想風亭日記

人里離れた「想風亭」にて、旧事(ふるごと)を読み、黒犬を友とする日々

小旅2  51年ぶり?!

2008-03-31 02:25:40 | Weblog
LAKESIDE HOTEL 「みなとや」

この建物を目にしたねずみ師が
「わー、ここ、まだあるよ!」と驚いた声で言いました。
ねずみ師が小学生の頃、湖畔学校で訪れた場所だったのです。

「あんてぃーく! オサレ~!」などと言いつつ
バシャバシャとシャッターを切っていたうさこが、ん?と
耳を傾けたのは、
「赤ふんどし」というねずみ師の言葉。

六尺ふんどしというのをご存知ですか?
越中ふんどしとは、ちがうものです。
知らない方はお調べください、すぐにわかると思います。
知っている方は、そのままご想像ください。
くーるぽこ? ん~、ちょっとちがうかなあ。

ねずみ師の通っていた小学校の伝統行事で、猪苗代湖で
合宿し、水泳をするのが湖畔学校。
男子は全員、赤いふんどしというのが決まりです。
お母様に縫っていただいた赤い長い布を、友達同士で締め
あって、みなとやの前に全員集合です。
揃って準備体操を済ませると、桟橋めがけて走ります。
ドボーンと飛び込むのですね、赤い彩りの裸の子供たちが。



51年前、その当時はそうとうイケテルホテルだったろう「みなとや」
その前に立って湖水を眺めつつ、わたくし、おおいに笑いこけました。
想像力だけで生きてるうさこ、刺激的な旅です。



「みなとや」さんとお話すると、この建物は国民宿舎だそうで、
現在は続きでもっと大きなホテルになっているそうです。
ホテルは営業中ですが、国民宿舎みなとやはゴールデンウイーク前には
開業予定だそう。いまはひっそりしていました。
(ホテルの1階は中華レストラン西湖、ランチセット680円也
 うさこは五目中華丼を食す。大盛りで登場。おいしかったです。
 旅の味はたいていおいしいっす。
 会津なんだから手打ち蕎麦とは限らない。つまり成り行きまかせである)


明日もまた小旅シリーズ、続きます。





小旅、宝の山へ向けて

2008-03-30 17:01:49 | Weblog

町、いや村の集落は陽の光を受けてキラキラ明るい。
でも、森の上の空は灰色で雲行きがあやしいなんて
ことがしょっちゅうだし、雪が積もるのも森の周辺だけ
という日が多いのです。

桜のたよりが聞こえてくる時期になりましたが、
ここでは、なごり雪がいつ降ってくるともしれない、
森の春は、例年どおりゆっくり、ゆっくりです。

金曜日の夜中は、粉雪が舞っていました。
でも翌朝、目覚めると窓の外はなんだか明るい。
雲がまだあるけれども晴れそうです。

で、かねてから思っていた小さな旅を
実行に移すことにしました。
森を抜け出すのは、初めてのこと。
ひきこもっていたわけではないのですが、
森を切り拓いて人が住めるようにするのに、遊びに行く時間は
なかったからであります。
(森の暮らしが性に合っているので、ひきこもりでもかまわないのね)

ということで向かうは、会津磐梯山の見える場所。
はあ~、あいづばんだいさんは~たから~の
や~ま~よう~
 朝寝、朝酒、朝湯が大好きなオハラショウスケさんで
 有名であります。

表磐梯を右手に見ながら国道49号線走ると、もうじき
猪苗代湖が見えてきます。



ずっと森の中にいると、ときどき海が見たいなあと
思ったりします。
この湖は、磐梯山の噴火で川がせき止められてできたそうです。
砂浜に波が打ち寄せて、静かな海のよう。

湖畔はまだシーズンオフなので人もまばらでした。
五月から賑わい始め、夏のあいだじゅう、水辺で遊ぶ人や
水上スキー、ヨット、そしてキャンプなどで混雑します。
どこへ行くにも、たいていはオフの季節で人けのない
景色を楽しむうさこです。

浜辺は、じつは突風が吹いていて、
カメラを構えていると、吹き飛ばされそうでした。
でも、来てよかった!

会津磐梯山は宝の山よ~
宝って何?
 と前から気になってた、うさこは自分の勘違いというか
アホっぷりに大いにウケたしだいです。
みなさんはご存知でしょう‥‥

(小旅シリーズ、ちょっと続きます)

裏表があるんだな、これが

2008-03-28 10:21:29 | Weblog
彼は根性より天然ボケ、マッチョなのに実は
とてもビビリー。
知らない人は、その体型と口元からのぞく白い歯に
怖気づくようですが、実はくにゃくにゃ君です。

コンプレックスをばねに生きて(たぶん)ン十年のうさこ
としては、六月のクイーンより今の彼女↓がなんだか好きで、いとおしい。




化粧を落としたクイーン、って感じ?
それとも「うちではおっかあはこんなんだよ」って感じ?
とにかく春浅いと、先日の妄想デーの彼女は別人、
同じ方とは思えません。

深い雪にうもれ、三月の初めには激しい地吹雪の日にも
細い枝をさらして立っていたんですから、多少、素顔が
こんなんでも、その根性がすてき。
「美しいだけじゃないわよ、アタシ」
そのたくましさが、すてき。

