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西郷さんにマント...(´ヘ`;) う~ん・・・1日ぐらい着せてあげれば?

2007年12月02日 09時07分48秒 | 政治・経済
鹿児島の西郷どん像にマントを! 「美術品」と市が難色(朝日新聞) - goo ニュース
 鹿児島市にある西郷隆盛の銅像をめぐって、論争が起きている。きっかけは、生誕180年の今年12月7日に1日だけ像に着せようと、有志ら600人が奄美の大島紬(つむぎ)で作った巨大なマント。「歴史の継承に新しい風を」という思いだったが、像を管理する市は「美術品だから」と難色を示し、計画は暗礁に乗り上げた。
 巨大マントの仕掛け人は市内で呉服屋を営む能勢明博さん(62)。「歴史への関心が薄れている今、若い人たちに肩の力を抜いて西郷さんに目を向けてほしい」。そんな考えに賛同したボランティアたちが参加し、4カ月がかりで仕上げた。当時のマントや西郷が尊敬した薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)の裃(かみしも)などを参考にした。
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 どんなマントなのかと調べてみたら、結構格好よいマントです。鹿児島の西郷さんの銅像に似合いそうだと私は思いますけどね。(^_^.)
 写真はρ(・・。)このページにあります。

asahi.com:西郷隆盛さん用、巨大な大島紬のマント完成 - トラベル
http://www.asahi.com/travel/news/SEB200711010012.html
 生誕180年、没後130年の西郷隆盛が圧倒的な人気を誇る鹿児島。鹿児島市にある西郷の銅像に着せようと作られた巨大マントがこのほど、県庁でお披露目された。素材は奄美の伝統工芸品として有名な大島紬(つむぎ)。お値段は秘密というが、数百万円はするとみられる。
 制作したのは、鹿児島市で呉服店を経営する能勢明博さん(62)らボランティア約600人。生地選びから約4カ月半で出来上がった。
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 鹿児島市が西郷さんにマントを着せないと言う理由は、「美術品」だからと言う理由だけではなく、次のとおり。

asahi.com:鹿児島の西郷どん像にマントを! 「美術品」と市が難色 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1124/TKY200711240249.html?ref=goo
 今年は没後130年、像建立70年の節目でもある。能勢さんは8月、像に着せたいと市に打診。その後、市には賛否両論40件が寄せられた。
 反対は「彫刻はそれ自体で完成品なので手を加えてはならない」「なぜ大島紬なのか不明確で宣伝目的では」など25件。「指一本触れさせない」という声もあった。
 一方、賛成は「能勢さんの思いに共感できる」「1日だけ着せてあげてもいいのでは」「PRの絶好の機会だ」など15件あった。
 鹿児島市公園緑化課の○○○○課長は「反対意見も多く、総合的に判断したい」と慎重な構えを崩さない。


 鹿児島県の代表的な絹織物と言えば「大島紬」です。宣伝目的があっても公益性が大きければ私は良いのではないかと私は思うのですけどね。
 西郷さんのマントの大島紬を見て、大島紬の良さを感じる方もあるかも知れない。
 個人のお店の宣伝目的であれば、600人ものボランティアが集まるとは思えないですしね。!(・。・)b

 でもね、朝日新聞よ。(ー_ー)!!
 この辺の記事で市役所の公園緑化の課長のフルネームまで出す必要あるかい?
 個人的な考え方では本人は賛成かも知れないが、役所って言う組織のタテマエってもんもあるから、迂闊なことは言えないってのもあるんじゃないかな?
 さすが、朝日新聞らしい記事だぜ。(" ̄д ̄)けっ!

 話をもとに戻します。
 600人ものボランティアが集まるのは、鹿児島県で西郷さんが非常に敬愛されているってことの証明でもあると思うのですよね。
 西郷さんファンの私としては非常に良いニュースだと思うのであります。(^_^;)

 あまり関係ない話ですが、自称ウヨクの友人(彼は他県の出身)が鹿児島の軍国酒場と言うお店に呑みに行き、カラオケで「抜刀隊」をリクエストしたところ、しっかり断られました。(^^ゞ
 「うちはどんな軍歌を歌っても結構ですが、抜刀隊だけはダメです。西郷さんに仇なす歌を歌わせるわけには行きません。(#゜Д゜) プンスコ!」
 ( ̄~ ̄;) ウーン、えぇ話じゃ。

 ちなみに、抜刀隊で活躍したのも元薩摩藩士の警察官の示現流で、示現流を制したのは示現流のようです。

警察官 とは
http://www.weblio.jp/content/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%AE%98
マッポは警視庁の警察官には伝統的に鹿児島出身者が多い事による“薩摩っぽ”から。ちなみに、明治の初期、旧薩摩藩の不平士族が征韓論の一件で下野した西郷隆盛を首領に挙兵した西南戦争に際しては、その鎮圧にあたったのが警視庁抜刀隊である。抜刀隊には、かつて戊辰戦争にて薩長政府より朝敵とされた旧会津藩の旧士族が多く、官軍と賊軍の立場が入れ替わるという歴史の皮肉さを感じさせた内乱であった。しかしながら、抜刀白兵戦で真価を発揮する薩摩武士の示現流を破ることは出来ず、抜刀白兵戦に参加した警視庁抜刀隊は、実際には薩摩藩出身者が多く、それ以外の旧士族のほとんどは戦死しているなどしており、抜刀隊仇討ち説は視点に見誤りがある。さらには茨城県や福島県会津若松市出身の警察官が多いことから茨城県出身の警察官を茨城巡査と呼ぶ俗称もある。「鹿児島警視に茨城巡査」と言うと、出身藩による昇任差別、階級固定を指す意味がある。

