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ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

麻酔科医一斉退職のこと

2008-06-05 | 医療
タテが多いと指摘があったので、タテ写真を持ってきてみました。サイトのギャラリーに置いてあるのと同じ写真ですが、自分ではとても気に入っているので。和歌山県、熊野の厳島神社。霧の向こうから朝陽が昇っています。




 少し古くなりましたが、今年4月、国立癌センター中央病院の麻酔科医の半数が一斉に辞めてしまったというニュースがありました。
 うちは相方が麻酔科医なので、麻酔科医の側のボヤキを直で聞かされていました。
 私がじかに見て経験したわけではないので不適切な点もあるかもしれませんが(なので、後から本日の文章を削るかもしれませんが)、いまも気になっているので書いてみます。

 ニュースや週刊誌では、病院側の説明そのまま「麻酔科医は給料が安いから辞めた」ということになっていました。カネ次第な麻酔科医のせいで、手術を待ち望む癌患者が山のようにいるのに手術もできなくなって非常に困っていると。

 ・・・と言われて、麻酔科医サイドはむちゃくちゃ腹を立ててました。
 (何度もここで書いているように)おカネで動くろくでもない医者は一握りなもので、ほとんどの医者(ここでは麻酔科医)は「こういう仕事をしたい」「こういう患者さんを助けたい」という志を持って、それを実現できる病院を探しています。自分の意志をまっとうできる場所であれば、雀の涙ほどの給料だって、全然オッケーなんですよ。そもそも麻酔科医は、給料が安いのを重々承知の上で、癌センター中央病院に就職しているのです。

 その前に、麻酔科医ってどういう医者なのかわからない人がほとんどだと思うので、少し書いておきます。この、「ほとんどの人がわからない」という所が、麻酔科医の宿命でもあり、麻酔科医が減りつつある原因にも見えるんですが。

 殺傷事件などで、私たちはちょっと胸や腹を刺されただけでも心臓が止まったりショックを起こして死んじゃうのに、手術の時に、お腹を切り開いて胃や腸をいじったり、心臓自体をを取り出して切ったりはったりしても、後から普通に目を覚ませるのって不思議だと思いませんか???
 心臓の0テン何ミリっていう血管を繋ぎ合わせようと、ありえない緊張の中で神業の集中をしている心臓外科医が、その患者さんが息をしているかどうかとか、血圧が高いか低いかとか、一々気にしてられると思いますか?
 手術の最中、「その人が死なないように」管理しているのが麻酔科医です。べつに、意識を失わせて痛さを感じなくさせるのだけが麻酔じゃないです。麻酔科医は、呼吸や循環、生きているということの一番基本的な根幹部分のスペシャリストです。「麻酔科」の正式名称は「麻酔科蘇生科」であり、救命救急や重症患者の命を厳重に管理するICUが麻酔科の役割だったことも頷けます(最近では救急やICUが科として独立し、変化していますが)
 でも、麻酔科医にとって悲しいことは、ほとんど患者さんが「覚醒してない」ことです。生死を彷徨っていた重症患者も意識が戻れば一般病棟へ移るし、手術患者さんも手術が終わって自分で息ができる状態になったら麻酔科医の手を離れてしまうわけで、患者さんの側が普通に麻酔科医を「見る」ことはほとんど無いわけです。だから、患者さんにとって麻酔科医ってなんだかよくわからない。いるのかいないのかもよくわからない。
 かくして、一番命にかかわる所で「死なないように」付き添っていた麻酔科医に対しては「なんでいるのか、よくわからない」、執刀してくれた外科医には神様のように感謝する、でも、万が一手術中に呼吸が止まったり心臓が止まった時は、それを管理するのは麻酔科医の責任だから、訴訟は麻酔科医が・・・・という図式が出来上がるわけです。

 麻酔科医だって、患者さんが喜ぶ顔を見たいわけですよ。ごくシンプルに、一人の医者として。
 そして医者として自分が「治したい」したいという気持ちを持っています。
 手術の麻酔管理のみをやっている限り、「患者さんを治療する」→「患者さんが治る」(嬉!)という、ごく普通の医者のルートとは掛け離れてしまっているわけです。手術そのものに治療者として手を出せないし。患者さんと顔を会わせて喋ることもできないし。

 それで、うちの相方なんかは、「ペインをやりたい」といつも言っています。ペインとは、痛みのコントロール・・最近注目を浴びる様になった言葉としては、緩和医療と言えばわかりやすいでしょうか。麻酔科医は、身体が受ける痛みのために呼吸が止まったり血圧が上がったり下がったりしないようにコントロールするスペシャリストですから、腰痛や肩の痛みはもちろん、癌が進行してどうにもできなくなった痛みをすっきりとって、自宅療養で穏やかに過ごせるようにしたりします。それまで痛みに苦しんでいた人が、痛みの緊張がなくなれば顔を輝かせる、それは患者さんにとってもものすごく大事なことだし、今度は麻酔科医は人間同士向き合って、その顔に接することができるのです。

 少なくとも私が聞いた話では、国立癌センターに赴任した麻酔科医たちは、緩和医療を実現できるという条件で赴任したそうです。癌センターという癌患者さんが集まる大病院で、「癌で痛がっている人の苦しみをとりのぞきたい」という医者としての意志と役割をまっとうできるなら、少々給料が安かろうが大した話ではなかったそうです。
 が、実際のところ、赴任してみたら緩和ケアはまったくやらせてもらえす、日々ひたすら手術麻酔に入って外科医を手助けして忙殺されて・・ということだったそうです。麻酔科医を助手扱いしかしない外科医との確執も聞かされました。まず手術ありき、の世界で、麻酔科医が麻酔科医ならではの治療を行わせてもらうのは難しいのかもしれません。
 でも他に、緩和医療としての麻酔科医を必要としている病院があるのなら、そちらへ移ればあきらめなくて済みます。
 麻酔科医として患者さんと向き合える病院へ。麻酔科医としての治療をやらせてもらえる病院へ。
 お金じゃなくて。

 医者がいっぺんに辞める時は、やはり、よっぽどの時です。
 「こんな病院で、やってられるかー#」・・って、
 たしかに、私自身もそう思っては辞めましたもん(^^;

 医師不足ばかり言われていますが、医者が動かされるのは、お金じゃない、って、早くみんなが気が付いてくれるといいなあ。


同じく厳島神社。フィッシュアイにて、御神木を出来る限り画面におさめた所。でも、上まで画面に入れてしまうと、かえって巨木らしさが出ませんね。

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「薬だけ下さい」という患者は・・

2008-04-17 | 医療
 すみません、昨日は腹を立てた勢いで書いて、後から読み返した自分がびっくらこきました。ふだん日常生活で「○○んじゃねー」とか口にしている音声のトーンや表情や身ぶり手ぶりが伴った状況と比べると、インターネット上の"文字のみ"は、はるかにキツイ表現に見えます。ネット上での中傷や裏サイトなどが問題になっていますが、こういう"文字のみ"のキツさの誇大というか、表現情報の乏しさには、注意しないといけないと思いました。
 人間は本来「文字」だけの動物じゃないですから、その場の空気とか、「間」とか、音の響き具合とか、意識に上らないあらゆる情報を伴いながら「言葉」を受け取っているわけで。
 逆に、「文字だけ」でしか人とやりとりをすることを知らない人は、現実の間とかトーンとかを伴った場において、KYな人になってしまうのかもしれません。

