ラッコ庵日乗

「不思議な話」や「ヘンな話」が大好きなラッコ庵の日記。

三渓園と八聖殿

2007年11月20日 | おでかけ記録
恒例になってきた日曜のロングウォークで、八聖殿と三渓園に行ってきました。


大池越しに三重塔をのぞむ。沢山の歴史的建造物が移築されています。


三渓園の地図。 

三渓園は知らない人なら「横浜の真ん中にこんな日本庭園が!」と驚くこと必至のお勧めスポット。
以前は
「日本庭園なら他に本場があるし、わざわざ歴史のない横浜の日本庭園を薦めなくても」
と思っていたのですが、このごろどうして、山があって、大きな池があって、歴史的建造物もあって・・・というこれだけの規模の庭園はなかなかないのではないかと思うようになりました。
明治時代に生糸貿易で財をなした原三渓富太郎が私邸として作った庭園ですが、開園当時から一般に公開されており市民の憩いの場になっていたというのも珍しいのでは。戦前は海を臨む絶景の地で、三渓翁が支援する芸術家の卵たちを住まわせていたそうです。詩人タゴールも滞在したんだって。昔のお金持ちのスケールの大きさにビックリです。

さて三渓園と比べても知名度のない八聖殿ですが、実はかなりトンデモな建物です。


八聖殿。ごめんなさい、パンフからの複写なので画質悪いです。

法隆寺夢殿を模したといわれる三層楼八角形の建物で、熊本県出身の政治家で逓信・内務大臣を歴任した安達謙蔵(1864~1948)が建立し、1933(昭和8)年に完成しました。
現在では「横浜市八聖殿郷土資料館」と改名され、昔の農具や漁具が展示されていますが、本来は古今東西の八人の聖人の像を安置するための建物でした。

その八聖人とは、

釈迦、キリスト、ソクラテス、孔子、聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮

うーん・・・。
安達さんの考える偉人なんだろうけど、なんか節操なくない?
今でもその像を見ることができますが、全部作者が違っていて、制作方法もブロンズとか木彫とかさまざま。よく見ると朝倉文夫とか北村西望などの名もあります。制作年は全部昭和8年なので、当代の有名彫刻家に一度に発注したのでしょうね。
これはこれですごいですが。

この建物は海を臨むがけの上に建っており、昔はこの下がすぐ海でした。その海だった場所にコンビナートができて、絶景をしのぶよすがもありません。がけに沿った道を降りていくと本牧市民公園に続いており、500メートルほどで三渓園の南門です。


三渓園の外側にある本牧市民公園。昭和三十年代に埋め立てられるまで、このがけまでが海でした。