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ロマ人、通称「ジプシー」 とはどのような民族か?

2023-12-19 21:55:31 | ヨーロッパ・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

ヨーロッパで、昔から「流浪の民ジプシー」として知られていた人たちの事を、正しくはロマ人といいます。

 

しかし、ユダヤ人とは異なり、「流浪の民」というより、「移動の民」というべきです。 これについてすくし詳しく説明すると、ロマ人がヨーロッパに初めて姿を現したのは14世紀末頃でした。

国境はなかった時代のことです。馬や馬車に乗って敏速に移動する彼らは、またたくうちにヨーロッパ全体に広がりました。

1480年代にスペインのイザベラ女王とフェルナンド王がモーロ人のグラナダ王国攻略にとりかかったとき、ロマ人は軍馬の調達や敵情偵察の役を務めて、両王に気に入られました。

そして、1492年にモーロ人の最後の拠点グラナダが陥落した後、イザベル女王はロマ人の功を賞し、グラナダの差クロモンテの丘に移住することを認め、永代免税ボ特権を与えました。

キリスト教社会のヨーロッパで、異様なまでに敵視されるユダヤ人とは、根本的に異なるのはこの点であります。 「神の子・イエスを十字架にかけて殺害したユダヤ人」

しかし、イエスキリストもユダヤ人であり、論理は滅茶苦茶です。 これはキリスト教会の司教のプロパガンダに過ぎません。 古今東西、創始者が言ってもいないことを、組織があるところ権力が権力を維持するために滅茶苦茶の事をやりだすのです。

 

500年後の今日も、ロマ人はサクロモンテの丘に横穴式の住居を構えており、ロマ人独特のフラメンコを見せたり、手相を見たりして観光客を楽しませています。

スペインのグラナダの例は有名ですが、そのほかでもヨーロッパ各地の君主は軍馬の調達や敵情偵察によくロマ人を使いました。 どこから来た者やら皆目わからず、旅から旅へと移動生活を送るロマ人は、あまり怪しまれないでどこにでも行けるロマ人は敵情偵察をやらせるには便利だったのです。

またロマ人仲間はゥ良い団結と情報ネットワークがあり、自分ではいけない場所でも、仲間を通じて情報を得ることが出来ました。 もっともこれは二重スパイをやって稼ぐことも自由自在でした。 この点については、ユダヤ人に似ています。

 

馬の売買はロマ人の重要な収入源でした。 遠くはウクライナ、ルーマニア。ハンガリーなど、近くは西ヨーロッパの各地でもとにかく安いところで馬をたくさん仕入れては、高く売れるところに連れて行って売り捌きました。

軍用、貴婦人の乗用、旅人や荷物の輸送用、農耕用などに、馬の需要は大きかったのです。ロマ人がウマを可愛がるのは有名で、っぶ荒馬を調教したり、馬の病気やケガを巧みに治療することにかけてはヨーロッパでは有名です。

ロマ人は、使い手が見放した荒馬や病気の馬を安く手に入れ、良馬に仕立てあげて高く売るというビジネスも盛んに行いました。

しかし、他人の馬をそっと連れ去ったため、馬泥棒の悪評も得ました(M・ブロック)。

 

 

日本では特にロマ人は「流浪の民」として知られています。 これはシューマンの名曲のタイトルが「流浪の民」となっていることが影響しています。 実はこの曲の原題はツイゴナーレーベン Zigeuerleben (ジプシーの生活)です。

 

ロマ人は、鍛冶、木工、桶・かごつくりなどの手職を身に付けており、毎年一定の時期に、一定のコースで村から村へと旅してまわり、農具、家具、台所用品などの修理、馬の蹄鉄打ちなどをしていました。

専門職人がいない小さな村では、r真人の存在は村人にとっても便利な事でした。 また移動の途中でテント生活を営み、桶、カゴ、ハケ、ほうき。木製の鉢、木製のスプーンなどを作っては売り歩きました。

しかし近代工業の発展と2度の世界大戦でロマ人の仕事は壊滅的になります。 奥のロマ人は、農場の季節労働者や工場、建設現場で働き精鋭を立てました。

ヨーロッパで最もロマ人が多かったのはバルカン諸国なので、ロマ人の主力は既に定住生活に入っていました。

それでもロマ人にとっては、大自然の中を自由に旅して回る喜びは何ものにも代え難く、春から夏にかけては長い旅に出る人々は多いと聞きます。

 

また、音楽抜きにしては、ロマ人を語れません。 彼らは天与の情熱的な音楽家、踊り手であり、移動生活に適した楽器であるツインバロム、バイオリン、アコーディオン、ギター、端部リン、カスタネットなどを巧みに演奏します。

ツインバロムは「ジプシー音楽」には欠かせないもので、弦の数が多い幅広の事のような楽器です。
そしてバイオリンなどでも彼らの手にかかればたちまち彼ら独特の情熱的な調子を帯びてきます。

ロマ人の生活ぶりにふさわしく、彼らの楽想は奔放で、自由な即興の要素が強く、次第にテンポを速めて高揚していきます。ロマ人の音楽と舞踊は、ハンガリーやスペインの民族音楽、民族舞踊に大きな影響を及ぼしました。

 

 

ロ魔人は、定住していたヨーロッパの人々から常に白い眼で見られていました。 真黒い髪、褐色の肌、鋭い目つき、独特の服装と生活ぶりゆえに,得体の知れないアジア人として軽蔑そして迫害されました。

ロマ人たちは人文たちだけで生活し、一般のヨーロッパ人とは同化かしなかったので、この文化ギャップはつに埋まることはありませんでした。

 

 

この不思議な民族はどこから来たのか?

ロマ人自身の間にも先祖がどこから来たかについては何の言い伝えもなく、すべては謎に包まrていました。

しかし、学者が調べた結果、ロマ人の現故郷が駐北部インドであることがほぼ確実になっています。 

彼らは11世紀頃から移動を始め、約300年かけてバルカン半島に入ったと推定されています。これまでロマ人を言い表してきた言葉は、各国語によってまちまちですが、英語の「ジプシー(Zypsy)」はエジプト人を意味するエジプシャン Egyptian の訛りとされています。

イギリスではロマ人はエジプトから来たと思われていたのです。 現在、ヨーロッパでは「ジプシー」そのほか従来のいい方はすべてロマ人を不当に蔑視し差別してきた用語として、使用を止めようというゥ動きが広まってきています。

しかし、一般的な日本人は「ジプシー」という言葉に関して、そんなにネガティブなイメージを持っている人は少ないのではないでしょうか。

 

ヨーロッパで彼らの悪評が立ち始めたのは、ここ50年くらいの減少と聞いています。悪いことをするロマ人は全体の中で極めて少数ですが、観光客相手の子供によるスリが多いのは事実ですが、そのほとんどがロマ人以外のようです。

しかしながら、日本人観光客は、関各国からカモと思われているので、スリには気を付けましょう。

 

 

 

 

 

 


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