 というわけで、しきりなおし。
 昨日は、病院が薬だけ出してくれない、薬だけもらいに来たのに診察代をとられた、といったような話題からこのブログを見に来る人があんまり多かったので、腹を立てていたのでした。

 病院で薬を出すには(それも、保険をきかせて2割とか3割の値段で出すには)、処方せんが必要です。
 処方せんがないのに薬を「売る」と、インターネットの薬の闇売買と同じで、「病院の職員は法律違反で処罰されます」

 処方せんを出すには、医師の診察が必要です。
 診察していないのに処方せんをきると、「医者が法律違反で処罰されます」 それでも病院によっては診察なしで薬をくれる所があるのは、ただひたすら、その時の医者の判断で、今回は診てないけれど、この人の病気の種類や現在の病状の場合は今回急に大きく変化することはないだろう、という判断で、あくまでいつも診てよくわかってる患者への「親切」に過ぎないです。本当はやっちゃいけないことをやってるわけで、実はすごいリスクをしょってる。(それで患者にもしものことがあったら、診察をしないで処方せんを切った医者も病院も処罰されます。)

 だから、病院(保険診療)で薬をもらう=「買う」には、必ず「診察代」も払わなければなりません。

 こういうしくみを知らないで文句を言う人を見ると腹が立つし、知らない人がたくさんいるままに成り立っている日本の医療制度も困ると思います。

 薬だけ欲しい人は、ドラッグストアに行けばよい。
 そのドラッグストアでも、処方せんがなければ売ってくれない薬があります(抗生剤などがそうですね)
 それは、その薬が本当に適当なのか、どのくらいの量が適当なのか、医者がその人一人一人を診察して決めなければ「危険な薬」だということです。たかが抗生剤、なんて思う人がいるかもしれないけれど、抗生剤の副作用で腎不全や肝不全になって命にかかわる人も本当にいるのです。
 薬というのはそのくらい危険なんだ、ということも、まず理解してくれないと困る。

 というか、それ以前に、薬さえ飲めば大丈夫、という風潮をなんとかしてほしいです。

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研修医は地方で学べ!

2008-04-10 | 医療
これは流氷が来てない時の去年の写真。明日からまた斜里町ですが、そろそろ海は明けましたかね??


 4月です。病院も新人や、異動の季節です。
 北海道内の知人医者が、新しく異動してきた医者はもう卒後3年目だか4年目になるのに、1から全部教えなければいけないとボヤいていました。
 その医者自身の問題では全然なく(やる気のある頭のいい先生であるとのこと)、首都圏の大きな病院から来たことが、実は問題のもとになっていました。

 現在、新人医者は(昔のように医局が決めた病院に強制的に派遣されるのではなく)自分で探して好きな病院で研修することができます。それで、多くの研修医が首都圏の大病院に殺到し、地方と首都圏の格差、大病院と小規模病院の格差が生まれてしまっています。

 ところが、溢れるほどに医者が集まった大病院では、一人あたりの研修医が受け持たせてもらえる患者の数や、やらせてもらえる検査などが格段に少ないのでした。さらに、なまじっか医者がいるので、専門分野はさらに細分化し、そこで専門に研修した医者は、その分野以外がわからない、という矛盾した状況が生まれてしまっているのでした。

 地方の病院では、新人と言えども、泣きながらでも一人で何でもやらされます。受け持たされる患者の数も半端じゃない。数分野にわたって対応することも求められます。
 そんな地方病院に、前述のような大病院で細分化された専門をもっぱら研修してきた医者が来ても、たとえ3年目4年目の医師でも、すぐには戦力にならないのです。へたすると、地方でもまれてる新人研修医の方がはるかに色々知っていたりする。

 現在、ひたすら医者の「数」を増やすことが言われているけれど、実際「数」だけ揃えても、研修してきた内容によって、「人数相当」にはならないことにも注意しなければなりません。首都圏の大病院だから良い研修、とは限らないのです。

 思えば、私が卒業したてのまだ15年も前の時点でも差はありました。私がいた東北地方では、当時もうとにかく医者が足りないから、学生のうちに毎日のように手術室に入って手伝わされ、挿管もできるよう訓練されていました。命の助からないような手術や、いろんな患者さんに接しました。学生時代の夏休みは「憧れの北海道に行ける」というだけの理由で、北海道内のあちこちの病院で、武者修行のように実習してまわりました。卒業して、他の地域から来た同じく新人医師と会ってみると、まだ手術室に入れてもらったことのない医者や、喉頭鏡を使わせてもらったことのない医者がいてびっくりしたものです。医師不足の東北・北海道の方が、はるかに勉強になっているのでした。

 だから、新人研修医にこそ言いたい。研修は地方でしろ! 先輩医師たちは、早く独り立ちするよう本気で熱心に教え(そうじゃないと医師不足で大変だし!)、経験できる分野や内容や患者数は半端じゃないです。そして、地方の地域の人たちが、患者として、かつ、近所の生身の隣人として、新人医者を育てていくと思うんですけど。どうでしょうかね。

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医者の不養生

2008-04-02 | 医療
弟子屈、摩周湖の近くにて


 顎下腺炎というのになってしまいました。ウイルスが原因なら、いわゆる"おたふくかぜ"ってやつです。でも1度でもおたふくをやった人は全員免疫ができてるはずだから、ただの細菌感染と思われます。
 いや、先週から顎から首が腫れて痛かったんですが、ここで医者は困るのですね、病院にかかったとして、やる検査や、出される薬がだいたいわかるもんだから、「時間かけて耳鼻科受診して、結局あれとあれの薬しかもらえないんじゃ、つまんないなー」とか思うわけです。うーん、医者に行った方がいいんだろうな、でも、○と○を処方されて終わりなんだろうな(自分だったら○と○を処方して、あとは寝てなさいって言うもんな) で、自分で○と○を処方して寝てたりするわけです。
 でもしょうがないので、今日は当直明けに耳鼻科に行きました。
 自分が今まで力説してるように、市立病院とかはいきなり行かないで、ちゃんと一番近くの開業医さんを探して行ったよ(^^;
 古い古い建物で、ひと昔前は大活躍しただろうと思われる、少々レトロなステンレスの医療器具に囲まれて、お歳をかなーりめした院長先生が診て下さいます。ピカピカの病院じゃないけど、こういうの嫌いじゃないんですが。
 が、患者さんだあれもいないので、だんだん心配に・・(自分がじゃなくて病院が)
 でも、患者さんだあれもいないので、待ち時間ゼロ。
 で、自分の症状は、自分が勝手に思うよりも多くの検査をしてもらって-----血液検査やレントゲンなどそういう機械を使うことは一切なしの、院長先生がじかに叩いたり触ったり鼻耳喉を詳しく覗いたりのまさにみごとな人間の診察技で詳しく調べられ、結局最後に処方された薬は、私が思っていた○と○よりももーっと簡単なものだった・・けれども、とても満足して、顎下腺の触診方法など勉強にもなって帰ってきました。
 医者ももっと医者にいくべし(笑)

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こうして医者はいなくなる

2008-04-01 | 医療
野池神社:長野県


 医者って結局、「人」の所に集まるのかな、と思います。お金をどれだけ積んでも、"人よりお金"な医者以外は見向きもしないですよ。
 若手の医者は、より学べる、より先輩がいてより患者さんがたくさんいる病院へ(症例数が多くて多彩なほど、勉強になるから。現在の研修医が都会の大病院に流れてしまうのも、それが一因にありますが)
 働き盛りの中堅どこの医者は、より頑張ってる院長や職員のいる病院へ、より一生懸命な患者さんの所へ、そういう人たちがいる地域へ。
 
