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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

阪神大震災から25年。日本は本当に安全に、幸せになったのか。

2020年01月17日 | 日本の政治

犠牲者6434人、被害額9.9兆円

震災の直接被害額は約9.9兆円に上る。復旧・復興事業費は約16.3兆円。阪神大震災では津波による溺死が多かった東日本大震災と違い、建物の倒壊による窒息死や圧死が目立った。高速道路や新幹線などが大打撃を受け、重要インフラの「安全神話」は崩壊した。

 

 

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 2019年9月の台風15号の暴風雨。

 千葉県の友達から、ブルーシートが足りないというSOSが私たち仲間に届いて、私は内心唖然としました。

 熊本地震の被害の復旧が遅れていると聞くと、なんとなく地方だからみたいに私が勝手に思っていたのだと思うのですが、東京のすぐ隣の首都圏で、ブルーシートが届かないってどういうことなんだと。

「千葉 台風被害 ブルーシート」の画像検索結果

「千葉 台風被害 ブルーシート」の画像検索結果

 

 

 あれから、4か月。被害が集中した千葉県南部の館山市、南房総市、鋸南町で、壊れた住宅の修理費の補助申請が計約5500件あった一方で、支給は計32件にとどまっているのだそうです。

 業者不足で修理ができないためで、多くの住民がブルーシートの屋根の下で冬を越すことになります。

 森田健作千葉県知事が、県民が台風被害で苦しんでいるときに自宅だけ安全か確認しに見に帰ったことが発覚して、全国民の憤激を買いましたが、ことは千葉県だけの問題ではないようです。

 

 阪神大震災が起きた1995年1月17日。

 私は駆け出し弁護士として東京にいました。

 父母が住む神戸市灘区の近辺が燃えているテレビニュース。

 気が気でなくて電話をかけるけれども、公衆電話からやっと電話が通じたのが地震から15時間後。

 父母はガスも電気も通じない真冬の実家で、しかし、無事でした。

父は、灘区の自宅から神戸市中央区にある自分が勤める銀行まで、震災当日から通い続けた。

 

 

 あれから、25年。 

 みんなは幸せに近づいたのだろうか。

 復興住宅での孤独死。復興住宅からの退去命令。。。。

 

 

 

 国や地方自治体の残酷な棄民政策のうわさが耳に届く中、東日本大震災、熊本地震、広島や千葉などの風水害など、全国いたるところで住民が悲鳴を上げています。

 その一方で、安倍政権はオリンピックで役立たずの新国立競技場に2500億円だの、ミサイルに1兆円だの、わけのわからないことをつづけています。

 

 阪神大震災で亡くなった6000人余りの方々とそのご遺族。

 東日本大震災で亡くなった20000人近くの方々とそのご遺族。

 福島原発事故で避難したまま、郷里から遠く離れて暮らす方々は、今日のこの寒い一日をどんな思いで迎えておられるのでしょうか。

 日本で世界で起きた、自然災害・人災によるすべての犠牲者の方に、心から哀悼の意を表します。

ほかにやることは思いつかないのか。

 

 

国土強靭化計画とか言って、災害被害を自分たちの票田であるゼネコンの儲けの手段にしようとしている、二階幹事長はじめ自民党の面々の考えていることも本当におぞましい。

いろいろ思い起こしたり、考えていると、心も寒くなってきます。

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地元神戸新聞から

復興とは/問い続ける「最後の一人まで」

2020/01/17

 阪神・淡路大震災の発生からきょうで25年を迎えた。

 街から目に見える傷痕が消えて久しい。大多数の被災者は安心できる暮らしを取り戻した。一方で、隠れていた制度の壁が年月とともに姿を現し、乗り越えたはずの人を再び「被災者」へと引き戻す。これが四半世紀を経た被災地の現実だ。

 苦しむ人がいる限り、震災は終わらない。最後の一人まで救うためにどんな仕組みが必要か。復興とは何か。私たちは問い続け、またここから歩み始めようと思う。

        ◇

 あらわになった壁の典型が「借り上げ復興住宅」の退去問題だろう。

 兵庫県と県内5市が被災者向けに民間の賃貸住宅などを借り上げ、公営住宅として提供した。震災翌年の1996年、公営住宅法の改正で導入された仕組みで、自治体が直接建設するより住宅を早く確保でき、費用も安く済む利点があった。

 ところが、多くの住宅で20年間の借り上げ期間が過ぎると、神戸市と西宮市で要件を満たさない入居者を市が提訴するケースが相次いだ。裁判では退去を命じる判決が続く。

 突然家を失い、移り住んだ復興住宅でようやく得た、安心できる住まい。退去命令が、高齢となった被災者の健康や暮らしの先行きに与えるダメージは計り知れない。

 市側は「公平性」を強調する。一般市民や自力で住宅再建した被災者らと比べて不公平だという。

   個別の再建支援を

 だが同じ制度でも宝塚、伊丹市は全員が住み続けられるようにした。兵庫県と尼崎市は一定の要件はあるが、健康状態などに応じ柔軟に継続入居を認めている。自治体間のばらつきこそ被災者には不公平に映る。

 画一的な線引きで退去を迫るか、一人一人の状況に配慮して工夫するか。法制度を誰のために、どう使うかが生活再建の質を左右する。行政は改めて被災者に向き合うべきだ。

 東日本大震災以降、被災者の個別状況に応じた生活再建計画に沿って支援する「災害ケースマネジメント」の導入が進む。2005年のハリケーン被害で、米連邦緊急事態管理局(FEMA)が始めたとされる。

 仙台市が仮設住宅入居者の生活再建支援策として実践し、熊本地震、西日本豪雨などの被災地でも採用された。多くの原発避難者が暮らす山形県も、昨年から「避難者ケースマネジメント」を導入した。

