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これはベルギー・ブリュッセルの満月
秋の夜長、という言葉が、とても好きである。 秋も好きだし、夜長の静寂の「音」も好きだ。 実際には十中八九、午後9時には舟を漕ぐどころか、夢の中でどこかの小島にでも辿り着いているが、翌日が土曜日、休日ならば、自分に甘くして夜更かしをするのも大人の嗜み、とばかりにパーティ三昧、などは致さないが、本を読んだり、好きな映画、特に古〜い映画を鑑賞するのだ。 時には昔から好きなタティングという古式豊かな手芸もする。
秋の設定でもない映画の、Midnight In Paris(邦題もそのまま、ミッドナイトインパリ)という11年も前になる作品が封切られた時から好きで、たまたまAMC(古い映画を放映するケーブル局)で放送すると録画して観たり、持ってさえするDVDを見返したりする。 しつこいことだ。 そのプロットも気に入っているし、主役のオーウェン・ウィルソンの飄々とした演技も楽しめる。 あらすじは、ウッディ・アレンらしい脚本で、Wikiからの抜粋によると以下である:
「ハリウッドの映画脚本家でありながらも、小説家を目指し、処女小説の執筆に悪戦苦闘中のギル・ペンダー は婚約者のイネスとその裕福な両親とともにパリを訪れる。ギルはパリに住みたいとさえ考えているが、イネスはカリフォルニアのマリブに住むと言って聞いてくれない。2人はイネスの友人ポールと遭遇し、ともに街を回る。イネスはポールを気に入っているものの、彼が偉そうに語る歴史や芸術の薀蓄には間違いが多く、インテリぶったポールがギルにはどうにも鼻持ちならない。
ある夜の12時、ギルは酒に酔ったままパリの街をうろついていると、アンティークカーが止まり、車中の1920年代風の格好をした男女がギルを誘う。 そして向かったパーティには、コール・ポーター、F. スコット・フィッツジェラルド、その妻ゼルダがいた。 そのパーティはジャン・コクトーのパーティだった。 そこでギルは、彼が黄金時代と評し、愛して止まない1920年代のパリに来ていたことに気づく。 その後、フィッツジェラルド夫妻、ポーター夫妻と行ったクラブでは、ジョセフィン・ベイカーもいた。 その後に、フィッツジェラルド夫妻と入ったバーでは、アーネスト・ヘミングウェイと出会う。ヘミングウェイに自分の小説を読んでくれないかともちかけたギルだったが、ヘミングウェイに『自分は読みたくないが、代わりにガートルード・スタインを紹介しよう』と言われ、舞い上がる。」
1920年代、ハリウッドは黄金時代で、音楽ではジャズエイジ、文化・社会では狂騒(ローリング・トゥエンティズ)時代と呼ばれた。 その時代の申し子達が、ふんだんに登場し、特有の髭をたくわえているサルバドール・ダリをアカデミー賞受賞者のエイドリアン・ブロウディが扮して束の間登場する。 主人公のギル・ペンダーでなくとも、1920年代は、素敵な時代に思えるし、タイムマシーンがあったら、と思うこともある。 その生活態度はともあれかくもあれだが、芸術の爆発のような時代だったのは確かである。 面白いのは、ギルの知り合った女性のアドレアナというピカソの愛人が、ギルと二人で19世紀末から1914、5年までの美しい時代(ベル・エポック)へ戻ってみることである。 華やかな1920年代の人間アドレアナは、その数年前の時代に憧れていたわけだ。
人間は自身が今現在生きている時代よりも、むしろ前の時代に憧れる習性があるのか、私も1970年代を懐かしむし、1970年代には多くの人は1950年代に憧れていたと記憶する。 ギルは結局現代に戻り、古物商の小さな店で働くフランス女性の素朴さに惹かれ、最後はギルの婚約者、派手好きで、見かけの良さだけに惹かれるイネスと別れてパリに移住することを示唆する終わり方で映画は終わる。
ただそれだけの映画で、誰も犯罪に関わって命を狙われたり、銃撃戦もなく、燃え上がるような恋愛もない。 タイムスリップ以外日常ありえそうなプロットで、結構なのだ、秋の夜長には。
あるいは、泊まりに来る孫のベッドタイムに、Goodnight Moon(おやすみなさいおつきさま)の絵本を読んでやり、そのまま私もうたた寝するかもしれない秋の夜長である。 それはそれで平和である。
Goodnight Moon
おやすみなさいおつきさま
Story by Margaret Wise Brown
Pictures by Clement Hurd
ままちゃんさんの感じる秋の空気がよく伝わります。
ハリケーンで被害が出た人たちの復興を願います。
良い動きが広まると良いですね。