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ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

FMアップル「北海道歴史探訪」

2008-04-04 | 写真
これも馬頭観音。額の上に馬頭を戴いています。(梅遊寺、大分県)


 大事なことを書いていませんでした! もう明日になってしまいましたが、明日4月5日土曜日、午前11時~12時に、FMアップル(76.5MHZ)の「北海道歴史探訪」という番組にゲストで出てきます。本当にありがたいお話で。パーソナリティの山本裕雪さんと、知床開拓の歴史、北海道の歴史、そして今について、楽しみにおしゃべりしてまいります。札幌市内在住の方はぜひどうぞ。

FMアップルのホームページ http://www.765fm.com/

"北海道歴史探訪" 山本裕雪さんのブログ http://www.namara-hokkaido.net/guide/rekitan/

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西熊野街道

2008-03-29 | 写真
熊野の雲海

 知床の他、熊野での取材を今年中になんとかまとめられないかと思って、かつての人々が往来した古い道(アスファルトの道路ができる前の)を撮影しています。奈良と三重と和歌山の県境を往来していると、ただでさえ深い山中の村々の中にさらに、「なんでや」というような山頂の斜面に集落がはりついているのを見て仰天することがあります。
 十津川に樫原という集落があるのですが、地図を睨んでも、実際に行ってみても、くらくらするような隔離された山の上にある。車なんか対向できない急勾配の細い谷道を、深い谷の滝の上のさらに上まで上がっていくと、周囲の山々が全部見晴らせるような天上の世界に村があるのです。
 でもそれは、あくまで現在の車社会の、アスファルトの国道や、現在の街の有り様から見た世界でしかなく、そこに村があり人が生活を営むだけの、長い経緯は必ずあるのです。現在の姿だけ追っていては、過去から今までこの地に暮らしてきた人々のことはわからない。
 地図をぐっと睨み続けていると、この集落が実は、熊野三山の奥の院と言われた玉置神社からまっすぐ奈良へと向かう古い山道の上にあることがわかります。吉野と熊野を結ぶ奥駈道と、玉置神社で直行しているのです。
 実は、この山道こそかつての西熊野街道の本道だったと聞いて、躍り上がっていました。樫原という集落は、人々が往来した街道沿いの村だったのです。
 現在、西熊野街道といえば、十津川に沿って谷底をぬう国道186号線をさしますが、かつての人の歩く道は天上の道だったのでした。
 私たちは道路をつくりやすいように、谷や川に沿ってアスファルトを敷いていくけれども(現代はその方が暮らしやすいのだろうけれども)、一々水害があって日当たりが悪い谷底よりは、空に大きく開け、日当たりがよく、清水が湧く山の上の世界の方が、本来ははるかに畑や水田を耕し、山からの恩恵を受ける生活に適した土地だったのでした。山の上に隔離されて登るのが大変で・・・と思うのは、現代の(少々ひ弱な)私たちの感覚でしかないのです。
 そして、かつての人々が歩いた、生活に密着した道にこそ、美しい石畳や生活の跡が残っているのですが・・・・・・・。


和歌山県新宮から奈良県玉置神社に向かう古い街道:三重県木津呂


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桜の写真

2008-03-12 | 写真
アマナイメージズ http://amanaimages.comの高野山の桜から自分の写真


 写真展が終わった後、この8日間で5回目の当直中です。ちょっとやりすぎました。さすがに息切れして眠いです。この後お返事書きますね、コメント溜めてしまいすみません。

 3/19発売の雑誌「サライ」で書評を載せていただけると聞き、すごく喜んでいました。サライ、大好きなんですよ。札幌にいた時は、フレッシュネスバーガーでハンバーガーをほおばりながら、店内のサライを隅から隅までじっくり読んでリラックスするのが楽しみでした。でも、サライは時々ちょっとフクザツな気分です。特に桜や高野山の特集を見る度に、いつか自分の写真も使ってもらえるようになりたいなあと、それまで頑張ろうなあと、悔しさのような憧れのような気分で紙面を眺めていました。
 で、3/5に出たばかりの今号は桜の特集です。もう春が待ち遠しくて、フクザツな気分とかそんなの言ってられなくて、病院の売店に売ってたのを桜にとびつくよーな気持ちでルンルン買ったら、

