視点を変えないといけない、というのを、八重山の方に行く度に痛感します。北海道だの本州だの本土から南の島の人々の暮らしを見ても、あくまで外から眺めているだけであて、実際に現地にいかないとわからないことがありすぎるのです。
ひとつは、私なんかは船も持っていなければ、たいして泳げないので、「陸の上からの視点」でしかものを見られないのですが、八重山に行ったら、そんな陸視点なんかぶっ壊されます。私たちが自動車に乗るように、船に乗って海に出てみれば、海の上にも陸と同じように道があって崖があって迂回路があってお花畑があって・・・・・陸しか見えてない時には水のない小さい島に閉じ込められていたら住みにくいだろうなあ~としか見えなくても、一旦海に出て陸の方を見てみれば、そっちには水のないマラリアのない住みやすい島があり、あっちには水と木のある水田や船を作れる島があり・・・と世界は広がっていくのです。陸地の中心から陸地の広がりだけを眺めるのではなく、海を中心にして陸地の岸だの浜などを眺めることの大切さを痛感します。
今回もうひとつ「あ~~」と思ったことがありました。
私たちは沖縄久高島のイザイホーという有名なお祭りが12年ごとにしか行われないことに驚き、貴重さを感じ、12年後というスパンはお祭りを伝える人や演じられる人がいなくなってしまうのではないかと、ものすごく危惧しているのですが(実際1978年を最後にいまだに行われていない・・・・)、12年、いやそれ以上のスパンで行われているお祭りは、八重山に来たらそんなに珍しくありませんでした・・・・(汗)
石垣市登野城の結願祭は寅年に行うので、再来年に12年ぶり開催です。私が今回見た石垣字のいしゃなぎら結願祭は27年ぶりでした。今後は12年ごとの開催を目指すそうです。他にもどこだったか、12年ぶりときいた記憶が・・・。八重山では十二支が暦で非常に重要なので、その一めぐりである12年で、神様への奉納の時が巡ってくるのです。
そもそも石垣字ではなんで27年ぶりだったかというと、本来結願祭というのは、様々な願掛けについて願が叶ったことを神様に報告・御礼をし、また次の年からの願を叶えてくれることをお願いする行事です。それまでは、お宮を建て替えたり、何か作ったりなど、特別なことがあった時だけやっていた。昭和56年にお祭りをして以来、特別なことがなかったのでそのままになっていた。今年急に、もう27年になるのでやっては?という話が起こり、今回の実現に至ったのだそうです。
私たちは12年なんて言ったら、次はもう生きてないかもしれないし、記憶も薄れて次の世代に伝えられないかもしれないし、と焦ってしまいますが、それはあくまで「人の時間」であって、「神様の時間」で生きている人々にとっては、少しも珍しい時間ではないのでした。八重山の人々とて、12年きっちり行事やお祈りを保ち続けるのは並みのことではないと思います。それでも、人の時間から離れて、神様の時間を中心に考えたら、12年なんてゆるいゆるい、12年でハクハクしてしまう人間なんてちっちゃいものなのです。