ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

この頃

2022-01-27 | わたしの思い

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パンダミックもさることながら、世界情勢の刻々と起こる変化(よくない方向へと)、物流も生産も購買もままならぬ物価高、物の不足、戦争と戦争の噂、頼りにならない国家首脳、まるで瞬間湯沸かし器のように即怒り、即暴力で裁こうとするゆとりのない人々による犯罪、などなど毎日ミディアは荒れている世情を喜び勇むように報じる。毎朝起床する時、つい「さて、今日の重大ニュースはいったいなんだろうか」と思う。そして、すぐに「それでも、まだDorm of the Rock岩のドームは倒されず、三番目のユダヤ教の神殿は建立されていない」と気を取り直す。

イスラエルのエルサレムにあるThe Temple Mount神殿の丘と言われる場所には、1300年前から回教徒によって現在も立っている黄金のドームを持つ建物がある。その全く同じ場所にユダヤ人は紀元前10世紀頃にソロモンがユダヤ教の神殿を建立した。それがバビロンによって破壊され、ユダヤ人がバビロン捕囚にあい、それでも紀元前515年イスラエルに戻っユダヤ人によって再び二番目の神殿を建てた。ところが西暦70年にはローマ帝国によって再び破壊された。その後イスラム教王朝時代西暦710年にエルサレム神殿跡の石垣の上に、ドームが建てられた。聖地のモスクのようで実は礼拝用のモスクではない。

キリスト教でいう末の日の前には、多くの予兆があるとされるが、最も顕著なことの一つは、その神殿の丘に立つ岩のドームが破壊され、そこに三番目のユダヤ教の神殿が建つということである。しかしながら、今現在岩のドームは破壊されずにいるから、まだまだクリスチャンにとっては、福音を実践し、悔い改めるべきは悔い改める時間があり、奉仕の機会を持てるわけである。まだ終わりではないのだ。そしてなによりもいたずらに来たる末の日を無駄におそれることは決してないから、人事を尽くし、終わりまで、末の日まで耐えることである。その後に起こる「良きこと」を期待することである。

そんなことを眉間を寄せて起きがけから思っているのではなく、そこに希望を見出して、「さて、今日も頑張ろう」となるほど単純である自分を嬉しく思う朝なのだ。例え今の世のように、希望を消そうと悪いニュースばかり伝えがちなミディアに負けてはならないと思うのだ。そして忘れたくないのは、生まれる時、一人もこの世が最上であるとは言わなかった、試しの世であることだ。多くの人は、死を非常に恐れるが、死は生と同じく至極自然なことで、その時が自然に来るまで、人として出来る限りこの世を生きていきたいものだ。

最近再び系図研究・探究に身を入れているが、そこから学ぶことは非常に貴重で大切である。「古い人々」から習うことは数多あり、その生き方や人生に感銘を受けることさえある。この冬そうした機会、つまり「死んでいる方々」から人生を習う機会がたくさんあることを心から感謝している。つい最近亡くなった親戚がいるが、彼女は98歳で見事に人生を全うし、その生涯信仰を篤く堅固に保ち、また健康であるように生活し、アスピリン一錠さえ必要としたことがなかった。また家族はもちろんどんな隣人にも強い信仰に見合う奉仕をしてきていた。亡くなる数日前、彼女はもう60年は昔に早逝した愛する夫が部屋に来た、と言っていた。その夫と二人で卵農場を経営し、彼女は未亡人となっても農場で懸命に働き、6人の子供たちを育ててきた。私たちは、彼女を迎えに彼がやってきたのは間違いないと話し合ったことだった。ただ一つ彼女の悔しかったことは、2年後に逝去することが叶わなかったことだろうとも話した。彼女は100歳まで生きて、健康を維持し、奉仕を続けたかったからだ。けれど天父は四捨五入をして彼女を迎えたく、彼女の夫を迎えに行かせたのだろう。そして彼女に、天父はWell done (よくがんばりましたね)と声をおかけになったのかもしれない。

だから、私もこの世の流れに押し流されまい。最後まで希望の灯火を消すまい。

 

 


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