 ・・・・・自分の写真が載っていました( ̄□ ̄||

 あんまりびっくり仰天して、当直室で、飛び出して転がってった自分の目ン玉をしばらく探しまわりました(嘘)
 デジタルに置き換えたものを引き延ばしたせいか(もとは645です)解像度がいまひとつですが、地道に努力すれば、いつかそうなりたい、と思い続けていたものに近付いていけるんですね!!
 これからも地道にやるぞ、と心から思いました。ありがたい話です。地道に頑張ります(^^)
コメント (5)
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「知床開拓スピリット」栂嶺レイ写真展 開催しています

2008-02-28 | 写真
「知床開拓スピリット」栂嶺レイ写真展
札幌市資料館 第2ギャラリー 札幌市大通西13丁目 入場無料
2/26(火)- 3/2(日)

 一昨日から札幌市資料館にて、「知床開拓スピリット」の写真展が始まりました。できるだけあるもの全部展示したいと欲張ったため、一室の中に80点を越える写真とそれぞれの説明パネルがぎっしり、オシャレで粋な写真展らしさは皆無ですが、見応えはあると思います。皆さん、ものすごい長い時間をかけてじっくり見ていって下さいます。
 また、当時を知る方々、まだお会いしたことのなかったもと開拓者の方々が次々いらっしゃり、取材体制じゃない私は大慌てです。写真を前にして、怒濤のように語られる当時の思い出の数々。わわ、こんな所でそんな重要な話をされても、メモしきれない・・・! 改めて訪問させていただこうと聞いた連絡先も、すごい数に。本は出ましたが、取材はまだまだ終わりません。



 お父さん(すでに故人)が岩尾別で生まれたという方がいらして、見たことのなかった自分のルーツを見るようだ、と、じーんとされていたのが印象的でした。今はいない父母や、離ればなれになった友人たちと会っているような気がする、と、通ってくださる方もいます。



 開催中はできるだけ会場にいて、できるだけ多くの方にお会いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
コメント (2)
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「限界集落」を考える

2008-02-16 | 写真
http://amanaimages.comから自分の写真をもうひとつ。有名な熊野古道の周辺には、地元の人々の生活道路としての街道がひっそりと残っています(三重県)


