3月11日午後3時前、お客さんのプロジェクトルームにいる時に、すごい縦揺れを感じた。
トントントントンと結構長い縦揺れだったので、チームメンバーで、これはマジでやばい!と言いながら身構えた。そのあと、尋常じゃない横揺れがきた。それに長い!
メンバーの一人がよろけながら、部屋に閉じ込められないように扉を開けに行った。何度も来る縦揺れと横揺れの中で、子供が帰宅する時間でうちに居たらヤバイな、とか、ハイベッドの間に設置したワンコケージでお留守番しているミミは大丈夫だろうか?とすごい不安になった。ワンセグでニュースをチェックすると、三陸地方で10メートルの津波警報が出て、すごい津波が来たことを知った。
別の事業所で研修中の同僚からチャットメッセージが届き、キャビネが倒れ、壁や天井が壊れて大騒ぎになっているという。お客さんのプロジェクトルームはマシンルーム用の最新最強の耐震構造になっているので、ここが壊れることは無いのだけど、それでもすごい揺れで、震度5強だったという。人生の中で初めての怖い地震だった。
東北に電話をする人、自宅に家族の安否を確認する人。。。しかし、携帯電話は発信途中に切れてしまい、つながらない。
そんな中、学校で地震にあい、避難してダッシュで走って帰って来たという息子から電話が来た。家では背の高い棚が傾いていた以外は、ベッドも倒れておらず、ミミも大丈夫だったという。自宅のIP電話から何度もかけてやっとつながったという。リビングのダイニングテーブルに下に隠れているらしい。そのあと、小学校から集団下校した娘からもメールが来て、無事自宅にいるということを聞いて安心した。
携帯はつながらないけど、娘に貸しているiPod Touchからのメールは届く。兄ちゃんがニュースばかり見てチャンネルを変えさせてくれない、とか、ママいつ帰ってくるの?というようなメールがくる。パパは帰れるけど遅くなるから、ガスは使わずにカップ麺でも食べてて、と返信をした。
そのあとは、もうずーっと余震が続いていたので、皆仕事どころではなり、お客さんからも帰れる人は早めの帰宅をして下さいという指示が出たので、Googlemapで皆自分の帰り道を探し、マップを印刷した。私は自宅まで27キロ。。。どうやって帰るか途方に暮れた。
余震が続く中、当然電車は全てストップしてしまったので、皆歩いて帰れる人は帰り始めた。翌週から産休に入る妊婦さんも歩いて帰って行った。心配だ。。。
私はひどい方向音痴でこのへんに疎いので、途中まで同僚の女性と一緒に帰ってもらうことにした。まず水を買い、パンと靴/靴下を買って履き替えた。自転車を買う人たちが行列になっていた。
同僚の彼女は、2週間ぶりにダンナさんが外国から帰国するはずだったけど、地震で成田に着陸出来ず、名古屋のセントレアにまわされ、ホテルが手配出来ずに会議室で一夜をすごすことになったという。彼女はテキパキと、Ipod Touchとインタネットに接続できる無線の端末でバスの路線を調べ、やっと来たバスが一杯で乗れなければ別の路線を探し、バス停から駅に歩き、4時間かけて夜10時前に彼女の家に到着した。部屋は生け花の花瓶が倒れていて水浸しになっていたけど、それ以外には大きな破損はなかった。最近の耐震マンションは強いなあと思う。
二人でテレビの津波の映像を見ながら驚愕し、私たちのことを心配してメールをくれたアメリカの友人に返事を書き、そわそわしながら夜中の2時すぎにやっと寝ることにした。
翌朝、電車が動き出したというニュースを見て、上野駅に向かう。
途中神社があったので、神がかりな気分になって覗いてみた。。願いがびっしりと書き込まれた絵馬を見て、今は受験と卒業シーズンだったんだなと思い出す。みんなの願いが叶いますように。
上野公園は、帰宅難民となった人たちが休息していて、憩いの場となっていた。鬱々とした気分が少し晴れた気がした。
上野公園はもうすぐ花見のシーズンなのか。。。
期待して到着した京成上野駅は大混雑だった。入場制限をしている上にぎゅうぎゅう押されながら1時間並んでも改札にたどり着けるメドが立たずに気分が悪くなりそうだったので、電車に乗るのをギブアップして駅から出た。すると、私が並び始めた頃に比べるとはるかにすごい状態になっていて、駅から人が溢れて長蛇の列になっていた。Twitterをチェックすると、「上野駅で2時間待っても改札見えず」という書き込みがあった。改札からがまた長いんだよ、ここ。。。
時間をつぶしてから並ぶつもりだったけど、靴も買ったことだし、天気もいいから歩いてみることにした。
