負傷した陸軍の復員兵、ジェラル・ハンコックがランカスター高校の教室に電動車椅子を操縦して行くと、教師ジェイミー・グッドローの生徒たちはシーンと静まり返った。 ハンコックの27歳の誕生日で、イラクでの穏やかな滞在6周年目の2013年5月29日、彼が操縦していた戦車が爆弾の上に転がって炎上した。ジェラルは胸から下が麻痺し、爆風で左腕を失った。
カリフォルニア州東ランカスターの砂地にある狭いモービル・ホーム(移動式の家)に戦争から帰還したとき、ジェラルは心的外傷後ストレス障害、外傷性脳損傷、そして右腕がうまく使えないことに苦しんでいたとハンコックは生徒たちに言った。彼の主たる世話人である母親と継父は通りを渡った所に住んでいて、特に彼の妻が彼と二人の幼い子供を残して去ってからは、もっと彼を助けるようになった。
「人生は続けなければならないんです」とジェラル氏は述べた。 「座り込んでふくれっ面をするか、流れに乗るかを選ぶのは私次第です。」
ジェラルが教室を去った後、教師ジェイミーと生徒たちは彼の状況について話しあった。子供たちは素晴らしいアイディアを持っていた:身体障害者の復員兵が利用しやすい家を建てるためにお金を集めることだった。生徒たちは教師の助けを借りて、翌月Operation All the Way Home(OATH)(遠路はるばる我が家まで作戦)立ち上げた。資金を集めるために、彼らは募金活動を行い、いくつかのベイクセール(焼き菓子を作り、売る)を主催し、ヤードセールを行った。
OATHについての言葉が広まるにつれて、他の復員軍人や一般市民から寄付が寄せられた。 「コミュニティは、このプロジェクトを支援する上で非常に大きな役割を果たしました」と、OATHの創設メンバー23人のうちの1人、マーティン・ジョン・ゴンザレス(19歳)は述べている。 「彼らは私達がどれだけ一生懸命に働いていたのかを見ることができました。」
9月までに生徒たちは7万ドル以上を集め、ジェラルの祝福を受けて、彼らは二軒の平屋家屋(ジェラルと子供たちが住む家と母親と継父が住める小さな家)を建てるのに十分な大きさの土地をロサンゼルス地域で購入した。 不動産業者は彼女の手数料を取らず、工務店は建築材料を供給し、そして地元の建築会社は無料の青写真を提供してくれた。
Ruby Varela/Antelope Valley Press/AP Photo
おかえりなさい、ジェラルさん。
2014年3月、OATHは復員軍人への支持と援助活動で有名な俳優ゲイリー・シニース(フォレスト・ガンプでダン中尉を演じた人)から驚きの電話を受け、彼は6万ドルの寄付を申し出た。
2015年初頭にジェラルの家の骨組みが上がったとき、生徒たちは兵士への愛と願いのメッセージをマーカーで梁に書いた。
ジェラルの新しい2,600平方フィートの家には、4つの寝室、2つのバスルーム、そしてiPadで操作できる自動ドア、照明、ブラインドがある。学生たちは2015年5月29日、ジェラルの29歳の誕生日に300人ほどが集まった儀式で完成した家を発表した。オートバイグループPatriot Guard Riders 愛国者ガードバイカーズに先導され、ジェラルは彼の新しい家へ向かい、彼を歓迎するOATH学生メンバーの長い列を通り過ぎた。合唱団が国歌を歌い、生徒たちはその感動的な経験について語った。
「私たちが目標を達成できたことはとても嬉しかったです」と元OATHメンバーの19歳のキムバリー・カスタノは言う。 「けれど、ジェラルが引っ越しできたことに、もっと興奮しました。」
怪我を負ってから八年目にとうとうジェラルは帰宅したのだ。
「これを可能にするために非常に多くの人々が集まってくださったことを光栄に思います」と彼は語る。
ーリーダースダイジェスト誌ミーラ・ジャンガネイサンによる