 エッセイ(?)の「まれびと(来訪者)、としての自分」ではあんな風に書きましたが、Hおじいちゃんはとても元気で電話をくれました。人間って、人の勝手な感傷など無関係な所で、もっとたくましく、ごくまっとうに生きているんだと(←自分が普段から言っていることなのに)、自分が嬉しくも再認識した次第です。
 そして、エッセイ(?)に書いたもう一人、Sおばあさんのことについても書かなくてはなりません。
 Sおじいさんが急に亡くなって、熊野の天に開けるか?というくらい山の上の村に、犬とともに一人残されてしまったおばあさん。私はすごい心配になって、熊野に行く度にお菓子を持って押しかけました。
 が、おばあさんはとても元気でした。
 というか、おじいさんがいた頃よりも、元気になってしまった(汗)
 旦那さんの前ではとても無口で、あんまり好き勝手を許されていなかったおばあさん、それが「こ、こんなに喋る人だっけ?」というくらい生き生きとよく喋って、闊達になっていました。ご自宅はすごい斜面にあるのですが、その前の小さな畑を日々耕して野菜を育て(シシ(猪)との戦いを語ってくれます)、斜面を下の国道まで降りるのは2か月に1度、郵便局に年金をもらいに行く時だけ。熊野という地域は近所のつながりが強く(その分、新参者は苦労するそうですが?)、周囲の人々も心配してよく声をかけてくれるそうで、さらに、山がちなこの熊野一帯では、野菜も魚も日用品も"物売り"がトラックで売りに来るので、家から出かける必要がありません。すごい山の上なのに、おばあちゃんの一人暮らしでも全然オッケー(!)
 最近よく「限界集落」という言葉が取り上げられますが、ニュースなどで目にする度、Sおばあちゃんのことを思い出します。Sおばあちゃんのいる集落は廃屋が目立ち、人が今も住む家は5~6軒しかありません。でも、すごい山の中であろうが、過疎であろうが、ご高齢であろうが、ちゃんと一人一人が暮らせる素地がある。
 一方で、北海道の田舎ではこうはいかないだろうな、と思います。北海道でSおばあさんのような立場のご高齢の方が暮らすのはすごく厳しいのではないでしょうか。
 あちこちの離島にも行きましたが、高速船で何十分もの離れた離島でもジジババ元気いっぱいの島もあれば、本土が目の前に見えていて、学生さんがフェリーで本土の学校に通えるような島でも「ここは離島だから・・・」とおじいちゃんが溜息をついていて、びっくりさせられたこともあります。まだまだ何十戸もある村で「うちは限界集落だからねえ。こんなに家の少ない村は見たことないでしょ?」と言われたこともあります。
 限界集落というのは、「もう人が暮らせない」という負のイメージがありますが、その内容は、行政的なことだけでなく、その地域の暮らし方とか、人々の気質とか、いろんなものがごっちゃに入っています。だから「限界集落」という言葉は使いやすく、言葉自体が一人歩きしがちかもしれないけれど、もっと地域の実際を見なくてはと思うのです。
 全国のおじいちゃん、おばあちゃん、自分の村を「限界集落」と言ってしまうにはまだ早い。
 Sおばあさんと、Sおばあさんの周囲の熊野の人々の暮らし方は、ひとつのヒントになるのではないかと思うのです。

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疫病神サマの長い旅

2008-02-12 | 写真
下平のコトの神送り(長野県飯田市)

 昨日まで、南信州の天竜川流域のコトの神送りを取材しに行っていました。よく「それはオオゴトだ!(それは大変だ!)」という時の「コト」です。身体に起こると良くない「コト」とは、疫病とか風邪のことで、それが地域を移動しながら流行していくことを、昔の人は「病気や風邪の神様が村の外から移動して来る」と理解したようです。村に入ってきた疫病神サマをお神輿に乗せて、隣の村に捨ててきてしまいます。
 が、捨てられた隣の村はたまらん!!ということで、新たにその村の災厄(各家庭を祓ったササ竹)も加えて、さらに隣の村に捨てに行く。捨てられたその村もたまらんので、さらにその村の災厄を加えて隣の村へ・・・・ということを、延々つなげていくのです。一軒一軒を祓ったササを次々加えていくので、行事の終わり頃にはすごい数になっています。


芋平の集落で作られた神輿を下から覗くと、男女の藁人形が入っています。これが疫病神の依代になるという所や、この下をくぐるとご利益があるという所など、謂れは集落によってまちまち・・

 コトの神送り(集落によっては、風の神送りと呼ぶ)は2月8日~9日の2日間と聞いていましたが、実際に現地に行ってみると、さらに2月10日までリレーは続いていました。延々3日間、捨てられては次へ行く疫病神サマの旅路に付き合ってきました(笑) 昔は最後の村の境で捨てられて終わりだったそうですが、さらに次の村がたまらんというので、現在は焼いているそうです。藁人形が作られる所から、最後に疫病様が焼かれる所まで見届けて、こちらも何だかスッキリさっぱりして帰ってきました。
 先日の義母のことが常に心の隅にあって今ひとつ力が出ず、実際以上に疲れてしまいましたが、それがなければ楽しく有意義な取材の方ではなかったかと思います。


富田のコトの神送り(長野県喬木村)


 ちょうど、全国的に大荒れ大雪だった時でしたが、写真撮る身には天の助け! 自分は雪まみれのひどい状態でしたが、現在では軽トラックで疫病神を運んでしまう集落(限界集落で子供たちや人の数が足りないのだそうです)でも、雪で車が入れず、雪上をササを抱えて歩くシーンが撮れたのでラッキーでした。
 南信州の人々は、どの集落でも超!がつくほど親切で、地域柄なのかなあと、ちょっと感動しました。