 医者は結局「治したい」衝動で生きてますから(笑)、治すことに一生懸命な病院、治ることに一生懸命な患者さん、そういう人たちのいる地域に来たら一番幸せなんです。

 斜里町は、病院がものすごく頑張っていて、医者も職員もものすごく良いのです。その心意気に非常勤の医者たちがわらわらと集まってきていると言っても過言ではない。私みたいな千歳から・・だけでなく、東京から、九州から、アメリカから・・わざわざ斜里町まで医者が通ってきます。通常なら、こんな田舎に?と言われる病院に、間違いなく複数の医者が常駐しているのは、それなりの理由があるのです。

 しかし、そんな斜里町にいても、「ああ、こうやって医者はいなくなるんだろうな」と思うことは時々あります。

 ひとつは、自治体の無理解。ええと、病院は医者や看護師さんを集めたり、病院をどうしたら黒字にできるか考えたり、周辺地域の病院と連携をとったり、もっと大病院にすぐ患者を搬送できるシステムを作ったりと、ものすごく頑張っているのですが、自治体の無関心・無為、福祉など他の(本来なら医療に必要な)自治体経営の施設との連携のなさ(不可能さ)は笑えないものがあって、ものすごいエネルギーを斜里町に注いで頑張っている院長や副院長がカンカンになったり諦めモードになっているのを見るにつけ、この方々が自治体に匙を投げて辞めたら、この方々のもとに集まってきている他の医者も一斉にぱたぱたっと辞めるだろうなあ、今新聞をにぎわせている医者が足りない多くの地方病院と同じになるんだろうなあ、その時、自治体は果たして医者を連れてくることができるんだろうかな、と思ったりしています。

 もうひとつは、斜里町の、患者さん自身の無理解でしょうか。
 昨年、斜里町国保病院を民間にするかどうか、と議論されていた時、一人の看護師さんがカンカンに怒ってました。患者さんに、「あんたら気の毒だね、」と言われたんだそうです。
「あんたら気の毒だネ。病院がなくなったら、転職先を探さなくちゃならないもんねえ。」
 看護師さんは、病院がなくなったら困るのはあんたたちの方でしょ!と怒っていました。
 斜里町の町民の方には、病院がなくなったら困る、という感覚が、全然ないのです。
 病院がなくなったら、網走まで行きゃいいや、と、まだお元気な方々は思うのです。ええどうぞ、心臓止まってから40分もかけて救急車で網走まで行って下さい。ウトロの方々は、一時間半かけてどうぞ・・・・・。

 たぶん、今の斜里町国保病院はものすごくいい病院なのだと思います、ものすごく頑張っているんだと思います。でもだから、町民の方々はそれが日々の当たり前になってしまっているのかもしれませんね。
 でも、当たり前だと思って、まったく意識のない人のところには、医者は来ないんです。
 時々「わかってる?」と聞きたくなってしまう自治体や町民の方々の姿に、私はとても心配な気分です。

 医療を受ける側もどうか頑張って下さい。
 私はまだ斜里町を辞めたくないんだ。

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医者を増やす鍵は患者さんの側に

2008-03-21 | 医療
3/8の流氷です.弁財天岩.今年は見渡す限りを埋め尽くす流氷,というのが見られてすごかったです.正直,そんなに流氷に興味はなかったのですが,感動しました.ところで,観光客の方は「海が凍るなんて!」と感動されるそうですね.確かに! 私は,氷が流れて来る・・という感覚で見ていましたが,海が凍る,と思えば,それは凄い! 海が真っ二つに割れるモーゼの十戒なみにスペクタクルな感動かもしれないです.


 また紀伊半島の方に行っていました.
 すみません,医者は絶滅するよ!と文句を書きっぱなしで放置してしまいました.これはよくない.
 じゃあ,どうすれば医者は絶滅しないで,医療は保たれるのか.そちらも考えたいと思います.

 先日,ちょうどテレビで兵庫県のある総合病院の例を紹介していました.小児科医がたった一人で,外来を診て,入院患者を診て,夜中の救急もやっていました.24時間ぶっ通しで休日がなくて,しかも命にかかわる,という激務では,当然その先生自身が人間としていられる限界を超えています.それで,ついに泣く泣く辞める決心をしてしまった.今までその先生一人に集中させてしまっていた小児科の「外来」「入院」「夜中の救急」の3つすべてがいっぺんにゼロになるわけで,
 びっくりした地元のお母さんたちは,

1)近所の開業医で済むことは,開業医を受診する

2)夜中のコンビニ受診を辞める

 ・・ということを約束し,地元のお母さん方の署名を集めて病院に提出.その熱意が実って,そういう地元なら小児科医が安心して勤務できると,辞める予定だった小児科医は続投,さらに2名の小児科医が派遣されて,医者は増えたのでした.

 私はこれは成功例だな~と思って喜んで見ていました.辞めなくて済んだお医者さんも嬉しいだろうな~.お母さんたちの約束が守られるかどうかはこれからではありますが・・・
 地元のお母さんたちが約束した2点は,実は一番重要な点だと思っています.

<開業医にかかることも,医療崩壊を防ぐ>
 某総合病院で,一人が開業して辞めてしまった.その先生は「やっと楽になった」と言いました.「これで夜中に患者を診なくて済む.」 一方,総合病院に残った先生方は,さらに減った人数で,当直の当番をまわさなければならないのでよけいに大変になり,「開業してやっと楽になった,じゃねーよ」と,怒っていました.
 結局,医者が減っているんじゃなくて,

夜中も診なくてはならない大変な総合病院 ⇒ 夜中に患者を診なくていい開業医

 という医者の偏在が起こっているのです.
 現在,「医者が足りない」「内科医が全員退職」などと大騒ぎになっているのは,あくまで総合病院の話で,開業医の先生を数えれば,実は地域での医者の数はそんなに減っていないです.地域によっては,総合病院での勤務医の数より,はるかに多くの何軒もの開業医がいる所もあります.病院存続が何度もニュースになった夕張市でも,電話帳を開けば開業医さんは複数あるのです.

 でも,患者さんは「開業医」「総合病院」の違いをあまり考えません.
 症状が軽かろうが,重かろうが,とりあえず近い病院,まだ開いてる病院,へ行く.
 子供が泣き止まないだけでも,総合病院をとりあえず受けてみる.夜中,とりあえず総合病院が開いてるから行ってみる.そんなことをしていると,泣き止まないだけの患者さんから,すぐさま手術が必要な重症患者まで診なくてはならない総合病院の医者は,あっという間に疲弊してしまいます.

 だから,
●ちょっとした日常的なことは,近所のかかりつけの開業医のお医者さんに,昼間のうちに診てもらう,
●重症だ!?という時は,昼でも夜でも迷わず総合病院を受診する,

 という使い分けが必要だと思います.

 開業医の先生方はたくさんいるのに,「医者不足」とか言われて,数に数えてもらえてないのは,もったいないです.
 現在,開業医の救急医療への参加や,開業医のネットワークつくりなど,前向きな動きが起こっていますが,でも実際頑張るのは先生方の方じゃなくて,患者さんの方です.

