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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

どんな雲にも

2024-02-11 | 私の好きなこと
「大気の川」がやってきた日の空。雲の美しさに見惚れる。


「大気の川」と呼ばれる気象現象は、前線に向かって大量の水蒸気が流れ込む現象で、ヨーロッパやアメリカに限らず、日本やアジア諸国でも起こり、アメリカ西部海岸地方では、この現象が往々にしてハワイ諸島周辺で発生し、そのまま西へ向かうので、パイナップルエクスプレスと呼ばれている。

それが今週始めにやってきて、ほぼカリフォルニア全地を降雨と降雪で覆った。洪水、土砂崩れによって死者も一桁あったことや、建物やインフラ設備に大きな被害があり、心痛の極みである。さらに強風も併走して、サンディエゴやオレンジ郡では、竜巻さえ発生した。それに比べ、加州中部平野に住む私の地域は昨年ほどの目立った被害はなく、幸いであった。

そんな中、Covidが蔓延し始めた2019年来、私は5年も感染せず、インフルエンザとも無縁であったのに、先月半ばにCovid テストで陽性となった。発熱はなく、もともと喘息があり、ひどく咳のある風邪と思っていたのだった。

今回自主的に自宅隔離に入った私に、長女がテキストでこんなスタンプを送ってきた。今頃になって罹患するなんて、と全くこのウサギの気持ちだった。



主治医は未だ癌予防治療中の私の経過を妨げたくはなく、抗ウィルス剤や抗生物質などを処方するのを控え、ネビュライザー(電動加圧噴霧式定量吸入器)用薬とインヘイラー(定量の薬を1,2度吸引する器具)2種類を毎日それぞれ4回吸入し、極力人に会わず、安静にすること、と指示した。

退屈紛れに、読みかけのカール・ユングの回想記を一気に読み上げてしまおうと本に手を伸ばした途端、ふと、そうだ、Instagram インスタグラムの整理をしてみようと思い立った。ぱらぱらと子供達からのページをめくっているうちに昨夏の次男の記事に目が行った。夫の葬儀が終わってすぐに記したもので、添付してある何枚かの思い出の写真は、夫がたくさん写っている。そうだった、去年この記事を目にして胸がいっぱいになったのだった。

A part of me died on July 16th.  An empty space remains which cannot be filled.  I am thankful for all the memories.  I love you dad and miss you.                                     僕の一部は7月16日に亡くなりました。 埋められない空白が残ります。 全ての思い出に感謝しています。 お父さんを愛しています、そしてあなたがいなくて寂しいです。

去年のクリスマス、子供達はShutterfly写真印刷・製本会社に頼んで、家族カレンダーを作り、一冊を私にくれた。家族全員の誕生日は、もちろん、毎月の写真ペイジは、子供達が気に入っている夫と私の出会った頃の写真やまだ5人子供が揃っていない頃の家族写真、初めての父親と息子のキャンプ、父親と娘のスクールダンス、父親との他愛のない日常の一コマ、などの写真ばかりだ。けれどそこには父親の愛情と思いやりが見て取れる。

たとえ再会の時までのしばしの間とは言え、私は夫を亡くし、子供達は愛する父親を亡くしたのだ、とカレンダーを見ると実感する。至極当たり前なことだが、一人一人の子供達には、子供達なりの喪があり、哀悼がある。そして再会の時までの希望の灯を燃やし続けようとしている。私も頑張らなくちゃ、と勇気づけられる。

アリゾナ州北東部のニューメキシコとの州境にある家族墓地にて。
夫の父の埋葬式で。今の次男よりも若かった夫。

Every cloud has a silver lining.
「どんな雲にも明るい兆しがある」とは、どんな悲しい状況や不快な状況にも
プラスの面があるということを意味する。



バッハを聴きながら

2024-02-03 | 私の好きなこと


子供たちと私はクリスマス休暇以来、いくつかのジグソーパズルをこなしている。当初は次男が送ってくれたストックホルム風景画(1000ピース)、次はクリスマスクッキーの写真画(500ピース)、ピーナッツ(1000ピース)、そして現在始めたのは1500ピースのディズニー画。同じピーナッツで3000ピースのパズルがあり、誘惑されるが、長男はこの箱を開けたばかりの1500ピースをまず終えよう、と賢い判断を下す。