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空港のX線手荷物検査でのブローニーフィルムの安全性

2008-01-15 | 写真
奈良県念仏寺陀々堂の鬼走り その3 採灯護摩 各家庭が奉納した護摩木は阿弥陀仏の前で祈願された後、読経とともに護摩の灯で焚かれる。


 続きです。
 富士フィルムイメージング(株)プロフェッショナル技術担当窓口からいただいた回答は次のようなものでした(- -;;;
 私は日常的に飛行機でフィルムを持ち歩くので、複数回X線を浴びることを想定して以下の答えをいただいています。

**************
 X線照射の強さにもよりますが、ブローニーフィルムの方が遮断するパトローネが無い分、影響を受け易い傾向にあります。従来型の手荷物検査機ではカラーネガよりはリバーサルの方がカブリ難いと言う長年の知見,データはありますが、やはり何回も積算照射されると影響が大きくなります。
 1回照射での微妙な変化(最高濃度低下,粒状劣化)は比べてやっと分かる程度ですが、実用的には4回までは大丈夫だと考えます。その時の照射強度によりこれ以降の照射回数では、更に感度低下等の何かしらの影響が出てもおかしくないと推定します。
 これからも大変ですが、通関時には頑張って手検査を御主張願います。
 間違えても、鉛の防止袋に入れたり,預け入れ荷物の方に回したりしないように願います。返って取り返しのつかない事に成り得ます。
**************


 いや、実は正直なところ、1回照射しただけでも、比べてやっとわかる程度でも(たとえやっとでも、比べてわかるくらい)劣化があるとは驚きだったですよ。あれだけ影響ない、まったく影響ない、絶対影響ないからX線通せ、と繰り返されていたので、大丈夫なのかと思いかけていました(泣)

 今日の手荷物検査では、フィルムは全部オープンにしてもらいました。
 が、フィルムをオープンにすると、何故だかそれ以外の手持ちのバッグの中身を全部取り出して、トレーに並べ直してX線をもう1回通さないといけないことになっていました。
 機材だけじゃなくて、洗面用具もまるめた靴下も洗濯物も全部取り出されて3つのトレーに広げられて流れていきますが。・・・フィルムをX線にかけられるよりマシなので全然オッケー。
 自分の治療中のアンプルとか注射器とかも流れていきますが。・・・それは何にも言われないのが少々ヘンな気分。
 フィルムはトレーに広げ、「封の空いてるフィルムがないかどうか確かめろ」とか言いながら、1本1本目視で改めていきます。・・・撮影済みフィルムは封が空いているのですが・・・、私にはよくわかりません。
 今日は60本くらい。
 いい時間がかかりました。
 
 X線じゃないけど、こんなこともありました。
 フィルターとか、ストロボとか、もうめんどうくさいので、クッションなどにぐるぐる巻きにして、預け入れにしてしまおうかと思ったことがありました。が、窓口で「保証ができないので絶対機内持ち込みにしてくれ」と拒否されました。
 仕方なく機内に持ち込むと、
「保証ができないので、上の荷物棚には絶対入れないように」
 と言われます。足もとに置けるような大きさではなかったので(大きいです)、置く場所がなくて途方に暮れていると、空いている座席にシートベルトをかけて置いてくれました。
 が、もう一つ分の座席分支払うように言われました(汗)
 (もう1枚航空券を買えってことです)

 いつも、航空機に乗る時はとてもストレスです。
 怒るというより、ひたすら疲れます。どっっと疲れます。
 他のカメラマンの方はどうしているのでしょうか。そんなに頻繁に飛行機で移動はしないのでしょうか。今どきはもう、デジカメ主流になってしまって、ブローニーのフィルムカメラを持って飛行機で移動するカメラマンはいなくなってしまったということなんでしょうか。
 いや、そんなはずはない。そうではないと思うのですが。

