![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/82/3b4cd3d58782e878ace1bc2acca2e08e.jpg)
肥前名護屋城で、最後に訪ねたのは波戸岬。
天気の良い休日、キャンプ場は大賑わい・・・
そこを通り過ぎ、「国民宿舎 波戸岬」に、
ちょこっと車を停めさせてもらう。
向かったのは、北条氏盛(ウジモリ)陣屋跡。
小田原北条氏につながる河内狭山藩、氏盛は初代藩主だ。
ああ、豊臣秀吉の小田原合戦で亡んだ北条家も、
秀吉の唐入りに馳せ参じていたのか・・・
そう思うと、なんだか胸がいっぱいになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/da/e4494bfdfd3c4220294b37fc5511295a.jpg)
図録の「陣跡比定陣主一覧」によれば
北条氏盛(下野 栃木県)0.4万石は、200人を率いていたという。
えっ、下野?
氏盛さんは、河内じゃないの?
・・・ごもっとも!
同じ「一覧」を見れば、北条氏規(ウジノリ)(0.2万石)が
文禄の役に「200人?」を率いており、
ここに「河内(大阪府)」と、書かれている。
・・・北条氏盛(下野)は、氏規(河内)の嫡男、
つまり親子で参陣していたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/77/bcf159bad9ee25ce26dec8b3dedee2a4.png)
ここで、敬愛してやまない、小田原北条家の
小田原合戦以後を、ざっくりとまとめておく。
天正18(1590年)、豊臣秀吉の小田原合戦は、
当主の父である第4代・北条氏政と、
その弟、北条氏照(八王子城主)の自刃と引き換えに、終わった。
これにより、豊臣秀吉の天下統一が完了!
小田原合戦時の当主、第5代・氏直は、このとき一命を助けられ、
高野山に蟄居を命じられた。
これに従ったのが、北条氏規。
先代の弟で、当主・氏直から見れば叔父にあたる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/f8/ff339a2709798485fdbee9335eb1766c.jpg)
二人が助命されたのは、徳川家康の力だろう。
当主・氏直の妻は家康の次女・督姫。
(大河「どうする家康」で北香那さん演じる西郡の方の産んだ娘)
一方、氏規も、家康との縁は深い。
母親は、北条三代・氏康の正室、今川家の出身だ。
氏規は母方の祖母・寿桂尼(「直虎」では浅丘ルリ子さん)に
預けられるという形で、駿府・今川家の人質となっていた。
氏規は、この時期に、同じく人質だった家康と親しく、
何かでは「親友」とまで記してあった気がする。(「気」です)
どちらも、いわゆる「人質」ではなく、将来の今川家の戦力とすべく
丁重に扱われ、教育もうけていたことは、言うまでもない。
この縁があって、氏規は、後に北条と徳川との交渉役を担い、
その延長で、羽柴秀吉との外交も引き受けていた。
北条氏直、氏規は、高野山で1年ほど過ごした後、
家康を通じ、秀吉から赦免される。
氏直は1万石、氏規は7000石を拝領、
秀吉の旗本家臣として生きることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/84/7203eaa3dfdf3dc4de14ad1d2c976a66.jpg)
しかし、氏直は半年後、疱瘡で逝去。30歳だった。
氏規の嫡子・氏盛も、主君と父に従い
高野山へ入り、赦免されている。
この年の「秀吉に喧嘩を売った男」(高橋克彦「天を衝く」)、
九戸政実の乱では、家康に従い、出陣したという。
その後、本家・氏直の後継と認められ、まず下野4000石を、
やがて父の死去(1600/慶長5)に伴い、7000石を継承し、
1万石を越える大名となった。
氏盛は、文永の役に続き、関ヶ原合戦にも、東軍の将として参戦、
慶長13(1608)年、大阪で亡くなった。
氏盛の子・二代氏信は大阪狭山へ移り、陣屋を構築、
明治維新まで、北条家は12代が続いている。
ちなみに最後の藩主・北条氏恭(ウジユキ)は
明治天皇の侍従を務めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f4/68c8434b8e87aa1a2cfdac650ec6c5b6.jpg)
・・・あれ、肥前名護屋城の登城記録が、
いつのまにやら、小田原北条家のその後へ、とすり替わってしまった。
お許しあれ。
それにしても・・・
徳川家康と小田原北条家の縁の、
なんと深いことよ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e1/e642431cfa58574b28bbbf52aa04e62b.jpg)
それなのに、「どうする家康」では
北条家の存在がスルーされている・・・
今川氏真の正室・糸(早川殿)に志田未来さんが登場したくらい?
先日の追加キャストで、
北条氏政に駿河太郎さんが発表されたけれど・・・
う~ん・・・
地元・小田原では「真田丸」のときの氏政・高嶋政伸 さんが
いまだに根強い人気だという。
今年の「北條祭り」武者行列でも、髙嶋・氏直が登場したくらい♫
また追加キャストのひとり、氏直役の西山潤さんは
残念ながら、存じ上げず。
家康とのパイプ役・氏規は発表されないってことは
登場しないと言うことだろう・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/42/9a351321c93c61b08bce6c9315497f26.jpg)
(2023.5.3.小田原城三の丸ホール
左から黒田基樹先生 平山優先生 諏訪間順氏)
やっぱり、北条五代を大河ドラマにしていただくしかない!
(→小田原市・署名活動実施中)
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
以下の図書を参考に、記事をまとめましたが、
間違いや勘違いもあることと存じます。
歴史の素人ということで、お許し下さいませ。
◆参考図書:
●佐賀県立名護屋城博物館 編集・発行
「令和3年度 佐賀県立名護屋城博物館企画展
綺羅、星の如くー戦国の雄、肥前名護屋城参陣ー」
●黒田基樹『戦国北条家一族事典』戎光祥出版
「令和3年度 佐賀県立名護屋城博物館企画展
綺羅、星の如くー戦国の雄、肥前名護屋城参陣ー」
●黒田基樹『戦国北条家一族事典』戎光祥出版
●北条五代刊行推進協議会「北条五代 逸話集」
(パンフながら、出典が明記され、史実か否かの区別もされた優れもの!)