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三回忌で一区切り、かな。

2011-11-14 19:08:04 | 徒然の日常
 昨日は父の三回忌でした。

 三回忌、即ち亡くなって丸二年。一周忌の翌年と言う事に違和感を持たれる方も多いようですが、数え方の違いのようです。


 亡くなった時の状況は今でも昨日の様に思い出されます。と申しますか、半ばトラウマとしてフラッシュバックを起こしますね。

 我が家には私と父の二人しか住んでいなかったので、全て私が見ることになるわけですが……厳格だった父も晩年は気が弱くなり、どうにも生きる気力を失くしてしまって、
「ワシはもうこのまま死んで行くんだ」
なんて思いもよらない事を言う様になりまして、長い時間を掛けてこんこんと話をし、やっと理解を示してくれて、これから頑張るんだ、と言う話になった翌日だったのでショックは大きいですね。

 様々な事情で救急車を呼ぶのが遅れてしまい、電話をかけに離れている間に心肺停止。そこまで悪化すると思わなかった状況の急変に驚き、蘇生措置も甲斐なく戻る事は叶いませんでした。

 実は私、救命の実技もある資格を持っていたのですが、肉親すら救えなかった事に激しく気落ちしてしまいまして。救急車で真夜中に運び込まれた病院で死亡診断書が書かれ(結局死因は特定しきれなく、一番可能性の高そうな理由を書き込まれました)、葬儀の手配をするために、親類に連絡する事になりました。

 ところが当時携帯の中に親類の電話番号が入っておらず、偶然その病院がいとこの家のそばだったので歩いて行きました。

 しかし、時刻は真夜中の一時近く。ピンポン連打して御近所に迷惑を掛けるのも憚られたため、長く間隔を置いて呼び鈴を押しましたがなかなか出てこられず、相当待たされましたがなんとか起きてみえて、それから親戚に連絡を回し、葬儀の規模を決めたり葬儀場の手配をしたり、短い時間に様々な事を考えなければなりませんでした。

 寝る時間もほとんど無く、おそらくあっても眠れなかったことでしょう。兄弟も居ない為、全て私が決め、手配をしなければならず、父も戻らず、親戚の力関係にも気を配らなければならず、当時精神的に相当参っていました。

 よく聞く話で、
「亡くなったのは残念だけど、これで介護から開放される」
なんて言葉もありますけれど、ウチの場合は父のやる気次第で自立できると私は確信していた為、やっとこれから父がやる気になってくれるという時に、こんな形で開放されたくはありませんでした。


 それから二年過ぎ、相続の事や、父が生前やり残した事も全て終わらせ、ようやく一区切りかな、と言った所です。

 父の部屋は当時のまま、私がドアを開ける事もありませんでしたが、そろそろ父が眠っていた場所も手を入れていっていいかな、と、私もこれから新しい事を考えて行かなければなりません。
 本当は、父が亡くなっておそらく一年ぐらいのうちに私も天に連れて行かれると思っておりました。御先祖にそのパターンが多いんですよ、ウチの家系。
 しかし、こうして生かされているのならば、いろいろとやらなければなりません。


 さぁ、これから私も改めて頑張らないと。




 今日は湿っぽいお話で済みません^^;






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