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空港でのフィルム及びカメラのX線手荷物検査 その2

2008-01-15 | 写真
奈良県念仏寺陀々堂の鬼走り その2 ここでは鬼役を縛っている「こより」を持ち帰ると無病息災になると言われ、鬼走りが終わると、みんなこぞって解かれたこよりを拾おうとします。
 有名な鬼走りの場面以外にも法要や護摩焚き、陀々堂の名前のもとである「だったん」行など、見どころはたくさんあり、昼の鬼走りが終わっても、夜の鬼走りまでの間も時間をもてあます暇はなかったです。


 続きですが、こんな冗談みたいなこともありました(- -;;
 手荷物の300mm長焦点のレンズケースを見て、係員が「それは何ですか」と言うので、「レンズです」と答えると、ケースから出せと言う。
 仕方なくケースから出して見せると、
 「それはペットボトルですか?」
 ・・・・
 ・・・・・・・あのう(- -;;
 ほんの5秒前に、レンズですと言ってますがな。
 そりゃー最近はペットボトルの検査も厳しくなって頭の中はペットボトルのことがいっぱいなのかもしれないけど、
 どこをどー見たら、真っ黒真っ直ぐな交換レンズがペットボトルに見えるつうねん

 こんな具合なので、
「ブローニーフィルムはパトローネに入っていないので、通常のフィルムよりも感光しやすいのでメーカーからもX線を通さないように言われています」と説明したところで、
 「パトローネ」という単語がわかる人が一人もいません。
「普通の35mm判のフィルムは小さい缶に入っていますよね、それがパトローネです」と説明しなおした所で、「35mm判」も誰もわからなければ、フィルムが缶に入っているというイメージすらもう、誰にも通じません。
 ブローニーフィルムはこれこれ、このように紙巻きで、と、仕方なく実物をほぐして見せて、やっとフィルムが紙1枚のみに包まれた剥き出しの状態であることを理解してもらうのですが、その時点でもう、ものすごくタイムロスしています。
 んなうちに、
「お客さま、ご協力いただけないのであれば、出発時間が迫っていますので、便にはお乗りいただけません。」
 こうなることを見こして、かなり前から手荷物検査場に入ってるのですが。誰のせいでこんな時間になってると思ってんねんよ。
 その一言(脅し)ですべて押し通されてしまいます。

 空港の検査員が、ちゃんとフィルムについても、フィルムカメラについてもよくよく理解していて、その上で「それでもX線を通せ」と言うのならまだ納得の仕様もあるというものです。が、レンズもフィルムも何にもわからなくて、こっちがびっくりするようなトンチンカンなことを言いながら、「ISO1600までは大丈夫とされていますからX線を通すように」とマニュアルだけで繰り返されても、ちょっと待てヲイ、になってしまいます。

 ちなみに、実際のところブローニーフィルムのX線検査での安全性はどんなものでしょう。
 あんまり手荷物検査で疲労するので、「もうX線に通してまえ」と思いかけていたのですが、メーカーに問い合わせた答えは予想外に厳しいものでした(汗)

続く

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空港でのフィルム及びカメラのX線手荷物検査 その1

2008-01-15 | 写真
先週から紀伊半島の方に行っていました。昨日は奈良県念仏寺陀々堂の鬼走りでした。
人混みのカメラマンだらけの場所とりで怒号が飛び交うような場所には行きたくなくて、直前まで逃げたくて帰りたくて仕方がなかったのですが(でも自分のテーマなので帰るわけにいかない)、人は凄かったけど怒号が飛び交うようなことはなく、学ぶことも多く収穫の多い一日となりました。


 昨年秋に、空港での手荷物検査の際にフィルム装填中のカメラをX線に通す通さないですったもんだし、難しい時代になったものだと途方に暮れていましたが、年が明けて、空港でのカメラの手荷物検査はもっと厳しくなっていました。
 自分なりにフィルムを持ち込む際には自衛手段をとったり、カメラにフィルムが装填中にならないように気をつけたりしていたのですが、毎週のように飛行機で移動していると、どうしても装填中の場合が出て来てしまいます。
 昨年秋は、「1枚撮ってみせろ」(カメラの動作確認のため)だったのですが、今年は
 「フィルムを全部巻取ってカメラの外に出せ」
 になっていました(- -;;