これは手こずった、というより私が飽きた。雪の地面は同色。最後は長男がひとりで仕上げていた。そして下のような画面が一部ある。


この真ん中の土星のような形。
この部分周辺は末娘の夫がさっと数秒で組み立てた。


これが土曜日から挑戦している1500ピース。

このパズルは簡単なようでなかなか手強い。ご覧のように額縁が二重になっているし、その中に丸い囲みがいくつかある。エッジのピースを拾い集めている時、まるでごった煮のようなものだわ、とため息をつき、そうだ、クラブボイルを作ろう!と思い立った。パズル画が食べ物ならず、ディズニー画なのに。

早速コスコで甲殻類などのシーフードを揃えようと、向かうと、大きめのエビも、ダンジョネス・クラブも、それにロブスターも驚くほどの低価格で、魚はパスして、これまた安いカラス貝のパッケージをカートに入れる。
材料のひとつ、レモンは横庭の柑橘果樹から、今年農夫且つ園丁となると決心した孫たちが鈴鳴りのマイヤーズレモンをもいでくれた。長女は前日丸いサワードゥブレッドを焼き上げて届けてくれてあった。



クラブボイルにはいつもこの調味料パックを使用。

甲殻類とカラス貝の下処理を終えて、ストックポットに水、塩、上記の調味料パック、縦に四つ切りにしたレモン数個、四つほどの輪切りにしたトウモロコシ数個、赤いポテト数個を入れて沸騰させる。沸騰後、スパイシーソーセージをぶつ切りにしたものを入れてから、2、3分毎に、まずカラス貝、ロブスター、ダンジョネスクラブ、エビ、と入れていく。

その後エビが煮えていれば、それで完成。ポットから材料を引き上げて大皿や長方形のケーキ型や大きめのボールによそい、ガーリックブレッドの輪切りサワードゥブレッドとレモンを添えて、さぁ召し上がれ。わいわい子供たち家族とより集まって、愉快に過ごせた晩だった。

2月4日日曜日は亡夫の誕生日。土曜日日曜日は、閉園するここの市立墓地。週明けに花束を持って都合のつく子供達と夫に会いに行こう。未亡人7ヶ月目の私は、夫も好きだった年一回ほどのクラブボイルを子供たちと楽しくすませ、案の定さまざまな家族の思い出を笑顔で話し合った。生きるということは、ある意味残酷で、美しくも、また希望さえ不思議に湧いてくるのだ。



クラブボイル


小さな人々のいる家

2024-01-24 | 私の好きなこと





かなりの間、10年以上、夫と二人きりの家で、週末には孫たちがどっと押し寄せてきてはいたが、のんびりと二人のペースで生活していた。昨年それこそ怒涛の一年を過ごし、最後の月には小さな二人のいる一家4人が加わった。そして家の様子は変わった。

朝階下へ向かうとき、ウッデイが階段の途中で行き倒れている。「あらまあ、どうなさったんですか」と思わず声に出して拾い上げる。


居間には、新しい「図書館」がすっかり出来上がっていて、来館者のヘッジホッグのソニック、ディズニー映画モアナのチキンたち、パンダ、グローワームのトーディ、ちっとも怖くないドラゴンのスクウィッシュマロウなどの面々が、すでに子供コーナーでひしめき合っている。



そしてキッチンのマイクロウェイブ・オーヴンの上には、Dr. Seuss(ドクタースース)の登場生き物のような方達がたむろしている。




これらは、この二人兄弟の「企画」である。孫#7と#10は、今年5歳と今月8ヶ月。この二人の計画は、祖母家を絵本と玩具と何故か靴下片方をそこらじゅうに置いてみる事らしい。


「セイリセイト〜ン!」と声かけして片付けもするが、いかんせん、この8ヶ月児、このお顔にノー!とおっしゃられる方はいらっしゃるのやら。



すると、従兄弟たちを訪問している4歳の孫#9がお馬にまたがってパトロール中。この「荒野のカウボーイ」は、パトロール常務に専念するので、「お片付け」はしない、そうだ。




それでは私は二階で繕い物をしようとすると、今度は赤いパワーレインジャーが交通事故に巻き込まれた模様。付近にはアメリカ原住民が倒れているし。その下は、竜巻にあったに違いない。


寝室の私の書斎コーナーに座って繕い物を始めんとすると、机の上に夫の聖書バッグが置いてあり、ふと開いてみようと思った。夫は聖典学習をこまめにしていて色鉛筆で丁寧に印をつけたページだらけで、リファレンスとして私は時折使っている。その時バッグのポケットを開けてみると、なんと夫が長年大切にしていた三男の小さなおもちゃが入っている。チープなものだが、三男がいつも聖餐会で静かにこれで遊んでいたものだ。やがておもちゃなしでも日曜の礼拝に参加し、話を聞くことができるようになると、そのおもちゃは必要無くなり、夫の聖典バッグのポケットにずっと入れられていたのだが、夫には捨てられなかった。そんな夫だったから、そのグリーンのおもちゃを取り出し、手に取って、私は遠い日々を思い出していた。