スカイツリーの真下まで行ったのは初めてだ。いつもは観光スポットになっているらしいけど、さすがにこんな日は誰もいない。
途中で道がわからなくなって、駅前にいたおじさんに聞くと、電車が動いているから乗った方がいいという。上野でのあの混雑を見たら、とても乗れるとは思えない。
ゆっくりのんびり7キロ歩いた所で、自転車を2台持ったダンナ登場。一台を片手で押しながら、もう一台に器用に乗ってやってきた。助かった~
最後の6キロを自転車でスイスイ走り、やっとうちに到着。
子供たちもワンコも元気で安心した。ダンナが昨晩10時頃帰って来てくれたとはいえ、兄妹二人でさぞかし心配だっただろう。職場から遠いというのは、やっぱり考えものだな。。。数日以内に大きな余震が来る可能性が高いと思うと、歩いて帰れる距離じゃないとね。。
家に帰ると、テレビでは続々と地震の悲惨な状況が流れたいた。。。東京は交通マヒで大変だと思ったけど、全てをなくして避難している人たちに比べたらたいしたことない。本当に心が痛む。自分がラッキーだったとは思いたくないし、今まで悩んでいたことが本当に小さなことに思える。
原発事故も発生して、これからどうなるんだろう、日本は?。。と不安も募る。でも自分の命をかけて被害を食い止めようとしている人たちがいることは忘れてはならない。
これから不便な生活も続くだろう。でもわがままは言ってられないし、みな元気だったことに感謝しながら、今できることをしていこう、と思う。
トントントントンと結構長い縦揺れだったので、チームメンバーで、これはマジでやばい!と言いながら身構えた。そのあと、尋常じゃない横揺れがきた。それに長い!
メンバーの一人がよろけながら、部屋に閉じ込められないように扉を開けに行った。何度も来る縦揺れと横揺れの中で、子供が帰宅する時間でうちに居たらヤバイな、とか、ハイベッドの間に設置したワンコケージでお留守番しているミミは大丈夫だろうか?とすごい不安になった。ワンセグでニュースをチェックすると、三陸地方で10メートルの津波警報が出て、すごい津波が来たことを知った。
別の事業所で研修中の同僚からチャットメッセージが届き、キャビネが倒れ、壁や天井が壊れて大騒ぎになっているという。お客さんのプロジェクトルームはマシンルーム用の最新最強の耐震構造になっているので、ここが壊れることは無いのだけど、それでもすごい揺れで、震度5強だったという。人生の中で初めての怖い地震だった。
東北に電話をする人、自宅に家族の安否を確認する人。。。しかし、携帯電話は発信途中に切れてしまい、つながらない。
そんな中、学校で地震にあい、避難してダッシュで走って帰って来たという息子から電話が来た。家では背の高い棚が傾いていた以外は、ベッドも倒れておらず、ミミも大丈夫だったという。自宅のIP電話から何度もかけてやっとつながったという。リビングのダイニングテーブルに下に隠れているらしい。そのあと、小学校から集団下校した娘からもメールが来て、無事自宅にいるということを聞いて安心した。
携帯はつながらないけど、娘に貸しているiPod Touchからのメールは届く。兄ちゃんがニュースばかり見てチャンネルを変えさせてくれない、とか、ママいつ帰ってくるの?というようなメールがくる。パパは帰れるけど遅くなるから、ガスは使わずにカップ麺でも食べてて、と返信をした。
そのあとは、もうずーっと余震が続いていたので、皆仕事どころではなり、お客さんからも帰れる人は早めの帰宅をして下さいという指示が出たので、Googlemapで皆自分の帰り道を探し、マップを印刷した。私は自宅まで27キロ。。。どうやって帰るか途方に暮れた。
余震が続く中、当然電車は全てストップしてしまったので、皆歩いて帰れる人は帰り始めた。翌週から産休に入る妊婦さんも歩いて帰って行った。心配だ。。。
私はひどい方向音痴でこのへんに疎いので、途中まで同僚の女性と一緒に帰ってもらうことにした。まず水を買い、パンと靴/靴下を買って履き替えた。自転車を買う人たちが行列になっていた。
同僚の彼女は、2週間ぶりにダンナさんが外国から帰国するはずだったけど、地震で成田に着陸出来ず、名古屋のセントレアにまわされ、ホテルが手配出来ずに会議室で一夜をすごすことになったという。彼女はテキパキと、Ipod Touchとインタネットに接続できる無線の端末でバスの路線を調べ、やっと来たバスが一杯で乗れなければ別の路線を探し、バス停から駅に歩き、4時間かけて夜10時前に彼女の家に到着した。部屋は生け花の花瓶が倒れていて水浸しになっていたけど、それ以外には大きな破損はなかった。最近の耐震マンションは強いなあと思う。