 鳥取県は16年の地震を機に取り組み、18年度に全国初の条例化に踏み切った。個別訪問による実態調査をもとに世帯ごとの生活復興プランを作成し、専門家による支援チームを派遣する。

 費用捻出が難しい世帯に建築士を派遣し、支援金の範囲でできる修繕方法を助言する。借金を抱えた世帯は弁護士が相談にあたる。健康不安を抱える高齢世帯には保健師が同行する-。多様な団体が被災者の個別事情を共有し、支援策を探っていく。定着すれば、被災者の生活再建を促すとともに平時の地域の課題解決力につながっていくだろう。

   新たな災害法制へ

 阪神・淡路大震災は、新たな災害法制を生んだ。被災者らの粘り強い運動で1998年に成立した「被災者生活再建支援法」だ。住宅を含む生活再建を公的資金で支える、初めての仕組みだった。

 被災者支援を巡る法制度は他に、災害対策基本法、仮設住宅の提供を定める災害救助法、遺族や重度障害者に現金を給付する災害弔慰金等法などで構成される。それぞれが災害のたびに継ぎはぎされ、新たな線引きからこぼれ落ちる被災者を生み続けている。

 昨年、これらを一本化し、切れ目のない支援を実現する「被災者総合支援法案」を関西学院大学災害復興制度研究所が発表した。

 被災者自身が支援内容の決定に参画する運営協議会や不服を申し立てられるオンブズマンの設置、災害関連死の防止義務などを盛り込んだ。

 検討メンバーで、災害ケースマネジメントを提唱する日弁連災害復興支援委員長の津久井進弁護士=兵庫県弁護士会=は「最後の一人まで救うために必要な仕組みを形にした。残された課題に光を当てるきっかけにもなる」と指摘する。

 借り上げ復興住宅だけでなく、震災当初のアスベスト(石綿)飛散による健康被害、震災障害者の実態把握などの課題は、今なお積み残されたままだ。

 一人一人が尊重される「人間の復興」を見届けるのは、被災地で生きる私たちの責任でもある。

 

 

熊本日日新聞から

 阪神大震災の発生からきょうで25年の節目を迎えた。戦後初めて大都市を襲った直下型地震は、老朽化した家屋や建物を次々に倒壊させ、大火災による延焼が延々と続き、合わせて6434人もの尊い命が奪われた。

 昨年末、被災地の今を知ろうと神戸市を訪れた。市内の遊園地に設置された「慰霊と復興のモニュメント」の銘板には、亡くなった人の名前が刻まれていた。神戸港には、崩れた波止場の一部が遺構として保存されていた。とはいえ、焼け跡や仮設住宅は姿を消しており、高層の復興住宅が並ぶ姿から当時の状況をうかがい知ることは難しかった。

 大火による焼け野原から、復興を遂げた新長田地区にも足を運んだ。被災時に消防士として救助に奔走し、退職後は住民代表としてまちの再建に力を尽くした野村勝さん(81)は、各地で大きな災害が起きるたびに“想定外”という言葉が使われることが「残念でならない」と嘆いていた。住み慣れた地域から全てを奪ったあの震災の教訓は本当に生かされているのか、と。

 阪神大震災によって、避難生活などで体調を崩して亡くなる震災関連死が知られるようになり、避難所の環境整備が促された。被災者生活再建支援法は住宅再建に公的支援の道を開いた。ボランティア活動を後押しする特定非営利活動促進法(NPO法)もできた。

 その一方で、行政対応の遅れも指摘される。国と自治体は原点に返り、これまでの課題を検証して備えを拡充するべきだ。

 各自治体は震災関連死を防ぐため、避難所となる公共施設などで冷暖房設備の整備や簡易トイレの備蓄に力を入れ始めた。それでも、2011年の東日本大震災では3739人が関連死と認定された。16年の熊本地震では発生から1年の間に170人を数え、全犠牲者の4分の3を占めた。

 高齢者や障害者ら災害弱者に配慮した福祉避難所の設置も進んでいない。東日本大震災や昨年の台風19号被害でも必要性が再認識されたが、受け皿はなお足りない。

 被災後の生活再建に対する不安解消も課題だ。日本世論調査会が昨年実施した全国面接世論調査では、住宅が半壊・一部損壊しても支援金が支払われない生活再建支援法の規定を「妥当だと思わない」とする回答が78%に上った。全壊・大規模半壊した世帯に支給される最大300万円についても64%が「不十分」としている。

 政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が集約している最新の研究成果も、各自治体の防災事業に役立っているとは言い難く、地震本部の存在感も薄くなっている。防災・減災に向けた行政対応が今のままでよいはずがない。速やかに見直しを進めるべきだ。

 熊本地震で被災した私たちにとっては、神戸の現状は約20年後の熊本の姿と見ることもできよう。神戸が残した教訓を改めて振り返り、熊本の復興に柔軟に生かす努力を続けたい。

 

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1 コメント

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Unknown (ラベンダ)
2020-01-17 21:55:22
阪神淡路大震災当時、明石に住んでいた当事者ですが、正直なところ(当時幼すぎたせいか)地震の悲壮感の記憶があまりありません。無論、ライフラインのガス•水道が絶たれ、トイレと入浴も出来なくなったことには不便を感じてはいましたが、幸運にも当時の友人や知人の中に死亡者や住宅家屋を失った人がいなかったことが何より大きいかもしれないです。実際にここまで酷い大惨事であったことを知るのは、小学生時の国語教科書で、でした。

そう言えば、ある時期から一つ気になっていたことがあるのですが、このような地震災害などで住宅を失った方の中からホームレスになってしまった人もいるのでしょうか。
お時間がありましたら、この話に付き合っていただけたらと思います。
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