「X線に通せ。でも、フィルムが感光しても保証しない」
「それがいやなら、フィルムを外に出せ。その際、数千円のコストがムダになっても保証しない」
「それでもいやなら、宅配便で送れ。でも、宅配便がX線を通さないのかどうかは知らない」

 宅配便業者には自分で確認しろと言うので、じゃあ宅配便業者に確認しますと言うと、
「それをするなら、この便には乗れません」
 ・・・・・
 ・・・・・・・あのう(- -;;
 どうせいつうねんよ

 フィルムを無駄にしたくないので残り枚数全部ここで撮影します、現在の手荷物検査はこうなっていると会社に報告しますと言うと、
「撮影禁止です」
 仕方なく、あさっての方角にシャッターを切って残りのフィルムを消費していると、係員がとんできて、
「そのレンズはどこから出てきましたか!?(怒)」
 (カメラのボディとレンズは別々に収納しています。) あのう、さっきアナタがX線に通した機材バックに入っていたでしょーがよ。
 あの、何が疲れるかというと、最近はもう、カメラとレンズが別々になっているということも、わかる人がいなくなってしまったことです。巨大な交換レンズのタマを見て、それが「レンズである」ということすらわかってもらえないことも多いです(それはカメラにつけるものですか、とかきかれる(疲))

続く

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あけましておめでとうございます

2008-01-03 | 写真
あけましておめでとうございます。
「知床開拓スピリット」(柏艫舎)も無事発売されました。
昨年はおかげさまで良い1年だったと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
コメント (3)
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空港の手荷物検査

2007-10-10 | 写真
先日の斜里海岸
この色はデジカメでは出ないので困ってしまいます(PENTAX 645Nで撮影)


 月に最低2回、多い時で4回、飛行機で往復します。ほとんど日常的にカメラ機材一式(645一式+デジカメ一式)を持って歩くことになります。重いのはそれなりに慣れてしまったのですが、空港の手荷物検査は毎回ストレスが多いですね。機材は三脚以外全部機内持ち込みするしかありません。日を置かず移動しているので、カメラ内に撮影途中のフィルムが入ったままのことも多いです。愚痴になってしまうので詳しくは書きませんが、手荷物検査のためだけに、飛行機に乗るのが嫌になってきます。本当は、飛行機に乗るのは、たとえお馴染みの場所に向うにしても、さあこれから今までと別世界に行くぞ!というワクワク感があって好きなんですが・・・・。最近はデジカメが主流になってきたせいか、検査場での、フィルムカメラへの理解が希薄になってきたように思うのは気のせいでしょうか。


 やっとサイトのTOPを更新しました。ブログでは好き勝手な写真を出していますが、サイトはちゃんと民俗写真してます(笑)

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かわいいハムスターの写真

2007-10-02 | 写真
 たまには可愛いハムスターの写真を。
 ハムスターの子供には、写真の写し時というのがあります。
 毛が生えそろって目が開いたばかりは、まだエイリアンみたいな顔をしているのですが、その後3日後くらいに、一度に毛が伸びる時期というのがあります。身体の他の部分より、一時だけ、毛の成長が速くなる時期です。この時は本当に、全身がポショポショの毛玉みたいになって、それはそれは可愛いです。
 が、これは本当に1日限り。その後2日くらいで一気に顔つきが変わり、あどけなかったのが鼻が尖って(次は顔面骨の成長が速くなる時期だと思われます)、すぐに大人顔になってしまいます。それから2日くらいで体つきも変わって、いかにも赤ちゃんという風体から、大人ハムのミニチュアみたいなプロポーションになっていきます。
 本当に、朝と夕方ではもう顔が違うので、見ていて面白いですが。
 写す方としては、ちょっと忙しいです。


おちょこで。目玉親父にはりあえるかな?