 「近所の開業医で済むことは,開業医を受診する」
 これ,総合病院のお医者さんを辞めさせない,一番の近道です.

 もう一つの近道,「病院は24時間開いてるコンビニじゃない」ことを認識する・・・のは当然として,結局,医者が辞めないように,医者がふつうに働けるようにするのは,患者さんの側の意識だと思います.お金じゃないし,病院がきれいで新しいかとかそういうのでも全然ない.お金を積んでも医者は来ない(断言)けれど,患者さんも医療について注意をし,意識を高く持って努力している所には喜んで来ると思います.だって,医者はやむをえず(自分の人間としての生活すらできなくなって泣く泣く)辞めているわけで,患者さんを診たくない医者なんていない,と私は思うので.
コメント (7)
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命にかかわる医者は絶滅すると思う

2008-03-13 | 医療
斜里町国保病院の内科の待合室.私の新聞の切り抜きや,副院長の論文や,その論文で副院長が学会からもらった賞や,マラソン大会で有名な外国人ランナーと一緒に走ってる写真などがはられています.田舎の病院でもすごいよ.


 医療ミスが犯罪(刑事事件)として扱われる時代になってきたようです.
 医者の方としてはたまったもんじゃありません.
 もちろん,最初から患者を傷つける目的でやらかした医者は逮捕してくれて結構.民事で賠償に発展することについても,文句を言う気はありません.
 しかし,「犯罪」にされてしまうのはどうか.
 当然のごとく患者を助けようとして,その時の判断で「こうだ」と判断したことについて,結果的にダメだったら逮捕される,のでは,医者はもう判断も下せないし,何もできないということです.
 患者を助けるのはある意味使命であり,命からの「依頼」なわけで,依頼を受けてやったのに,結果によっては犯罪にされるのではたまったもんではありません.後から逮捕されるかもしれないよ,では,何もしないのが一番,依頼は受けないに限る,訴訟を恐れて医療行為をしない病院が増えるのも(私は反対だが,それでも)わかります.

 現在全国で産婦人科が激減していますが,一般の皆さんはその発端となった事件をちゃんとわかっているのでしょうか.
 一昨年,福島の大野病院というところで,胎盤を剥離させようとした医師が,結果大量出血を招き,妊婦さんを死亡させてしまった.これは,医者の側からすれば,その時点では剥離させるのが最善と判断したからやったことであって,べつに当事者の医者の腕が悪いわけでも悪意があったわけでもない.それでも大事な一人の命が亡くなったことは確かで,大量出血を予測できたかどうか,出血後のフォロー(輸血など)が十分だったかが問われる問題で,医者が命の代償をこうむるのは仕方ないことと思われます.
 が,この医者は"犯罪者"して逮捕されてしまった.きわめつけは,院長先生まで,異常死として届けなかったとして有罪になったことでしょうか.異常死とは,殺人など犯罪にかかわる死亡が疑われる時,検視をした病院は警察に届けなければいけない義務で,ふつう病院で亡くなった人が届けられることはありません.が,院長先生は,この1件を「犯罪として」届けなかったからと,有罪にされてしまったのでした.
 びっくり仰天したのは全国の医師の学会で,人間なんて,一人一人身体の仕組みも血管の位置も病状も体質も全部違うわけですよ,それでもその時最善と思う判断をして,その結果が違っていてもすぐさまフォローして,次の判断,次の手を下して・・と,その一人に合った医療を行っていくわけで,それが(結果助からなかったら)犯罪と言われてしまったら,何もできない,医者にとってこんな危険な状況はない,というわけで,

絶対に産婦人科医「1人で」は患者を診ないように,絶対「3人の医者が一組で」診るように決めた

 ⇒医者も安全だし,患者さんも安全.良い改善策です.
 が,それまで,ただでさえ全国的に足りない産婦人科医を「少々危険があっても,できるだけ全国各地の病院にまんべんなく医者がいくように一人づつ派遣」していた(ある意味医者の側の,医療の受け手に対する善意だったと思う)のを,3人一組1ヶ所の病院,となるよう医者を引き上げてしまった.乱暴な計算をすると,手術などをしてくれる産婦人科の病院が,一挙に3分の1に減った計算になります.(実際はこんな単純計算ではありませんが)
 医療ミスの危険はあるが,それでも近くの病院にも医者がいてほしい,のか,医療ミスの危険は少ないが100キロ以上離れた都市まで通わなければ医者がいない,方がいいのか,結局,国民がとった行動が選んでいるんだよなあ・・と思ったりします.

 なんか最近,医療のことについてしゃべっていたら,

医者って雲の上の人,お医者さんの世界は一般人にはとても計り知れない,
    ↓
医者が減っているのも,一般人には計り知れない遠い医者の世界の話
    ↓
だから医者の世界でなんとか増やしてちょうだい そんなに医者ってやりたくないの?

 ・・・な感じになってきて,こちらもどんよりしてしまいました.

 そうじゃなくて,結局は,医療を受ける患者さん側とのやりとりの中で,医者があっぷあっぷしながら,自分も死んでしまわないようにとってきた改善策が

 総合病院(夜間も救急も重症患者も診る)から ⇒ 開業医(夜間や救急や重症患者を診なくてすむ)へ

 産婦人科や小児科(日常的な診療のほぼすべてが命にかかわる)から ⇒ 眼科や耳鼻科(日常的な診療では命にかかわらない)へ


 という医者の偏在を生み出しているのです.

 医者の総数は減っていない.
 でも,命に関わる医者は絶滅寸前.


 命を診てもらわなければ困る,というのなら,患者さんの側が,自分の命についてもっと注意をし,気をつけ,それをどういう仕組みで診てもらえるようになっているのか,もっとちゃんと知るべきだと思います.
 雲の上のお医者サマに全部おまかせ,医者がぜんぶやれ,でも,期待通りにならなかったら訴えるからな,お前は犯罪者だ,ではなく,
 自分もふだんから病気に注意し,命の本来の危険性を理解し,医者ができることをやってもらう,医者はあくまで自分の命のサポーターと考えなければ,医者はこれからもやっぱり減っていくと思います.
コメント (2)
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「アンタの病院は潰れるネ」

2008-01-06 | 医療
アップしそびれていましたが、クリスマスのハムスターです♪


 今日は、ご無沙汰しているじーさまの所に新年のご挨拶に行ってきました。
 このじぃさま、町内に住んでいますが、私の働いている町内の病院には来ません。医術も大事じゃが算術(経営)はもっと大事、がモットーのじーさま、今日も他町のお気に入りのヤリ手の病院の話をたんと聞かせてくださいます。
 じさまが気に入って通っている病院の院長は、絶対に入院はとらない。経営がモットー。うまいんだそうです。
 もちろん救急もとらない。
 息子さんは今や眼科医で、最近の白内障治療は目ざましいものがありますから、それは稼ぐ(それは本当です)
 アンタの病院では今年入って死ぬのは○人目だね。
 アノ街の△△病院はこれから発展するよ。でもアンタの病院は潰れるネ。

 ハイ(- -"
 入院や救急をとってる限り、赤字になりますとも。
 重症患者さんが入院になるわけで、絶対に入院患者をとらない病院より、死んじゃう人が多いのも確か。
 それが何か(- -"

 算術(経営)のことだけ考えていれば、絶対に入院患者をとらない、救急患者を受け入れない、眼科の白内障手術など短時間で単価の巨大な手術だけしていられるなら黒字になるでしょう。
 ハッハッハッと聞き流して、じぃさまの機嫌の良いうちにおいとましましたが、じーさまのような考えの町民の方も少なくはないのだろうな、というのが実感でした。
 何故なら、病院の赤字が増えるほど、その負担は町民の税金でまかなわれるから。

 近隣の某地域は、いつも新しい建物を建てて道路もきれいに建設して、とても豊かにきれいにしています。でも、その自治体には病院がないです。119番はありますが、そこの救急車はうちの病院に来る。周辺の、救急病院のない自治体の患者さんは全部うちの病院に送られて来る。うちの自治体は"救急"を維持するために赤字ですが、何か?

