って言う。
或いは、真夜中の墓場とか、自殺の名所なんかでバッタリお会いしちゃったって言う。
これ、かなーり昔から専門家が科学的に検証したり、仮説を立てたりしていますね。
亡くなりそうな方を寝かせたベッドに精巧な重量計を仕組んで測ったら、亡くなった瞬間に僅かながら軽くなったので、霊は質量を持った、れっきとした『物体』だ、とか。
僅か過ぎて、誤差の範囲なんですけどね。
前世の記憶を語り、生まれ変わりを主張する方もみえます。瞬間的に地球規模の移動をするから、四次元の物体ではないか、とか。
この説は、n次元の物体の断面は(n-1)次元だと言う論拠で、例えば我々が暮らす三次元の物体が二次元の世界と交わった時、接する面は二次元であり、二次元の世界から消えたり、瞬間的に移動した様に見えたりすると言う仮説。んー、なんとなくそうなのかなと思っても、四次元の人から話を聞く事も出来ないので証明は出来ませんね。
自殺の名所では霊が呼ぶと言われたり、実際高校の先輩のお兄さんが亡くなったりもしましたが、やはり証明は出来ません。そういった場所では変な写真が撮れたりする噂も聞きますが、誰もその写真を見せてくれた事はありません。
そもそも『死ぬ』瞬間についても、誰も状況を説明出来ないんですよね。
アメリカの学者さん同士でしたか、『死ぬ瞬間は苦しむ』『いや、瞬間は全く苦痛を感じない』と真っ二つに分かれたあげく、『苦痛は無い』と言い張る側の一人がじゃあ死んで見せるから見てろ、と言って身を張ってまで証明せんとしました。
証明になりませんよね~~~~~。(´・ω・`)
つまり、これだけ文明が進んで科学が発達しても、『死』のメカニズムを世界中の誰も証明出来ていないんですよ。
では、どうして世界中で幽霊(霊魂)が昔から信じられ、霊に怯えて「きゃあああーーー」とか言って、御当地の宗教で祀られているのでしょう?
怖がりながらも、人々は心の中で「幽霊は存在するべき」と思っているからではないでしょうか。
・自分が死んでも霊として存在したい、この世から消えたくない。
・死んで欲しくなかった人が、この世から消えて『無』になったと受け入れられない。
・某かの事情により自分のせいで亡くなった人が、自分を怨んでいるに違いない。
こんな想いは、世界共通なのではないでしょうか。人間に限らず、亡くなった親族を悼む習慣は本能的に動物にあるようです。
では、死体を見て怖くなるのはどうしてでしょう?
死体からユラリと離れた霊魂が、追っかけてきて自分に憑いて殺されてしまうからでしょうか?
それだけではないと思われますね。
そもそも、動物にとって『死体に出会う』とは、どういう状況でしょうか。
・食物連鎖の上位者に襲われた
・伝染病にかかった
・災害に巻き込まれた
といった所ですよね。『死体ある所、身の危険アリ』と、遺伝子レベルで理解するのだと思います。また、腐乱した死体は大変不衛生なので、やはり近くにいるべきではありません。
宗教で祀られるのは何故でしょう。
やはり、上の水色の理由なのではないか。亡くなった人に幸せになって欲しい。死なせてしまった人に赦して欲しい。
そしてなにより、霊魂の存在云々より、故人の気持ちを大切にして敬え、と言うのが宗教上の本分ではないかと思っています。
なんだ、それじゃ幽霊なんて居ないじゃん!!
これからもう肝試しなんて余裕だね!!
……と安心させておいて、ひとつ中学生の頃の思い出話を。
当時、同じ塾に通っていた友人Bと一緒に、友人Aの家へ遊びに行ったんですよ。
A君の家の前で、二時間程ああでもない、こうでもないとだべってたんです。
ところが、B君が変な顔でチラチラと横を見るようになって、様子がおかしい、とB君を問い詰めました。
B君「なぁ、そこの家の門に立ってるおじいちゃん、おまえら見える?」
関羽曰く、そんなものはない。いや、そんな人は居ない。
何言ってんだおめぇ、と一緒に笑うA君の血の気が急に引いた。
A君「…………一昨日、亡くなったんだったわ」
…………確かに、門には『忌中』の札が貼ってある。
うふふふふふふふふふふふふ( ^-^)
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
お国によって多少、スタイルは違いますけれど、アジアでもアメリカでも欧州でも、おそらくアフリカの奥地でもそういった霊的なモノに対する畏れや信仰はありますね。
科学が進んで、存在の有無が証明されちゃったとしても、そこでそういったものが人類から消えるとは思えません。
何故なら、自分が死んだ後も、人間は”この世”のことを忘れたくないと考える傾向にあるからです。
あんまり科学科学と証明されちゃ詰まらんですから
それでなくとも今の若い世代はバーチャルならぬ擬似体験で
全てを知ってるような口振りっすから
なめたらアカンよ
妖怪は居るよみたいな
そんな部分があっても
どうでしょ、20世紀中盤あたりにはもう、いくつか話題になってたと思います。
ただ、いかんせん証明は難しく、反証もまた難しい。
肯定も否定も、完全には出来ないってところです。
あ。ちなみに。
実は自分自身もありましたよ。行ったことないはずの場所が夢に出てきましてね。
小学校の修学旅行で、そっくりの場所行きました(;^-^)
似てるなんてもんじゃない、まさにそこでしたわ。
奈良か京都のお寺なんですけどねー。
信じない
アメリカ人は目の前で100%証明出来れば
信じる
のだそうです
また
日本人は悪い事が起こるとそればかりを数える
アメリカ人は悪い事は忘れ良い事だけを数える
ある成功者が
人生は散歩みたいなものだ素敵な公園を歩いて居たら、ソコに犬のウンコがあった
日本人は何時までも、その犬のウンコの話をするんだよ
アメリカ人はそんなウンコは忘れて素敵な公園の話をするんだよ
ウンコ=悪い事
あの人からああ言われたのよ、悔しくて眠れなかった
でも言った奴は眠っているよ、あんたに酷い事を言った事なんか忘れているよ
そしてその奴は言うんだよ
俺はダメな人間なんだよ本音が言えなくてさって
そんな奴の為にあなたはあなたの大切な時間を裂くの?