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デジカメ導入

2007-06-19 | 写真
 ついにデジカメを導入しました。20年近く645以外浮気したことがなかったのですが、どうしてもハムスターの撮影があって、ちょろちょろするハムを撮るのに銀塩ではとてもやってられなくて買いました。実は645でハムを撮ってみたのですが、テスト撮影分はほぼ全滅。1本わずか16ショットしか撮れない&現像が上がるまで露光やシャッター速度の是非をチェックできないでは、とても間に合いません。まあこういう切羽詰まった状況がなければデジカメを導入する機会もなかったと思うので、今後民俗行事の撮影などが楽になるでしょう。
 とはいえ、1から全部買いそろえる気はまったくなかったので、ふだん使っているレンズがそのまま使えるペンタックスのK10Dです。

 絞りとシャッター速度の両方を優先にできるので、今までの感覚で自分で露光やシャッターを決められるのがいいです。(カメラがISOで応じてくれる) また、測距点が中央以外にも複数あって、被写体が中央にいなくてもピントが合うのが便利です。手ぶれ補正も、三脚がなければ撮れないようなシャッター速度でもシャープに写るので便利。
 一方、カメラが何を悩んでいるのか、押した瞬間にシャッターが切れないことが多くて、ちょっとイライラします。ぎゅうぎゅう押しても切れない! シャッターチャンスが過ぎたあたりで、ようやくカシャッと。光量が十分すぎるほど十分で、被写体(ハム)がじっとしてる時だけスムーズにシャッターが切れる。
 あと、ストロボ内臓なのですが、ガイドナンバーが11・・・!? (ふだん自分が使ってるのは540)・・・ついてなくていいです、内臓ストロボ。見た目もかなり情けないです。
 それから、645使ってていきなりK10Dのファインダー覗くと、視野がちっこくてびっくりします。

 で、今頃になって初めてデジカメを使ったわけですが、何も考えないでバシャバシャ連続撮りまくれて、すぐに見直していらんショットはその場で削除、その場でPCに取り込んで拡大して画像をチェック、フィルム代も現像代もかからないという、仕事で使う人にとってはまさに天国のようなカメラですね。
 一方、露出もシャッター速度も被写界深度も色かぶりも大して考えずに写真が撮れるし、失敗ショットはよく見ずにゴミ箱へ・・というのでは、写真の上達を望む初心者にとってはどうなのかなあと考えてしまいました。どういう露出のどんなシャッタースピードの、どこにピントや測光点を置いたら、こんな写真になりました・・と、(懐もちょっと痛い気持ちで)失敗ショットをじっと穴があくまで見つめるようなことは、デジカメの世界にはなくて済みますもん。

 とりあえず、目的の通りのハムは撮れたので、よかったのではないでしょうか。ハムのふわふわした毛の質感もよく出て、やわらかい毛の1本1本もくっきり写る解像度でした。
 

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栂嶺レイ写真展「知床開拓スピリット」in 知床自然センター

2007-06-02 | 写真
 書き忘れましたが、昨日から知床自然センターのロビーにて写真展「知床開拓スピリット 幌別・岩尾別の村に生きた人々」を開催させていただいています。スペースが限られているので枚数は多くはありませんが、知床開拓を知らない人にも「知床って、きれいな所だね」と思ってもらえる厳選写真と、開拓者の方々からお借りした昭和30年代の白黒写真に開拓の解説を添えて展示しています。6月30日までやっていますので、知床に遊びに来られる方はぜひ。8:00 - 17:40、無休。
コメント (3)
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サイトを引越しました

2007-05-18 | 写真
6/1から1か月間、フレペの滝入口にある"知床自然センター"で写真展をやらせていただきます。上は、急きょ作った告知デザイン。

 サイトを引越しました。
http://homepage3.nifty.com/rei-t/
 実は来週、自宅兼事務所を引っ越します。今までのサーバが使えなくなるので、サイトも引越しました。今までのサイトは5月いっぱいで見られなくなるのではないかと思います。もうぎりぎりで、ご迷惑おかけするかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。
 家自体の引越し準備と、6月の写真展の準備、さらに今月が締め切り(予定)の本の原稿、と、実はすでにお尻がひどい火事になっています。間に合うのだろうか・・・

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