 いつも書いていることではありますが、命にかかわる治療ほど、お金がかかる。いや、マジメな話、医療は本当にお金がかかるのです。ということを、まず自覚することから始めてはどうでしょうか?といつも書いているのです。
 本当に、真剣に治療はお金がかかるです。重症で救急であればるほど。
 それをうまく相互扶助できるのが今までの日本のシステムの良かった所のはずなのですが。
 今やそれは崩れつつあります。

 80歳半ばを過ぎてもピンシャンしてるじーさま。隣の街のお気に入りの院長の所に出かけていけるのだから、本当にそれにこしたことはないです。
 でもね、じさま、じさまが救急車で運ばれたり、本当に入院が必要になった時、そのお気に入りの経営ヤリ手の黒字病院の院長さんはじーさまの救急を受け入れてくれないから。入院もさせてくれないから(- -;;;; 眼科のヤリ手の息子さんも、じさまの心臓が止まった時には診てくんないのよ・・・?(- -;;;

 どうしても、人の命を助けるための赤字の病院は必要だと思うのですが。
 人の命を助けるってことは、赤字なのよ。

 儲かる医療と、必要とされる医療はまったく一致しないです。
 儲かる医療を推進している限り、自治体は楽だろうけど、
 
    では、その人の命は誰が診るのですか??
 
 
 よくニュースで、自治体が病院を維持できないから「診療所にする」と言っていますが、それは近隣の「救急体制を維持できる」病院に「赤字」を転嫁することに他ならないです。赤字にしないためには、「国」全体が、医療のシステムを考え直すしかない。
 国自体が、というのは、政府が何かしてくれる、じゃなくて、私たち一人一人が、医療とは、命とは、真剣に考えたら本当にお金が要るんだ
 (そして、命とはそれだけのお金をかけるだけの必要があるものなんだ)
 と理解することなんじゃないかと思うんですが、どうですかね、

 ・・ねえ、じーさま?


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薬を飲み過ぎる馬鹿医者にな・・

2007-12-28 | 医療
クリスマスすぎちゃったよ。はむはむのクリスマス。


 この時期病院は土日も祝日も関係ありません。インフルエンザと風邪のものすごい流行で、平日か?というくらい待合室ぎっしり。子供はもちろん、子供からうつされた親御さんやら学校の先生やらで、診る方もご飯食べる時間もありません。そしてまさに、わざわざインフルエンザか風邪のどっちか!という人々と毎分ぎっしり顔を近付けて真正面から接しているわけで、当然といえば当然・・なんでしょうか?みごとにうつりました。あらー、本当に風邪だわ。しかも、普通なら、自分で処方した風邪薬を飲んどきゃ1日くらいで治るのに、4日飲み続けてもひどくなってくるよーな??

 こういう時、医者はよくありません。「病院に行ってもどうせあの薬とあの薬とあの薬が出るでしょ」とかわかるので、絶対に病院に行かない。自分で薬を都合して何とかしよーとします。
 さらに、早く治したいので、(えーい、このくらい飲んじまえ)と、1粒の所を2粒飲んだりする。
 いや、2倍量飲んだからって2倍効くわけじゃないのはわかってるんだけどね。患者さんには用量を守るようきつく注意しているくせに、自分はやる。他の医者に見つかって怒られても、やる。なまじっか知識がある分、薬の用量まで自分の裁断でなんとかしよーとするらしいです。ただの馬鹿医者です。(当然効きません・・・)
 いや、患者さんには「風邪のお薬というのは症状に対して効くお薬であって、風邪そのものを治すお薬ではないんですよ。あとは仕事を休んで静かに寝ていなさい」とか言うんですけどね。そういう本人は1発で症状をとろうとしてドカンと飲もうとするので、どうもいけません。
 んなわけで、ここはぐっとこらえて、おとなしく寝ることにします。
 ううう、早く治したいよう。

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「先生、お薬だけ下さい」

2007-12-22 | 医療
遺跡じゃないですよ、普通に家の前です、日本です(和歌山県熊野川町)
出張中で写真が手元にないので、アマナイメージズ(http://amanaimages.com)に掲載していただいているのを引っ張ってきました


 病院にいると、よく患者さんの代わりにご家族が来て、「薬だけ出してください」と頼まれることがあります。「本人を診察しなければ、薬は出せない」と言って、診察室で押し問答になります。そう頼んでくるご家族はだいたい非常~に不機嫌になるので、融通のきかないヤな病院だと思われてんだろうな~とトホホな気分になってきます。

 薬は本人の病状に対して出すので、当然ながら、ご本人を実際に診ないのに出すことはできません。同じお薬を定期的にもらっている人のご家族がいくら「変わりありません」と言っても、実際に診察して本当に変わりがないことを確認しなければ、むやみにお薬を出せないです(実際「変わりあったり」します) 「次は絶対本人を連れてきますから!」と言われても、例えば毎月定期のお薬が出ている人が2回受診をサボると、3ヶ月診ないことになってしまいます。人間、生モノなのに(しかも病人なのに・・皆さん、病気だから病院にかかっているという自覚あります??)、3ヶ月はさすがに長い。
 また、出したお薬が本当にご本人のもとに届く保証がない(ご家族をかたる悪人が持っていっても、病院にはわからない)ので、やっぱり原則本人宛にしかお薬は出せないのです。

 あともう一つの大きな理由は、病院が保険診療だからです。
 ええと、薬局に行く時、処方箋がなければ保険きかないですよね? 処方箋がないと全額負担、つまり普通にドラッグストアで薬を買うのと同じになってしまいます。処方箋は、病院で診察を受けて初めて出してもらえるものです。診察を受けないと保険がきかないように、法律で決まっているんです。

 しかしここで、「(本人来てないですが)診察したことにしてください」と言い出す人がいます。
 ・・・・
 ・・・・・・詐欺ですがな!

