・ロスチャイルド財閥ー282 ディアスポラの歴史 そしてキリスト教の教父アウグスティヌスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/718669a2d8195674ef6185a7eaa2c0d6
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こうした風潮の中で、13世紀のイギリスではヘンリー三世(在位1216~1272)はユダヤ人を迫害し、以降ユダヤ人の居住を禁じました。
1306年にはフランス国王フィリップが高利貸しとして国民を搾取したという理由で、ユダヤ人10万人に国外撤去を命じました。
黒死病(ペスト)が流行して、それがユダヤ人のせいだとされて襲われ、多数が虐殺されたのも14世紀です。
フランスを追われた人々の多くはピレネー山脈を越えてスペインに向かいましたが、スペインのユダヤ人黄金時代もキリスト教徒勢力が尾辺リア半島からイスラム勢力を駆逐しようと南下するに従って陰りが見え、虐殺事件が多発するようになりました。
その最後に起きたのが、キリスト教への改宗の強制と、スペイン王家の司祭トルケマーダによる異端審問裁判でした。
トルケマーダは1492年、イスラムの最後の砦、グラナダのアルハンブラ宮殿を攻め落として国土回復(レコンキスタ)が成ると、同年3月31日、フェルナンド王とイザベラ女王を説得しました。
すべてのユダヤ人は4ケ月以内にキリスト教に改宗して洗礼を受けるか、さもなければ国外退去するよう勅令が出されました。
イザベラ女王がコロンブスを新大陸発見の航海に出帆させた同じ年の出来事でした。ポルトガルはユダヤ人に寛容だったため多数が隣国に逃れましたが、安心していられたのは5年間だけでした。
1497年、ポルトガル王マヌエル一世がスペインからフェルナンド王とイザベラ女王の娘を妃にもらおうとすると、スペイン側はポルトガルからユダヤ人をなくすよう注文をつけ、厳しい排斥が始まったからでした。
当時のスペインの人口700万人のうちユダヤ人は25万人を占めていました。この迫害で国外に出たのは14万とも16万ともいわれますが、正確な数字は分かりません。
ただスペインやポルトガルの枢要な位置にあったユダヤ追放したためにめに、両国社会が次第に活力を失って、せっかくの新大陸発見による繁栄を短いものにしてしまったことは確かです。
海外に逃れたユダヤ人の、ある者は東に向かって北アフリカからオスマン・トルコの国々へ流れ、またある者はオランダ、イギリスへと渡りました。
新教のオランダは宗教改革の考えを入れて、住民に信仰の自由を認めていたため、最も多くのユダヤ人が集まり、アムステルダムに繁栄をもたらしました。
イギリスはヘンリー8世(在位1509~1547)が妃との離婚問題で関係がこじれたローマ教会と縁を切り、独自にイギリス国協会(1534年)を作ってからはユダヤ人敵視政策に同調せず、再びユダヤ人の定住を認めて商業につくことを許しました。
宗教改革の時代もユダヤ人にとっては多難でした。 ヨ-ロッパ全土がカトリックとプロテスタントの争いの場と化した16世紀には、ユダヤ人は双方からの標的にされました。
私は、ドイツ本社のグローバル企業に勤務し、勤務地がオーストリアだったので、オーストリア人はドイツ語を話すのでプロテスタントと思いきや、人口の90%がカトリックと聞いて驚きました。 昔は、プロテスタント狩りもあったそうです。
また、ドイツのアーヘンも人口の90%がカトリックでした。これはカトリックの盟主、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国・皇帝の戴冠式がアーヘンであったからのようです。
1555年、教皇にパウルス四世が就任すると、ユダヤ人を金融業から締め出して。質屋と古着屋しか行ってはならないという新たな勅令が出されました。
パウルス四世は、ユダヤ人の男は黄色い帽子、女は黄色い目印を付けるよう命じ、さらにユダヤ人2000人をローマ市街の不潔な一角に強制移住させ、安息日ごとに住民の三分の一を引き立てて改宗者の説教を聞かせました。
居住区の二ケ所の出入り口には番兵を配置して夜間には扉を閉めました。帝都ローマでユダヤ人に対する新たな処遇が始まったことによって、この苛酷なユダヤ人対策はたちまちフランクフルトやプラハなど、ローマ・カトリックの各都市に広がっていきました。
ドイツや旧東欧諸国に今日も根強く残るユダヤ人に対する偏見の遠因がここにあります。
ユダヤ人を隔離して住まわせる制度は子より前に、キリスト教徒とユダヤ教徒の混在を禁じたキリスト教の公会議での決定に基づいて、1516年のヴェネチアで始まったものです。
その場所が鋳鉄工場だったことから、それを意味する「ゲットー」という言葉がユダヤ人
特別居住区指すようになって、これもヨーロッパ中に広がっていきました。
イギリスの劇作家、ウィリアム・シェクスピア(1564~1616)が『ヴェニスの商人』を書いて、「借金3000ダカットの代わりに肉1ポンド」を要求する非情なユダヤの高利貸しシャイロックにより、ユダヤ人への風当たりが一段と強くなる一連の出来事があって、しばらくの血の1590年代のことでした。
日本でバテレンが踏み絵を踏まされたのもこの頃で、バテレン追法令が1587年、禁教令が1614年です。
(関連情報)
・ロスチャイルド財閥-280 ユダヤ人差別という宿命https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ebb8c4fc7c78defcb59d4ea79147bf59
・ロスチャイルド財閥ー281 タルムードとオッペンハイム銀行https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c916730cb1ef112bbce34c1aa888bfb7
・ロスチャイルド財閥-282 ディアスポラの歴史 そしてキリスト教の教父アウグスティヌス
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・ロスチャイルド財閥ー283 トルケマーダの異端諮問裁判
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