旭川赤十字病院の医師が急性膵炎の治療を誤ったとして札幌地裁が賠償命令の判決を出した。という記事を読みながら、ああこれでまた医者が減るのだろうなあと漠然と思っていた。北海道の医師不足はいつも話題になっていて、先日もその話題を某所で講演したばかりだ。
今日は北海道ではないが、研修医がバイトしたとニュースになっている。医者は増やせ、でも、○○にしろ、××は駄目だ、▽▽を守れ、医師に対する規定と要求はどんどん厳しくなりガチガチだ。でも、患者の側が云々されることはあまりない。
私は一つ一つの事柄の詳しい内容は知らないし、何より人の命がかかっているのだし、現実に家族を失った人の状況ははかり知れないものがある。自分は患者さんの命第一主義の医者である方だと思うし、そのためにずいぶん喧嘩もしてきたと思っている。が、その私でも、ニュースを聞かされる度に思うことがある。
命が助かるのが当然という風潮になっていないだろうか?
いや、命は助からなければならない、助かるべきだ、が、それでも、である。
人の命は、マイカーを修理工場に出すのとは違う。修理に出せば直るというものでもないし、直らなければ弁償してもらえるものとは違う。
医学がどんどん進歩して、人が不安を抱かなくて済むようになるのは、大歓迎なことだ。
が、だからと言って治療が簡単になったということは違う。
どんなに医学が進歩しようと、治療は相変わらず重く、人の生身の身体は相変わらず人には把握しきれない。人の身体、人の命は、そんなに簡単なものではない。
その「簡単ではない」に日々苛まれる医師と、昔に比べ「簡単に」治ると思っている人々の間に、何か大きなギャップがあるように感じるのだ。
それは特に、産婦人科領域のトラブルを見る度に強く思う。
私は本気で言いたい。
子供を生むのは本当に命にかかわる大変なことだ。
が、世の中、病院に行けば赤ちゃんが生まれるのは当たり前、と思われていないだろうか。赤ちゃんを生みにくいのは病院が減った(産婦人科医が減った)せいだ。病院に入院すれば(産婦人科医さえちゃんといれば)、イコール赤ちゃんを連れて帰ってこれる。
本当に??
赤ちゃんをお腹から取り出すのは当たり前じゃない。実はとんでもないことが起こっている。どんな正常妊娠の場合でも、赤ちゃんも、お母さんも、一歩間違えば死ぬ可能性が、お産の間もお産の後も、次々と生じている。
こんなことを言うと、よけい少子化が進むのかもしれないけれど、女性の大変さ、凄さをよく理解しないまま「病院に行けば赤ちゃんが出て来る」的に簡単に安心を謳う風潮こそ、少子化を進めているようにも思う。
女性が赤ちゃんを産むのは「当たり前」ではない。
女性が命にかかわる凄いことをやった結果として、子供が出て来るということが、あまり理解されているように思えない。
昔はお産は命にかかわる大変なことだった。子供を亡くしたことのある人はたくさんいたし、妊娠や出産は女性のダントツ死亡原因だった。私は全国の民俗関係を取材しているけれども、神社にこれほどの「安産祈願」のお守りがある理由を考えてみればいい。「産後の肥立ちが悪くて・・」という言葉が昔よくあったが、それは産後の出血が止まらないことだ。直径30センチもある胎盤が、女性の身体の内部から子供とともに剥がれるのである。それでも大出血しないで済む見事な人体の仕組みが女性の身体を守っているのだが、何も知らない人にはまず、直径30センチの範囲の内臓出血を想像してみてほしいと思う。それが、すべての出産女性に、それもお産の度に、起こるのである。
今は出産は病院で管理され、ずっと安全に、安心して子供を産めるようになった。
本当ならこれ以上嬉しい話はない。
が、それでも命がけのことが起こっていることには、今も昔も何も変わりない。
病院に入院すれば赤ちゃんが生まれる、のは、コンビニに行けばおにぎりが買える、のとは全然違う。でも、コンビニのおにぎりくらい当たり前に考えられてしまっていないか?? 医師不足のニュースも含め、最近の話題を聞かされる度に、そういう気にさせられるのである。
何言ってんだ、命が助かるのが当たり前じゃないのはよくわかってるし、子供を生むのは本当に命にかかわる大変なことだってことが当たり前だろ、とたくさん言われることを祈りつつ。