 一方で、ついにご家族に負けてお薬を処方すると、「(本人を診察してないのに)診察代をとられた!詐欺だ!」と文句を言う人がいます。
 ・・・・
 ・・・・・・どっちが詐欺やねん!
 診察代をとらないと薬出ないんだってば。

 そんなわけで、患者さんご本人を診察しなければお薬を出さない病院の方が良い病院です。一見頑固で融通がきかないように見えても、その方がきっちりしている。そして、ちゃんとご本人の病状に責任を持ってくれる病院です。

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医者から見た「医龍」感想

2007-10-12 | 医療
"しけ"の中でサケ釣りをする人々
しけで満潮でも釣りするんですね・・・日も暮れてしまった後の不思議な光景。斜里町の河口にて。
この色(雰囲気)もデジカメでは出ないですね・・・


 昨日は初めてテレビドラマの「医龍」を見ました。まずごく単純に、ドラマとして面白かったです。
 医者というのは結局のところ、究極のトラブルシューターだと思っています。「命」に起こったトラブルを、いかに間髪入れず解決できるかどうか。何年も病院で働いていて実感するのは、腕前がどうこうということより、考えもしなかった「イザ」を、いかに「自分の考え」で「決断」できるかどうかです。誰も助けてはくれません。自分の判断は間違っているのではないか?とか、自分なんかがこんな指示を出していいのか?など、躊躇している暇はありません。普通では考えられない「イザ」の連発を、たった一人で責任を負って瞬間に決断しなければならない(その瞬間だけでなく、決断の間違いや、正解とのズレは、指示を出しながら次々修正していく手腕も要ります) よく思うのですが、医者って病院内だけでなく、地震が起こった時とか、街中で強盗に出くわしてしまったような「イザ」にも強いんでないかな(笑)
 という側面は、ものすごく良くできたドラマだと思いました。ぶっちゃけ、医療におけるとんでもない危機が起こった時の、(医者の側からの)ドキドキハラハラ感はものすごく良く出ている。

 また、しょっちゅう「麻酔科って何する人?」と言われてしまう麻酔科医が、(エキセントリックなキャラではありますが)しっかり描かれているのも好感持てました。麻酔科は産婦人科・小児科に次いで医師不足で危機的な状況にさしかかっているのですが、麻酔科医は手術を安全に行うにあたって不可欠な役割であるということを少しでも一般の方に理解していただくには良いドラマではないかと思いました。

 一方で、オイオイと笑ってしまうドラマでもありました。ものすごく(笑)
 まず、バチスタ!!!
 バチスタという言葉は、とても耳ざわりも良くカッコイイ響きだと思うんですよ。
 しかし、私が学生だった頃すでに、バチスタは「古い術式で、術後経過が良くないのでもうあまり行われない」古い手術だったです。なので、マンガ誌で医龍の連載が始まった時点で、「何で今頃バチスタ?」とびっくり仰天したものです。その点だけでも、マンガ医龍を読むのは完全スルー。バチスタが、まるでブラックジャックかドクターKにしかできないようなすんごい手術で、心臓病の患者さんを救う奇跡の術式みたいに謳われている時点で、なんじゃそりゃ!?です。

 そもそもバチスタは、拡張型心筋症の患者さん(心臓は筋肉の塊でできているのですが、それが薄く広く引き延ばされてしまい、結果、心臓全体が大きく薄く広がって、薄い心筋で大容量になってしまった血液を拍出することができず、心臓が疲れきって止まってしまう)に対して、心臓を切り取って小さくしてしまえ!という少々乱暴な手術です。びろーんと力なく拡がってしまった心臓を、もとの大きさになるまで心臓を切り取・・っても、残った心臓の筋肉はやっぱりびろーんと薄いままです(拍出しなければならない血液の容量が減った分、心臓は楽になりますが) 結局心臓が疲れきってしまい、あんまり生存率が良くありません。それで、アメリカではバチスタ手術自体が禁止されているほどです。

 それに対し、北大循環器科の現教授松井嘉朗Drは、心臓を「一切、切り取らないで」ごく単純に「縫い縮める」手術OLVP(オーバーラッピング左心室形成術)を編み出ました。心臓の筋肉はすべてそのまま残り、拍出しなければならない血液の容積が減るので、とっても心臓にやさしい手術です。というのを、日本人が考え出して、しかも格段に良好な成績を残しているということを、私たち日本人はもっと知って誇るべきだと思います。

 そんなわけで、バチスタを「最高最前線の先進医療」という設定にしてしまった時点で、医者の側からは、原作マンガもドラマもスルー、スルー!!です。

 あともう一つ、ドラマを見ていて「ねぇーよ(笑)」とことごとく思ったことがあります。
 それは、現実の医療では絶対に「賭けはしない」ということです。医療にイチカバチカはありません! 賭け、なんてあり得ない!!マジ!
 ドラマでは3つ並行して行われた手術すべて、100%、結果オーライだったですね。
 現実の医療にケッカオーライはあり得ません。
 手術が失敗したら訴えられる!と一々つっかかっていた登場人物がいましたが、ええと、たとえ手術が成功しても、ああいうリスキーな手術を実行したという時点で(それだけで)、訴えられますよ、現実には。
 医療てのは、すんばらしい何かを施すプラスの側だけでなく、常に細心の「しかしもしもそれがうまく行かなかったら」を考えて、"マイナスをことごとく潰していく"行為でもあります。それはドラマにはならない地味な行為かもしれないけど、2重3重にも予防線をはって、「イザ」が起こった時に対応できるという保証がなければ次には絶対進まない。「イザ」が起こる可能性がある限り、絶対にそれは「やらない」。新人に執刀を任せるのは良いですよ、でもそれをやるなら必ずベテランが助手につく、その人物を「信じて」任せるなんて、絶対にやらないですよ。
 信じるとか、賭けとか、危機を間一髪で切り抜けるとか、ドラマとしてはドキドキハラハラの盛り上がる要素なんだろうと思うけれど、あれは医療ではないです。人の命で賭けをするなんて信じられない(たとえそれが失われていく命だとしても) という所で、医龍見ながらはっはっはっ・・・(笑)と笑って、やっぱりファンタジーなんだわーー♪と笑っていた次第です。

 麻酔科医のKちゃんに「ちゃんと麻酔科医が主要人物として出てたよ」とTELしたら、「くだらないから見るのやめてくれー」と一刀両断されました。
 くだらない、と言われないドラマが出て来るといいですね。


PS そういえば、むかーしむかし、「振り向けば奴がいる」という医療ドラマは医者にとてもウケが良かったです。病室を無断で抜け出して、勝手に好きなものを食べに行ってしまうしょうもない入院患者さんに対して、(看護師さんたちが慌てて探しまわっているのに)「死なせてやれー」と意にも介さない主人公医者が、とってもウケてました。ご本人のためにいくら注意しても、好き勝手する患者さんについて、医者の側が溜飲を下げた瞬間でもありました。
コメント (3)
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ぼけのきもち

2007-10-09 | 医療

コエゾゼミの羽化
やっと引越ししましたハガキの宛名を書いています・・


 先週末、やっと原稿ほか、長い間懸念となっていた諸々から脱しました。毎朝頭の中にリストを作って、そのリストを一つづつ消去しながら暮らすという日々でしたが、とりあえず、今日すぐやらなければならないことはない!状態に、この半年間で初めてなりました。