こんなちいさな宇宙人にさえおおきな思い出がある。





若いということ

2022-11-16 | 私の好きなこと

 

 

 

二週間前まだ日昇前の暗い、それでも街灯によく照らされた全方向一時停止の十字路で、私の番が来て、左折した途端に十字路正面に待っている筈の若い女性の車が、前方を確認せず(彼女談)、右折し、私のパッセンジャー席側の車体に衝突した。 そのため右前方のドアが開きはしてもきちんと閉じなくなった。 エンジンにはなんの故障もなく、なによりも人身事故でなかったのは幸いである。 

保険会社の被害査定はやっと明日という遅さ。 相手の若い女性はしきりに謝っていたが、いくら夜明け前とは言え、私の車は白く、街灯の灯りも十分についているところである。 被害額査定が芳しくなければ、もう慈善団体に寄付しようと思っていた矢先、ご近所に住む方が、通りがかりドライブウェイに停車していた車を見て、是非買わせてくださいという申し出をした。 「この通りパッセンジャー席の車体が凹んでいるように、事故に遭ったばかりなんです」と夫が説明すると、「保険に任せると、法外な査定で、被害に遭った方に自己負担金という形で、これまた法外な要求するのがオチですよ。私は車体整備や修理をする仕事をしているので、この直しは安くすみ、お譲りくだされば、自分で直します。16歳の娘にちょうどいい最初の車です。」と話す。 20年は使用しているから、どこかに寄附しても構わない考えだったので、もしどなたかのお役に立つならば、という気持ちでいる。

Misfortunes never come aloneという諺のごとく、災いは一つだけ、ということはあまりない。 事故の前後にごく親しいひとから、膠原病と診断された旨知らされた。 ちょうど一年前に10代の頃に膠原病と診断された友人が75歳で亡くなったのがすぐ頭に浮かんだが、この親しい人は、73であるからして、若い時期ずっと健康で二児にも恵まれてきたのを思うと、やはり寄せる年のなせるわざと取ることにした。 なによりも症状の自覚がないのが救いである。

そして先週は大学からメイルで、私がCovid-19感染者と接触したかもしれない可能性があると知らされた。 思い当たるのは、同僚の一人が今週で二週目になるが、ずっと病欠勤していることだ。 夫と私は、10月に5度目の、つまり3番目のCovid-19ブースター接種を終えていて、特に最後のは今現在流行中の型に効き目のある、という種類だった。 予防接種は罹患しないのではなく、罹患後の症状を軽くするのが目的だが、うまく盾となってくれていたらいいという気持ちは十分ある。

今年のインフルエンザ接種も済ませたばかりである。とにかく、薬局や学校で無料でくれるテストキットがあるので、検査して学校に報告せねばならない。 それも今週中に。 症状はないが、症状があったり、テスト陽性であっても、隔離することは必要はない、ということである。 せいぜいマスクでもしていれば?ということらしい。 それでもあまり楽しくはない。 あ、待って、これでだるかったりしたら、家でゆっくり休めるではないか!と閃きもした。 これから来週の感謝祭、続く来月のクリスマスと家族の行事が大切で忙しい時期、ゆっくりできるのは、ありがたく、楽しいではないか。 と、まあ少しは気を取り直している。 

精神的には、民主主義国であるこの国の中間選挙の信じがたい体たらくを再び目にした市民の一人の私は、それだけでもお先真っ暗だが、三島由紀夫氏のように憂国病には陥りたくはない。 それに、誰もこの世が完璧だとは言っていない。 むしろ不完全で、どうしようもないのは、私でさえ知っている。 だからこそ起き上がり、再び歩き始めなきゃ、と自身にハッパをかけている。

そんな時、ふと手にした書棚の書物にあの有名なサミュエル・ウルマンの「青春」があった。 彼は1840年ドイツのユダヤ人住民の多く住む地域に生まれ、1851年にはアメリカへ両親と共に移住している。主に南部州で暮らしたため、南北戦争時には南軍にしばし身を置いていた。 彼は後に実業家、詩人、教育者、宗教指導者となった。 彼の「青春」という詩は、ダグラス・マッカーサー将軍が気に入り、日本にも紹介され、松下幸之助を筆頭とする日本の実業界の重鎮にも愛された。 これはウルマンが70歳代で書いた詩で人生の後期においての力強い言葉は、今でも我々を励ます。 生きていると当然のように忍び込む不安、恐れ、苦悶、などとあらゆる暗雲を少しでも払いたい時の応援の詩である。 そうだった、私も負けちゃいられないのだ。

