
鹿児島旅行、2日目。
午前中は鹿屋で戦争遺跡をめぐる。
鹿屋市観光協会のコース①「笠野原・串良基地跡」(3か所)だ。
ガイドは、私よりかなりお若い、おきれいな女性ガイドさん。
昨日のガイドSさんからの引き継ぎがあったようで、
こちらの興味などを、しっかりわかってくださっている。
心強い。
そのため、オリエンエーションを省略し、すぐに出発する。
まず向かったのは笠野原エリア。
1922(大正11)年に誕生した、鹿屋初の飛行場で
当時は、大刀洗陸軍飛行場の離着陸用の民間飛行場だった。
真珠湾攻撃に参加した第二航空戦隊艦爆撃隊も、
ここを使っていたという。
だが1945(昭和20)年3月18日に始まる鹿屋への空襲で
基地施設は破壊される。
戦後は払い下げられ、今ではのどかな農地だ。

見学したのは「川東掩体壕(えんたいごう)」。(↑)
空襲などから飛行機を守るための格納庫で、
ここにはゼロ戦が納められてていたらしい。
サイズがぴったりなのだそうだ。

天井や壁には建築材料として紙袋が使っており
袋に書かれていた「セメント」の文字も、うっすらと読み取れた。

そこまでは、(↑)この画像で厳しいが、シワシワ感はわかる。
紙袋を使っていたためにできたシワができている。
当時、軍隊ですらモノがなかったということ・・・
人材も不足しており、この掩体壕を造ったのは中高生だったそうだ。
海軍設営隊は、それどころではなかったのだろう。
今、ここは少しずつ土地が沈んでいるらしく、
近い将来、立ち入り禁止になるかもしれない。
これとは別の形で掩体壕を見たことがある。
以前、大分県の宇佐飛行場跡を旅した時のこと。
かつての滑走路だった道路の近くでは
民家の脇に掩体壕がいくつも残り、車庫や物置として使われ
仰天した。
戦争遺跡の保存は難しい。
続いて、串良エリアへ。
ここは太平洋戦争末期に、教育航空隊として開隊され、
飛行予科生が航空機の整備・搭乗・通信などの訓練を受けている。
1945(昭和20)年3月からは、特攻の基地である。
終戦までに363名の特攻隊員と210名の一般攻撃員が
亡くなっている。
見学ポイントは、基地跡に残る「地下壕第一電信室」である。



特攻隊員が出撃し、敵艦に体当たりする前に、
攻撃報告のためのモールス信号を送る。
受信をしていたのが、ここの通信室である。

突撃直前に、乗員が送ったのモールス信号の再現音を聴く。
「ツー」という長音が続き、やがて途切れる。
目的通り、敵艦に体当たりできたのか、
あるいは敵に自分が撃ち落とされたのか・・・
ベテラン通信員になると、最後の「ツー」が長いと特攻・成功、
短いと敵からの攻撃を受けたと聞き分けられたそうだ。
どちらにしても、「ツー」の長音を残し、一つの命が喪われている。


最後に平和公園慰霊塔へ向かう。


ここは串良基地から飛び立ち戦死した特攻隊員・一般攻撃隊員を
祀っている。合掌。

近くには野球場があり、歓声が響いていた。
平和は何と尊いことか・・・
Yさんとも、またの出会いを約し、ここでお別れする。
その後、かつての滑走路だったという道路を走る。
「永遠の0」ドラマ版のロケ地でもある。
滑走路は、ちょうど今の桜の並木まで広がっていたという。
満開の桜の頃は、どんなに美しいだろうか。

さて・・・
わたしの地元・横浜には、戦争末期、
日吉に「海軍連合艦隊司令部地下壕」が築かれた。
串良の地下壕と、造りは、よく似ている。
驚いたのは、鹿屋の場合、日中はオープンで、
誰もが自由に入れることだ。
無人で無料。
日吉の地下壕は慶應義塾の敷地内のこともあり、
見学は義塾の許可した見学会の中でしか認められていない。
普段は厳重に施錠され、見学も警備員立ち会いの下でに限られる。
鹿屋はの話は羨ましい限りだが、この違いは、立地の差だろう。
もし、日吉の地下壕をオープンにしたら・・・
都会は、いろいろな人が居る。
あっという間に破壊されてしまうかもしれず、
厳しい見学規制もやむをえまい。
実際、串良では、わたしたちが見学している間、
どなたもやってこなかった。
イタチが車道を横切っていっただけw
繰り返しになるが、
戦争遺跡の保存に加え、公開は難しい・・・と、思う。
Yさんによると、串良地下壕では、近所の女性が
戦後ずっと掃除をし、きちんと管理を続けてくれていたそうだ。
その女性は「これは大事なもので、絶対に残さなければいけない」と
考えられての無償の行為だったという。
頭が下がる・・・
そんな住民の思いが通じ、
鹿屋では、戦争遺跡が鹿屋市の指定文化財となっている。
すばらしい。
語弊があるが、わたしは戦跡が好きだ。
同じような戦跡好き仲間に、鹿屋戦跡ツアーに参加したと話すと、
全員が全員、同じ反応を示した。
「良いなぁ!鹿屋、行きたいんだよね~」と。
それもあって、後半、端折りながらではあるが、
「鹿屋」旅行記・更新のスピードを上げた。
今更ながらだが、自分が貴重な旅をしたと、実感している。
📷冒頭画像は、道中、あちこちで見かけた
燃えるような赤い実を着けた樹。
Googleさんは「クロモジ」というが・・・?
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
ガイド氏のお話を記録したメモや以下の参考資料をもとにまとめましたが、
勘違いや間違いはあるかと存じます。
素人のことと、お許し下さいませ。
参考:
●『魂(こころ)のさけび―鹿屋航空基地新史料館10周年記念誌』
鹿屋航空基地史料館協力会
●多胡吉郎 『生命(いのち)の谺(こだま) 川端康成と「特攻」』
現代書館
●パンフレット「戦争を旅する」鹿屋市ふるさとPR課
ガイド氏のお話を記録したメモや以下の参考資料をもとにまとめましたが、
勘違いや間違いはあるかと存じます。
素人のことと、お許し下さいませ。
参考:
●『魂(こころ)のさけび―鹿屋航空基地新史料館10周年記念誌』
鹿屋航空基地史料館協力会
●多胡吉郎 『生命(いのち)の谺(こだま) 川端康成と「特攻」』
現代書館
●パンフレット「戦争を旅する」鹿屋市ふるさとPR課