 先週の最後の日、とにかく仕事を終わらせたい一心で、朝6時からそれはそれは集中しました。最後はだんだん気持ち悪くなってきて、周囲がくるくると、目がまわる感じです。それだけ頭を一つのことに絞って根を詰めていると、脳に面白いことが起こります。頭をフル稼働させているのだから、それだけ頭の動きも活発になると思うじゃないですか。ところが、昼、ついに終わって「やったー!」と腕を伸ばした瞬間・・・集中を解いた瞬間、ものの見事に言葉が出てこなくなってしまった! さて、人と何か喋ろうにも、まずものの名前が出てこない。年とってくるとだんだん固有名詞が思い出せなくなると言いますが、突然いっぺんに、ことごとくの単語が「あれ」「それ」のオンパレードに・・! 名前が出てこないだけならまだしも、「です、ます、てにをは」がうまく繋がらない。単語だけでなく、主語述語の文章の組み立てまでもが出てこなくなってしまったのでした。過去形・現在形・疑問形まで、自分が思うような形で出てきません。自分では普通に会話しようとしているのに、つっかえて、もたって、言ってみるとへんな内容で、あれれ?という感じです。
 まじで、自分ボケたか、と焦りました。1つのことに集中しすぎて、他の内容に関する名詞がとんでしまったというのはあるかもしれません。が、明らかに脳が動いてない。脳梗塞で失語症になってしまった人や、認知症の症状が出始めた人はこんな感じではないかと、まさに実感しました。以前勤めていた老人介護療養病院で、喋りたいのに言葉が出なくて苛々して地団駄踏んでいたお婆ちゃんを思い出しました。
 さすがに焦って、まずしっかり昼食をとり(朝から何も食べてなかった)、いつもより長めに睡眠をとったら普段通りに戻りました。仕事を早く終わらせたい一心で、ご飯まで後回しにしたのも原因の一つかもしれません。学生さんたちに「朝食を抜くと授業中に頭が動かないから馬鹿になるよ~」と言っている自分が、まさにそれを実践して証明してしまった感じです。

 ところで、こんな風に、自分で思うほど脳が動いていなくて焦る時が他にもあります。
 それは、当直明けです。
 夜中もずっと患者さんを診て、明け方にやっとちょっと寝たところを5時、6時、と繰り返し起こされると、7時くらいに見事に脳が動いていない状態になります。再び鳴る電話を、すぐに飛び起きてコール1回目で受話器をとって、自分では素早くまともに対応しているつもりなんですよ。のですが、患者さんを診て、治療の指示を出そうとすると、いつも使ってる薬の名前が出てこない。ついでに、パソコンの処方せん画面の違うところにIDナンバーを打っていたりする。頭の中自体はさすがに動いているので、言葉が出なかったり違う所にナンバーを打っている自分に「あれ?」「なんで?」とびっくり仰天します。同時に、これがもっとひどくなると実際に指示を間違うのかもしれないな、と思うわけで。自分でさえこんな状況なので、もっと過酷な勤務スケジュールに置かれた他の医者のことを思うと、いつ医療ミスが起きてもおかしくない状況にある病院は少なくないのではないかと思います。
 それを解決するには、もっとこまめに交代できるように医者を増やす・・・のではなくて、患者さんの方に、緊急ではないのに(自分で回避できる手立てがあったのに)朝方4時とか5時とかに病院に来て、守衛さんから看護師さんからレントゲン技師から検査技師まで叩き起こすのをやめてほしいです(患者さんが病院に来て、叩き起こすのは医者だけじゃないです) 痛いのを我慢して我慢してついに我慢できなくなって午前4時に救急車で来るくらいなら、痛かった昼間のうちに来てほしいです。仕事を休みたくないからと朝6時とか7時に来るのもやめてほしいです。朝6時や7時に病院に来なくちゃならないくらい病気なんだったら、仕事休んで下さい。
 結局、ツケは患者さんにまわっていくんだから、と、頭がうまく動かなくなるたびに思います。

 そんなことを思いつつ、原稿を書いている時も、病院勤務の時も、ちゃんと食事をとって、徹夜は厳禁だなあと心した次第です。


コメント (2)
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となり町の病院を心配する

2007-06-21 | 医療
知床の森で、シカの食痕(食害)とセミ


 今日からまた斜里町で勤務です。
 折しも今日、となりの羅臼町国保病院が診療所への転換を表明してしまった。ニュースを見るたびに心配していたのですが、あれよあれよと看護師さんも医師も減って、ついに院長先生一人態勢になるとのこと。院長も大変なら、羅臼の町長さんががっくり頭を抱えている姿が目に浮かぶようで気の毒です。羅臼から中標津町立病院まで50キロ強、そこで見切れない重症患者は、さらに100何十キロか釧路まで行くんでしょうか??
 だいたい、現在ウトロから救急車がかっ飛ばしても斜里町まで40キロ強30分、30分もかかったら、心肺停止患者は間に合わないです。町内の救急車でも、第1報を受けてすぐに器具薬剤点滴全部用意して、ドア全開にして玄関口で待って、それで10分経過しても救急車が到着しないと、「間に合わねぇよ~~~」「早く~~」と、こちらがいらいらしてきます。この間の町長選で、斜里の病院が縮小になるかも(救急受け入れなくなるかも)という話になった時、町民は「救急車は斜里町を素通りするんだ」と心配したし、病院の医師は「網走や北見まで救急車が走ってる間に死んじまう」と怒りまくってた所でした。というのを思うにつけ、一体羅臼町はどうなるんだろうと、ひと事ではなく心配になるのでした。
 羅臼町みたいに、あれよあれよと人が減って経営できなくなる病院は、北海道ではめずらしくないです。現実のところ、人のいる病院には人が集まる、けど、人のいない病院からは、ますます人が出て行きます。矛盾しているように見えるかもしれないけど、人が足りている所にはもっと人が来るです。医師も看護師も技師も事務もしっかり足りている病院は安心して働けるので、さらに人も集まる。給料の良し悪しじゃないです。でも1回その安心バランスが崩れると、どれだけ給料を積んでも、骨組みがガタガタ抜けるように、人が抜けて行く。どうやったらそれを防げるのだろう?と、ニュースを読む度に、また以前の病院で働いていた時にも考えていたのですが、いろんなことが複合して悪くなってくので、どうしていいかよくわかりません。車で例えれば、個々の部品を修理しても応急処置にしかならず、まるごと新車に買い替えないともう走れない状態に似ています。
 病院がなくなれば、そこがたとえ憧れの「知床」であろうが、修学旅行生も来なくなりますね。(病院があるということが、修学旅行の条件になってるから。) これで斜里町国保病院がなくなったりなんかすると、知床への修学旅行も、団体ツアーも、難しい話になっていくのでしょう。
 現在の斜里町は、めずらしくバランスのとれた、「たくさんの職員がいる」病院です。それは病院を今まで保ち続けて来た先生や事務や職員の人々の努力と意識の高さによるもので(その意識の中で自分もやっと落ち着いて働いていられるわけで、それで喜んで毎月来るわけで)、何とか今のバランスでまだまだ続いて欲しいと願う次第です。
 が、一方、町民の方々はこれ(現在の斜里町病院)が当たり前だと思っている様子があって、非常に心配になることが多々あります。となり町の病院が危機に瀕している今、そっちが特別なんじゃなくて、斜里町が恵まれているんだということをもっと自覚して、これからの高齢化社会や医療問題を切り抜けていってほしいと思う次第です。


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神様は見てる

2007-05-17 | 医療
アップしそびれていた国東半島の桜。この頃は黄砂が飛んでいました。本州以南はとっくに桜は季節はずれでしょうが、斜里町は今が満開です。

 今日は病院の歓送迎会でした。医者や看護師はあちこちの病院を転々とするので(大学から転々と地方の病院に派遣されることで、地方病院の医師数が保たれている)、同じ大学や病院で働いていた人が、地方で突然一緒になったりします。

 私が昔助手だった大学から来た先生がいた!
 そして、思いもかけなかった当時の教授の進退を、今日初めて教えてもらいました!