二人でテレビの津波の映像を見ながら驚愕し、私たちのことを心配してメールをくれたアメリカの友人に返事を書き、そわそわしながら夜中の2時すぎにやっと寝ることにした。
翌朝、電車が動き出したというニュースを見て、上野駅に向かう。
途中神社があったので、神がかりな気分になって覗いてみた。。願いがびっしりと書き込まれた絵馬を見て、今は受験と卒業シーズンだったんだなと思い出す。みんなの願いが叶いますように。
上野公園は、帰宅難民となった人たちが休息していて、憩いの場となっていた。鬱々とした気分が少し晴れた気がした。
上野公園はもうすぐ花見のシーズンなのか。。。
期待して到着した京成上野駅は大混雑だった。入場制限をしている上にぎゅうぎゅう押されながら1時間並んでも改札にたどり着けるメドが立たずに気分が悪くなりそうだったので、電車に乗るのをギブアップして駅から出た。すると、私が並び始めた頃に比べるとはるかにすごい状態になっていて、駅から人が溢れて長蛇の列になっていた。Twitterをチェックすると、「上野駅で2時間待っても改札見えず」という書き込みがあった。改札からがまた長いんだよ、ここ。。。
時間をつぶしてから並ぶつもりだったけど、靴も買ったことだし、天気もいいから歩いてみることにした。
スカイツリーの真下まで行ったのは初めてだ。いつもは観光スポットになっているらしいけど、さすがにこんな日は誰もいない。
途中で道がわからなくなって、駅前にいたおじさんに聞くと、電車が動いているから乗った方がいいという。上野でのあの混雑を見たら、とても乗れるとは思えない。
ゆっくりのんびり7キロ歩いた所で、自転車を2台持ったダンナ登場。一台を片手で押しながら、もう一台に器用に乗ってやってきた。助かった~
最後の6キロを自転車でスイスイ走り、やっとうちに到着。
子供たちもワンコも元気で安心した。ダンナが昨晩10時頃帰って来てくれたとはいえ、兄妹二人でさぞかし心配だっただろう。職場から遠いというのは、やっぱり考えものだな。。。数日以内に大きな余震が来る可能性が高いと思うと、歩いて帰れる距離じゃないとね。。
家に帰ると、テレビでは続々と地震の悲惨な状況が流れたいた。。。東京は交通マヒで大変だと思ったけど、全てをなくして避難している人たちに比べたらたいしたことない。本当に心が痛む。自分がラッキーだったとは思いたくないし、今まで悩んでいたことが本当に小さなことに思える。
原発事故も発生して、これからどうなるんだろう、日本は?。。と不安も募る。でも自分の命をかけて被害を食い止めようとしている人たちがいることは忘れてはならない。
これから不便な生活も続くだろう。でもわがままは言ってられないし、みな元気だったことに感謝しながら、今できることをしていこう、と思う。
昨日からまた寒くなってるね。
被災地のことがまた心配になります。
mabさんは出先で地震に遭ったのね。
家族みんなが無事とわかっていても、翌日会えたらようやくホッとできたんでしょうね。
ほんと、無事で良かったです。
こうやって、ぼちぼちみんなが当日のことを書くようになって、また当日のことを生々しく思い出します。
そしてやっぱり頭が行き着くのは被災地のこと。
私はほんと遠く離れていて、できることが限られているのだけど…、精一杯できることをして、そして心はみんな一つだと信じています。
まだまだ余震?、地震が続いているけど、お互い気をつけようね!
やっぱり少し残しておこうかな、と。
そっちも揺れてますか?
都内で経済を支えてくださっている方々には本当に頭が下がります。
私も日本人です。何もできない役立たずですけれど、心はいつも日本と共にあります!
皆さんご無事で何よりです。
私は守谷で震度5強?に逢いましたが、免震構造に救われました。翌土曜日の午後1時過ぎに、親類の結婚式に向かうべく、家族で東京駅に向かったのですが、上野駅常磐線下りはものすごい混雑でした。元には戻れないと覚悟しつつ、無事神戸に到着する事が出来ました。
1週間関西に居たわけですが、こちらに戻ってきて街の暗さと車の少なさに驚きました。
向こうは・・やはり日常がありました。
さて、これれから「東日本」の復興にとりかかりましょう。
そして日本に帰って来たら、がんばりましょう。一緒に。
ダンナ様も将来の日本を背負うはず。今はしっかり勉強下され。
うちの会社も義援金の給与からの引き落としが始まりました。何が今必要かはわかりませんが、被災地の方の役に立つものが迅速に手配されることを祈っています。
そうですよね、まずは原発が落ち着いてくれないとなかなか復興の気分になれませんが、これから頑張りましょう!