 

Youth by Samuel Ulman

Youth is not a time of life; it is a state of mind. It is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees. It is a matter of the will, a quality of the imagination, vigor of the emotions; it is the freshness of the deep spring of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over the love of ease. This often exits in a man of 60, more than a boy of 20.nobody grows merely by the number of years; we grow old by deserting our ideas. Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust1 bows the heart and turns the spirit back to dust.

Whether 60 or 16, there is in every human being’s heart the lure of wonders, the unfailing childlike appetite of what’s next and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from infinite, so long as you are young.

When the aerials are down, and your spirit is covered with the snows of cynicism and the ice of pessimism, then you’ve grown old, even at 20, but as long as your aerials are up, to catch waves of optimism, there’s hope you may die young at 80.

Youth is not a time of life; it is a state of mind. It is a matter of the will, a quality of the imagination, vigor of the emotions; it is the freshness of the deep spring of life. These are what I have and what we have at this period of life. So, I’m still young, yes, definitely ! Come on my fellow friends, show your energy and passion to this god damn world ! Let the universe hear our voice, see our cheek, hug our enthusiasm and witness our maturity. We’re going to create a brand new future !

 

青春(訳:岡田義夫氏)

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚の皺を増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こういうものこそ
恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星辰、
その輝きにも似たる事物や思想の処する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、
小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く、疑惑とともに老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖とともに老ゆる。
希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば
この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

                                                                             

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言う。

 

 

 

 


まだ会えていない

2022-10-17 | 私の好きなこと

アイスランドのブルーラグーン

 

 

 

先日のブログ、狩人と流星雨とヴァイキングの10月に書いた私のバケット・リスト(死ぬまでにしたいこと、見たいことなど)について少々書き足そう。 勿論有り余るほどリストにはある。 全てやり遂げるのは、余生だけでは足りないけれど、その時のために猫になることも付け加えておこう。 なにしろ猫は9つの命があると言うから。

まずリストの項目「見たいこと・物」にこんな物がある。

 

#1 青く怪しく光る小さなキノコ。

 

Garth Smith

 

#2 落ち葉を飾るように礼儀正しく並んで生える不思議にかわいいこの極小青いキノコ。

tiny mushrooms: reddit

 

#3 根性蛙は聞いたことがあるが、この根性木の生存に対する真摯な執念は圧倒される。

i.imgur.com

 

#4 小さなそれでも美しいウニの殻や色とりどりの小さな貝殻の集まったもの。 幼かった頃の私がこれを見つけられたら、「一生の宝物」としてきっと今の今でも持っていたことだろう。

Beautiful Seashells In A Shell: reddit

 

#5 このフクロウはアヒルの卵を自身の卵として温め、孵して子供のように育てている。 動物間の種を超えた愛情は、心が打たれることが多いが、これは本当にかわいい。

Laurie Wolf

 

#6 毎朝起きた時、窓を開けて、このピンクロビンが枝にいたら、その日は1日良い日になるかもしれない。 本当は (Petroica rodinogaster)セグロサンショクヒタキ(学名:Petroica rodinogaster)スズメ目オーストラリアヒタキ科サンショクヒタキ属のお方である。

Reddit

 

#7 絶滅危惧種のアンデス山脈に住む山猫。 あまりに愛らしくて、つい人々はこの猫を獲りすぎてしまったに違いない。 いつかこの美しい山猫のいるアンデスのどこかでお会いしたい。

Cristian Sepulveda 

 

#8 北極圏のオーロラの輝く夜空の下を行くレインディア(となかい)の群れ。 

raindeers: Anton Petrus/Getty Image

 

#9 夜空に現れた不死鳥、ではなくて、イタリアのシシリーにある世界の最も活動の顕著な火山のマグマ。 夜空にそのマグマがまるで不死鳥の飛翔に見える。 いつもこのような形になるとは限らないところが良い。 偶然この写真を撮影したフォトグラファーはラッキー。

 

#10 ヨセミテ国立公園のあのハーフドームの上に浮かぶ満月。 このハーフドームの上から満月を眺めたいものである。地理的に手の届きそうな希望であるのがよろしい。

Redditから。

 

以上が私のバケットリストにある見たいもの10点である。 さてあなたはどんなことがリストにありますか?