 6年前、私はまだ大学の助手で、その大学に赴任してみると、人の命や身体に対してここではとても書けないようなことが行われていました。
 私は人の命や身体がないがしろにされるやり方がどうしても納得できず、教授にも度々進言しましたが、白い巨塔、若造が権力を相手に何をか言わんやです。当時、みんな教授の言いなりで、教授の言うことをきかないと学位をもらえなかったり、見せしめに机をダンボールにされて他の教授に見せびらかせられたりと、教授に向って「人間も命も大事なんです」と言う人は他にいなかったですよ。そういう中で一人でぶつかって壊れた自分、馬鹿です。
 私はそれまでの研究も、その先に約束されていた(であろう)道も全部捨てて、大学を辞めました。しばらく記憶喪失になっていたくらい、思い出すとげろ吐くくらいのことが行われていた。自分の人生がグルリと軌道を変えた大きな出来事でした。あれがなければ、私は今こんな所にいないで、大学で研究を続けていたでしょうね。
 それから6年。
 突然ですが、

 教授は学会から除名されたそうです( ̄□ ̄∥

 マ、マジっっすか・・・・・・( ̄□ ̄∥

 当時、私があれだけ反対した「命や身体をないがしろにするやり方」がまさに問題とされて度々の注意を受け、ついに処分をくらったそうです。
 あの時、あれだけくやしい思いをして、この6年間過ぎてきたけれども、

 ちゃんと神様は見てるんですねえ!!(・・しみじみ)

 あの頃、みんなで次の会議で異議申し立てをしようと決めてもフタを開けると発言者は私一人だけで、他全員みごとに表向きは教授についていたりして、味方なんか誰一人もいなかったですよ。それが現実なのだと、それが世の中なのだと厳しく自分に言い聞かせて、今の自分があるのだけど、

 見てる人はちゃんと見てるんですねええ!?

 教授は逃げるように大学を辞め、他の市の小さな病院の医者になったそうです。あれだけタカビーに人も命も利用し、大学のことも(次に別の大学の教授になるための)腰かけ呼ばわりしていた教授が、もう大学や教授という肩書きともまったく関係のない所にいるなんて、世の中すごく不思議です。ちょっとだけ、その人の人生というものを考えてしまったりしました。
 あのまま、やっぱり権力は権力のまま、人をしいたげたまま存在していくのかと、厳しい気持ちで思い続けてきたけど、
 神様はちゃんと見てるんですねえ~~
 今日は祝杯です、祝杯。世の中自分が思うほど捨てたもんじゃない、って、思うことができて嬉しいです。
 その後派遣されてあちこち勤めた病院でも、やっぱり患者さんをないがしろにする病院には長くいられなくて、より人の命や、人が生きてきたということを大事にする病院を求めて転々として、今ここ、この病院に至った、というのは、間違いじゃなかったんだなあとしみじみ思いました。

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町長選もフクザツ,病院の民営化もフクザツ,医療費もフクザツ

2007-04-27 | 医療
先日の国東半島の桜.月の出を待って.

 先週の町長選で,私が応援していた保村候補がほんの292票差で落ちてしまった.すごい接戦だったのだが.すごくフクザツなのが,保村さんは斜里町立病院を「町立の病院として残す」ことを公約にしていたのだが,勝った候補の方は「町立病院は民営化する」ことを公約にしていることだ.
 普通の人には,民営の病院と公営の病院の違いはよくわからないのではないかと思う.しかし,病院で働いている人間は,ーー現実の医療の現場を知っている人間はーー医者も含めてみんな,民営化には大反対だ.
 なぜかって,民営化するということは,病院が「企業」になるということだ.企業は利益が出なければつぶれる.つぶれないようにするためには,利益を追わなければならない.裕福な企業ならいい,でも,医療費がどんどん減らされて病院経営が厳しくなる一方の今,本当につぶれるかどうかの瀬戸際になった時に,冗談抜きで民営の病院は「患者の命」よりも「利益」を優先する.
 まさにその「病院を保つために患者なんか犠牲にしていく」状況に失望して,先月民営の病院を辞めてきたばっかりだというのに.
 利益のことだけを考えれば,極端な話,患者が死んでくれた方が儲かったりする.治療しないで転がしておいた方が儲かったりする.
 そんな時に,利益になるかどうかとか,お金のことを考えないで,純粋に患者さんの治療のことだけ考えていられるのが公営の病院だ.利益にならなかった分は,市町村のバックアップがあるから.患者さんからお金をとれなくて赤字になったとしても,その治療にかかった分を市町村が補填できるから.
 だからこそ,よっぽど気をつけていないと,あっという間に市町村の赤字を膨らませる原因になる.だから,公営の病院は民営化するべきだという話も理解できる.

 結局のところ,どっちにしても,「患者さんを治療するということはものすごくお金がかかる」のだ.そして,財政が困難になった時に,「患者を犠牲にして出費を減らす」か,「お金(税金)を犠牲にしてでも患者を診る」かということだと思う.
 今まで斜里町立病院はお金をかけてでも,(内科外科以外に)産婦人科医がおり,小児科医が24時間(!)いた.これは,地方の小さい自治体の病院としてはものすごいことだと思う.ある意味,斜里町の病院にかける熱意のたまものであり,この町にいつでも小児科医がいてくれるようにと,ものすごく頑張った人々がいたからこそのものだと思う.
 が,民営化されれば,そんなにコストのかかる産婦人科医と小児科医の派遣は真っ先に切られるだろうね,というのが,現在斜里町の病院周辺のおおよその見方だ.民営化されれば,出費のかさむ所から真っ先に切られるからだ.今まで斜里町の行政が,赤字を覚悟してでも守ってきたものは,変わっていってしまうだろう.
 そういう自分も,いつまで斜里町で働けるのか,不安な部分はある.内科も外科も,今までのような勤務体制ではいられなくなるだろうから.
 せっかく4月から,保険証を斜里町で作ってもらったのに,それはこの先まだまだ,斜里町で医者として働こうという意思の表れだったのだけど,不安要因は尽きない状態だ.

 ↑ところでその保険証.
 札幌の病院を3月に辞め,斜里町で新しく作ってもらったので,新しい保険証が届くまで,今度は自分がしばらく保険証がないまま毎日病院に通うはめになった.
 全額自費負担なので,毎日3万円とか,4万円とか出て行く・・・・・ひ~~~
 昨日ぎりぎりで保険証が届き,7割のウン万円が返ってきたのでよかったよかった・・・
 じゃないよ.
 よかったよかったじゃなくってね.
 それは「返ってきた」のじゃないのだ.
 保険証を提示したので,誰か他の人が健康で病院にもかからないで支払った健康保険料から,私が使った医療費を出してもらっただけの話なのだ.
 本来,ウン万円全額を支払わなければならない所を,そういう日本の健康保険の仕組みによって,誰かが出したお金から補助してもらっただけの話で,私は本当はうやうやしく感謝を込めて受け取らなければいけないお金なのだ.
 何度も言うようだけど,治療にかかるお金は本当に高い.
 普段保険証を提示して支払っている1~3割が,治療に対する代金なのではなくて,本当は10割だけの代金がかかっていて,それを誰か知らない健康な人の「お互いさま」のお金から出してもらっているだけなのだ.
 ということを,みんなもっとちゃんと理解しなくてはなーと思う.
 1回,健康保険の制度を止めて,日本国民全員が10割全額(本来かかった値段の全額)を払うようにしてみたらどうかと思ったりもする.そうしたら,みんな一挙に真剣になって,医療費を削減について考えたり,自分の健康を本気で気をつけたりするのではないかと思ったりするのだ.

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