エドワード・ルトワック(1942-)
アメリカ合衆国の国際政治学者。専門は、大戦略、軍事史、国際関係論。戦略国際問題研究所シニアアドバイザー(上級顧問)。 ルーマニアのユダヤ人の家庭に生まれ、イタリア、イギリスで育つ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、英国軍、フランス軍、イスラエル軍に所属した後、1975年にジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論の博士号取得。 wiki
CSIS(ジョージタウン大学付属、戦略国際問題研究所)の上級研究員であるエドワード・ルートフックは、このシンクタンクについて語る際、絶対に外せない人物です。
ルートワックは、合衆国政府部内で、軍事コンサルタントとして、レーガン政権時代あたりから活躍し始めたネオコン派の軍事戦略家です。
1991年の湾岸戦争の真っ最中には、テレビ朝日の『ニュース・ステーション』に出演し、戦況を解説していたので、覚えている人もいるかも知れません。
彼は、日本のメディアでは『産経新聞』に、イラク情勢に関する分析を定期的に寄稿していました。
彼はイラク情勢に関して、「フセインがいなくなったから、もういいじゃないか。 イラクからこれ以上犠牲を出す前に米兵は撤退せよ」といった出口戦略(エグジット・ストラテジー)を主張しました。
これは、世界中にアメリカ流民主主義を押し付けようとするビルクリストルやチャールズ・クラウトハマーなど、新世代ネオコン派とは大きく異なります。
むしろ彼はネオコンというよりは冷徹なリアリストです。
ルートワックは90年代に『アメリカン・ドリームの終焉(原題は「危機に瀕したアメリカン・ドリーム」』(飛鳥新社)と『ターボ資本主義』(TBSブリタニカ)という2冊の本を書いています。
彼はこれからで、「冷戦後の敵は、経済大国化した日本である」とはっきり述べ、日本を「敵国視」しました。
また、軍事力の代わりに経済政策で世界制覇を推し進める「地経学(ジオ・エコノミクス)」という学問分野を新しく提唱しました。
ルートワックがこの2冊で示した対日戦略が、どうも90年代から2000年代にかけてのアメリカの経済政策を規定したようです。
ルートワックは、過去に大蔵省所管の財政金融研究所(現財務総合政策研究所)で働いていた経験もあり、日本経済への関心や知識もかなり高かったと思われます。
ルートワックによれば、経済戦争とは太古の昔から続いている国家間の戦争となんら変わりはない。 ただ手段が武力行使から、経済戦略と変わっただけである。 違いは、経済戦争では人が死なないというくらいだ。
ルトワックは同書を、「アメリカは経済戦争に対する軍縮をうまく進めるか、あるいは全力を挙げて経済戦争を遂行するかどちらかを選ばないといけない岐路に立っている。選ばなければ敗北が待っているだけだ」と締めくくっています。
80年代の日本の躍進は、アメリカにしてみれば喧嘩を売られたようなものでした。 アメリカとしては、売られた喧嘩は買わない道理はありません。
そこで、クリントン政権誕生後は、日本に貿易自由化、規制緩和を要求し続ける一方で、アメリカ国内では、知的所有権戦略、情報通信産業の育成、ゲノム戦略などさまざまな経済戦略を打ち立てて、経済での「グローバル・スタンダード」の確保を目指すようになったのです。
ルートワックは、規制緩和や民営化が徹底され、グローバル化が進んだ世界の経済体制を、「ターボ資本主義(キャピタリズム)」と呼びました。
日本に、このターボ資本主義が導入されれば、数百万人の失業者が生み出され、貧富の差が拡大すると彼は予想しましたが、実際、その通りになり、日本は「第二の敗戦」を迎えました。
ただその勝者はアメリカだったのでしょうか。この「戦争」の遂行によってアメリカ国にも空洞化しているのも事実で、日本が凋落する一方で、中国とインドは躍進目覚ましく発展しました。
「経済戦争」の勝者は中国とインドだったのです。何度もいますが、今日多くのネット民はロスチャイルドがバックの米民主党と中国が癒着していると思い込んでいるようですが、
世界の最貧国の一つであった中国に巨額の資金援助と技術援助を与えたのはロックフェラー財閥がバックにいる米共和党です。 一つの中国を決めたのも米共和党です。
当時は米ソ冷戦の真っただ中で、中露分断を図るために中国を支援してアメリカ側に取り込んだのです。
1972年2月に米共和党のニクソン大統領が訪中、北京でニクソン大統領と毛沢東主席の首脳会会談が行われ、その時に巨額の援助と一つの中国を約束し、これが中国が大発展する起点となったのです。