大衆迎合的な経済政策にすがっても、根本的な問題の解決にはならない
(米中西部ウィスコンシン州で国旗を見上げるトランプ支持者)=ロイター
11月5日に迫った米国の大統領選。
最終盤の取材で訪れた首都ワシントンで、クリントン元大統領の特別補佐官(経済担当)を務めたロバート・ウェスコット氏から聞いた話がある。「大学で経済学を専攻した候補者同士の対戦は、どうやら初めてらしい」
検事出身のハリス副大統領(民主党)は米ハワード大で経済学と政治学を修めた後に、法律の道へと進んだ。
不動産王として知られたトランプ前大統領(共和党)は、米ペンシルベニア大ウォートン校で経済学を学んでいる。
「史上初の経済学士対決」というトリビアのネタ元は、旧知の元米政府高官だそうだ。その真偽はさておき、ウェスコット氏は「大統領候補の経済政策はいずれもポピュリズム(大衆迎合主義)に傾き、経済学の知見に反する公約が目立つ」と嘆いていた。
米経済は景気と物価の安定を両立させる「軟着陸」の途上にある。中東情勢の緊迫や大型ハリケーンの被害といった不安材料は残るものの、米連邦準備理事会(FRB)の利下げへの転換で事なきを得るとの見方がまだ多い。
新型コロナウイルス禍が招いた不況と、その後に続いたインフレに対応するため、FRBは政策金利を一気に引き下げ、そして急激に引き上げた。
U字をなぞるような金融政策には、バブルの膨張と崩壊を助長し、深刻な危機を誘発してきた過去がある。今回は「Uの悲劇」を封じたまま、利上げを終えられたのではないか。
経済政策、左右両派に問題
心配なのはFRBのパウエル議長より、2025年1月に就任する新大統領の政策運営だ。左右のポピュリズムを憂える識者は、ウェスコット氏に限らない。
「偉大な米国の復活」を唱えるトランプ氏の経済政策が、はるかに危険なのは言うまでもなかろう。
中国を含む全ての国・地域に課す高関税、不法移民労働者の国外追放、FRBの金融政策に対する介入――。
米ピーターソン国際経済研究所は極端な公約の影響を試算し、成長の阻害やインフレの高進につながると警告した。
25〜40年の実質成長率と物価上昇率の標準予測は、ともに年平均1.9%。3つの公約を実行すれば、28年時点の実質国内総生産(GDP)を2.8〜9.7%押し下げ、26年時点の物価上昇率を4.1〜7.4ポイント押し上げる。
米調査機関「責任ある連邦予算委員会」によれば、トランプ氏が掲げる所得税や法人税などの減税は、高関税による増収では賄いきれず、26〜35年度の財政赤字を7.5兆ドル(約1100兆円)増やす見通しだ。
それで米経済を当面刺激できても、債務の拡大が将来に禍根を残しかねない。
ハリス氏でも財政悪化
ハリス氏の経済政策にも問題がある。誰もが成功可能な「機会の経済」。
その要をなす子育てや住宅購入の支援策も、大盤振る舞いの批判を浴びる。法人税などの増税で一部を賄い、財政赤字の増加をトランプ氏の半分以下の3.5兆ドルに抑えるとはいえ、決して胸を張れる数字ではあるまい。
食料品価格のつり上げを禁止し、違反企業に罰則を科す公約は、インフレ対策の本筋から外れた人気取りに過ぎないとの評がもっぱらだ。
トランプ氏ほど過激ではないものの、保護貿易に傾斜するのはハリス氏も同じである。
米調査会社ピュー・リサーチ・センターが今回の大統領選で最も重視する争点を有権者に尋ねたところ、経済が81%(複数回答)で首位を占めた。コロナ禍やインフレの後遺症に悩む人々に、大統領候補が寄り添うのはいい。
だが「トランプ氏の右派ポピュリズムとハリス氏の左派ポピュリズムが、長い目で国益に資するとは思えない」と米議会予算局(CBO)のダグラス・ホルツイーキン元局長は話す。無責任な拡張財政や保護貿易のツケを払うのは、何より米国の国民である。
ティモシー・アダムズ元米財務次官にも聞いてみた。「2人の大統領候補は中西部をはじめとする激戦州で勝つために、異なる立場のポピュリズムを競い合う。共通するのは製造業、ブルーカラー、労働組合へのアピールだ」
地雷を踏んだ日本製鉄
日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収計画が暗礁に乗り上げたのは、その地雷を踏んだからにほかならない。
米調査会社ユーラシア・グループのディレクター、デビッド・ボーリング氏は「米国を象徴する鉄鋼業で、大統領選の激戦州ペンシルベニアに本拠を置き、労組の影響力が強い企業を、投票日の前に買収するのを認める。
それは政治的なダイナマイトに等しい」と語っていた。
世界に君臨する超大国のリーダーが、ごく一部の激戦州の「風見鶏」と化し、党派を問わず内向きの経済政策にまい進する。
いまの米国が映し出すのは「センキョノミクス(選挙向けの経済政策)」の見本ではないだろうか。
それでも「トランプ氏より、ハリス氏のほうがまだまし」というのが大方の識者の反応だ。
「経済の誤診競争」と揶揄(やゆ)されようが、そのダメージは相対的に小さい。穏健で現実的な路線への修正も期待できるという。
「大統領選では民主党のハリス氏、上院選では共和党が勝てばいい」。
トランプ氏の再登板におびえるだけでなく、ハリス氏の増税や規制強化も嫌う米企業からは、税予算や人事の手足を縛られたハリス政権が最も安全だという声すら漏れる。こと経済政策に関しては、どちらがましかの選択を迫られる米国の憂鬱がここにある。
経済部次長、ワシントン支局長、上級論説委員兼編集委員などを経て現職。日米での取材経験を生かし、マクロ経済や国際情勢について幅広く論評する。単著に「迷走する超大国アメリカ」、共著に「技術覇権 米中激突の深層」「米中分断の虚実」。
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日経記事2024.10.11より引用