 いまだに西郷さんと征韓論を結びつけて記憶している方々が多いようですが、実際には征韓論ではなく遣韓論と言うものであったようです。


(西郷隆盛の生涯)西郷の遣韓論
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm
情報元:
敬天愛人
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/
(西郷の遣韓大使派遣論)
閣議に出席した外務少輔(がいむしょうゆう)の上野景範(うえのかげのり)は、

「朝鮮にいる居留民の引き揚げを決定するか、もしくは武力に訴えても、朝鮮に対し修好条約の調印を迫るか、二つに一つの選択しかありません」

と説明しました。
 その上野の提議に対して、まず参議の板垣退助が口を開きました。
 板垣は、

「朝鮮に滞在する居留民を保護するのは、政府として当然であるから、すぐ一大隊の兵を釜山に派遣し、その後修好条約の談判にかかるのが良いと思う」

と述べ、兵隊を朝鮮に派遣することを提議しました。
 しかし、その板垣の提案に西郷は首を振り、次のように述べました。

「それは早急に過ぎもす。兵隊などを派遣すれば、朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがありもす。これまでの経緯を考えると、今まで朝鮮と交渉してきたのは外務省の卑官ばかりでごわした。そんため、朝鮮側も地方官吏にしか対応させなかったのではごわはんか。ここは、まず、軍隊を派遣するということは止め、位も高く、責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって一番の良策であると思いもす。」

 西郷の主張することは、まさしく正論です。板垣の朝鮮即時出兵策に西郷は反対したのです。
 その西郷の主張を聞いた太政大臣の三条実美は、「その全権大使は軍艦に乗り、兵を連れて行くのが良いでしょうな。」と言いました。しかし、西郷はその三条の意見にも首を振りました。

「いいえ、兵を引き連れるのはよろしくありもはん。大使は、烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)を着し、礼を厚うし、威儀を正して行くべきでごわす。」

 この西郷の堂々とした意見に、板垣以下他の参議らも賛成したのですが、一人肥前佐賀藩出身の大隈重信(おおくましげのぶ)だけが異議を唱えました。大隈は「洋行している岩倉の帰国を待ってから決定されるのが良い。」と主張したのです。
 その意見に西郷は、

「政府の首脳が一同に会した閣議において国家の大事の是非を決定出来ないのなら、今から正門を閉じて政務を取るのを止めたほうが良い。」

と大隈に言いました。
 このように西郷に言われれば、大隈としてももはや異議を唱えることは出来ません。そしてその後、西郷はその朝鮮への全権大使を自分に任命してもらいたいと主張しました。西郷としては、このこじれた朝鮮問題を解決出来るのは、自分しかいないとも思い、相当の自信もあったのでしょう。しかし、閣議に出席したメンバーは、西郷の申し出に驚愕しました。西郷は政府の首班であり、政府の重鎮です。また、この朝鮮へ派遣される使節には、大きな危険が伴う恐れがあったのです。西郷が朝鮮に行き、もしも万一のことがあったとしたら、政府にとってこれほどの危機はありません。そのため、他の参議らは西郷の主張に難色を示しました。西郷はそれでも自分を行かせて欲しいと主張したのですが、この閣議では結論が出ず、取りあえずその日は散会となったのです。


 大久保利通がこの遣韓論に反対したことで、鹿児島では大久保利通の評価は低かったりするのですが、大久保利通の考え方も間違っていたとは思えません。

JOG(212) 無私の激突、征韓論~西郷 対 大久保
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog212.html
■3.両雄激突■
 新参議の大久保と副島を加えた閣議は10月14日に開かれた。岩倉が冒頭で反対を陳べた後、大久保が発言を求めた。

 わたしは韓国問題はしばらく延期して時期を待つべきだと思う。・・・世界の情勢を考えれば、何よりもまず内治を整えて国力の充実をはかり、然る後に外征に及ぶのが順序であります。これは三歳の童子にも明らかな道理であります。

 「大久保、お前は!」と西郷が驚きの声を上げたが、大久保は続けた。新政府基礎はまだ固まらず、地租改正や徴兵令をめぐる一揆が頻発している。財政も貿易も赤字で、戦争となれば国内産業は衰え、艦船や武器弾薬の輸入は増えて、国家財政は破綻する。英国には5百万両もの外債があるが、これが返済できなくなると、インドの二の舞になって独立を失いかねない 、、、

 西郷が「誰も戦争を起こせとは言っておらぬ。俺は韓国には一兵もつれて行かぬのだ」と言うと、「君がどう思っていようと、相手が拒絶すれば戦争になるのだ」と応える。西郷は怒鳴った。

 おれは今日まで、おまえを勇者だと信じていたが、いつ、どこで、腰を抜かして、薩摩一番の臆病者になってしまったのか!

 大久保は西郷の怒りをものともせずに、自説を続けた。

 政府の根本を画定するためには衆説にまどわされてはならぬ。特に思い上がった陸海軍人どもが政府の命令を遵奉せずに、下士官兵士の末に至るまで粗暴軽率の行動に走りがちな現状においては、、、

 兵隊を暴走させぬために、いかにおれが苦心しているのか、おまえにはわからぬのか。

 暴徒に媚びていては、暴動を鎮めることはでき申さぬ!


 大久保利通も鹿児島県の誇れる偉人であることを、多くの方々に認識していただきたいところです。

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