眠ったほうが良いよ
これを最初聞いた時にはオイラもこの人何を言ってるんだろって思ったけれども
幽霊って
オイラも証明出来ないけれども
まっそういう世界ももしかしたらあるのかもね
キリストの国は生まれ変わりを信じないんだそうだよ
そんな事が有るかと
しかし
最近になって4歳位の子供が、全く知らない土地の全く知らない家の家族構成や近所の住んでる人達の事を詳細に語るんだと
そこの場所は親も行った事はないのだそうた
しかし調査してみたら、本当にその通りだった
こんな事例が複数報告され今やアメリカでは
生まれ変わりを否定していたが信じざるを得ないと
生まれ変わりを肯定的に考え出したらしい
そうなると亡くなっても魂は存在し続けると言う事があるのかも知れませんね
そうなると幽霊も居てもおかしく無いかなと
見えない世界だけに難しいですがね
「いる」ってのも、「いない」ってのも、証明のしようがない。
私ぁ、結論出すのを諦めましたねぇ。
ただ、違う考え方もあるようです。
「いる」「いない」じゃなくて、それを認識するプロセスに焦点を当てれば、これがまた面白い。
目で見るから「僕は見えるよ」って人がいるわけで、じゃあその目で見えるってのがどうやって脳が判断したか、って問題にもなります。
ま、そっちでも結論出てないから(証明できてないから)「いる」「いない」って話になるんですけどね!(;^-^)
いやぁ
大損害ですがオイラも一回ひっくり返った経験あるよ、一瞬訳が解らなくなるよねあれ。
霊能力者とは行かない
まっ見えちゃう人って言うの?
この人の話を聞くと
50メートル内に約100人は居ると言いますね
ディズニーランドの混雑に負けない位の人数で、そこらに居ると言うわけだ
オイラはディズニーって行った事が無いですが(笑)
彼に言わせると
心霊写真が撮れない方のが不思議だと
それくらい居ると言うのだ
えっじゃあ天国とかじゃ無くて、あの世とはこの現世の事なのかと聞いたら
違うと
彼らが言うには、未練たらたら不平不満たらたら、自殺、道徳に無関心
これをやらかすと行けないんだと天界に
つまり
この世こそ地獄みたいですね
鬼や閻魔様が何処にいるか解りませんがね
そうなると恐山での出来事も頷けます居るんだからディズニーランドのお客様並みにゴールデンウィークとかの観光地の混雑位居るのですから
オイラはみたことは無いとは言えない
ただそれが幽霊と断言出来るかと言われたら
解らない
そんな体験も有りますが
幽霊を全く否定するのがと言われたらそれも出来ませんね
ただ一つ言えるとするなら
あんまり遊び半分で、いわゆる心霊スポットなる場所には行かない事でしょうかね
良い場所とは思えないから
知らないで行っちゃったら仕方ない諦めるしか有りませんが知っていて行くのは愚かな行為かもしれませんね
その瞬間、助手席の奴が凄い勢いで後ろ振り向いてたんですよ。
それがあんまり不審だったもので、後から「なんで?」って訊いたら
「いや、なんか、女の人が一瞬見えた気がしたから」
だそうです。
その車の、その後?
別の山道(国道)でひっくり返って、窓から這い出ましたね。(;^-^)うははは
2代目のソアラの時の友達の話し
その大人気のソアラが初代モデルだけど走行距離が1万キロにも充たないのに中古車で80万円フル装備で色は白。
これに目をつけた友達
まだ高校出てから3年目とても手がでる車じゃ無い
しかし
それがどうだ80万円。
程度もすこぶる良い新車に近い状態のソアラがしかも28GTがなんと破格値
一応、自動車に詳しい親戚のお兄さんを連れて見に行く
(゜ロ゜;お前よく見てるな~こりゃあ見っけもんだよ買いだ買い!
諸費用を入れても100万円ほどで購入出来るとあって、友達は直ぐに貯金残高を確認して契約に行った。
(゜ロ゜;本当にこんな価格で良いんすか?儲け有るんですか?
(*^O^*)大丈夫ですよ(笑)納車は約1週間で出来ます
そして
待ちに待ったソアラの納車
通勤もルンルン気分
会社の人達には羨ましがられ最高のひとときだった
しかし
約3週間目位に
その最高頂点の気分から引きずり下ろされる様な体験をしたそうな
土曜日の夜に自慢の愛車はを走らせていたら
なんか横に居る気配を感じた
そう助手席に
停車中に見てみるが居るはずも無いのだ
だから最初は
何かのライトに写し出される影か何かがそう見えるのだろう
その程度だった
しかし
自宅までの帰り道に友達はちょっと近回りをした
河川敷沿いの街灯が一つも無い暗闇の道を5分走れば自宅迄の道を大幅に短縮出来るのだ
真っ暗も楽しみの一つ
すると
今まで影か何かの錯覚だと思っていた
例の気配だが
知らない男が横に乗っていたんだそうですよ
あのとき
静岡に幽霊ソアラがあると言う噂はあった
しかし
そんなのはソアラに乗れない奴の戯言位に思って居たが
それに当たってしまったらしい
あんまり怖くなくてゴメン