誰にでも裏表があります。
芭蕉が詠んだ紅葉の句みたいに、
長い一生のうちには、裏も表も見えてくるざんす。

風とわずかな重力にまかせて、はらはらと散っていくわけで、
表が上か裏が上か、落ちてしまうまでわからない。
どっちが上でも紅葉は紅葉だけれど、散りぎわに
こだわってるんだな、紅葉。
芭蕉の句は、けっこう「人生応援歌」みたいな
ところがある気がします、ワビサビっていうより。

侘びの極意って、もしかしたら
裏も表もバレバレざんすってことかしら?(うさこ談)

以下略……

早い桜の開花で、青山墓地は淡々とけむってます。
明日はお墓の周辺、人で溢れるんだろうな。
さて、森へ向います。
天気予報は雨、雨もまたよしの森なので
肩のあたりがほっとします。


最良の友

2008-03-27 07:54:27 | 晴耕雨読

「あなた、犬、飼ってる?」
「いや、飼ってないけど」

「飼いなさいな。犬は人間の最良の友よ。
 なまじの人間より、よほど分別があるわよ」



カナダの作家 アリステア・マクラウドの長編小説、
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の最終章の一節である。
そうだな、としみじみ思う。

飼っている人間が分別がない場合にだって、
犬は犬の本分を失ったりしない。

同じ作者の『冬の犬』は、読んでずいぶん経っているけれど
ときおりシーンが思い浮かぶ。
氷に阻まれた少年と犬の姿‥‥、島の高い丘に現れる犬の影。

これらの小説に登場する犬たちは、どれも寡黙だ。
いや犬だから吠えるけれど、イメージとして『高倉健」的なのだ。
孤高の人と、犬と、人があらがうことのできない自然と、
三つ揃えば、まそういうことなんだな。



ハイランダー(スコットランド高地人)を先祖にもつ一家族の物語。
このごろの毎日流れるテレビニュースにうんざりして空しくなったら、
現実から遠くへだたった場所へ、
すくなくともここよりまだ「よりよい人間」のいる物語の中へ。

読み終わって、なんかすこし、こころがしゃんとなる感じが
するかもしれません。
新潮クレストブックスの中でも、アリステア・マクラウドは
ピカ一! 都会のど真ん中で生きづらいと思う時、手にとる一冊、
森の中でひとり、どうしてここにいるんだろうと思う時の一冊
でもあります。

追記:
犬は、分別があって、矛盾がなくて、筋ってもんが命ですぜ
姐さん(とは言わないが)そういう感じである。
もし問題があるとすれば、人間の都合が原因である。



犬の訓練士は犬より飼い主に、コマンドの一貫性を求める。
それが犬本来の性質に合わせた訓練法だからだ。
うちのベイビーは生後五ヶ月の時、ある訓練士に預けた。
二ヶ月の予定だったが、あまりの厳しさにめげてしまって
(犬ではなくわたしが)、そんなふうに扱わないで!と
見ていられなくなって、残り二週を待たずに連れ戻した。
後悔しますよ、困ったらまたどうぞと、訓練士はわたしに言った。

もちろん家に戻ると吠えまくる、走り回る、大騒ぎの毎日。
ベイビーの目と鼻先とじっくりと向きあって、
思い知った事は、ただ単に人である自分の勝手な都合を
彼に押し付けているのだということだった。
それがわかってからというものの、即日、ベイビーはつきあいのいい
優等生、ママ思いの子になった。それから今日までずーっとそうだ。
つまり、わたしが調教、訓練してもらったわけである。
コマンド(命令)なんていうより、「話せばわかる」だった。

人はゴーマン、犬も猫もそのことをよく知っている。
見張り番である。


シーズンです

2008-03-26 01:06:35 | Weblog
この季節になると必ず届くハガキがある。
一通は役所から、もう一通は動物病院から。
どちらも内容は同じで、飼い犬に予防注射しましょう、である。

役所に登録すると、どこそこで狂犬病予防注射デーをやるから
連れておいでなさいよ、と知らせてくるのだ。
一度のぞきに行ったら、いるいる、百一匹ワンちゃん騒ぎで
うちの控えめな彼には刺激が強そうと判断し、遠慮した。

いい感じのドクターに出会うことができて、
(バラ好きで森が好きな先生、物忘れがたまにきず)
で、そこへ毎年行って、ついでにいろいろ教えていただく。
犬のこと以外も。

「犬8種混合ワクチン」
「フィラリア血液検査」
「狂犬病予防注射」
費用は予防注射が3500円、その他で6000円余くらいかな。
安いもんである、と思う。
このときダニ予防の薬、フロントラインもまとめて買い込む。
夏に備えて、必需品なのだ。


5才の頃の勇姿。

こんな顔を今でも毎日みせてもらって10年。
嬉しいかぎりである。病気をしないで、元気でいてくれる。

彼のことを人に話すとき、「う~ん、人でいえばキムタクって感じ?」
みたいに言う。
対する反応は、苦笑いか小馬鹿にした薄笑いである。
いっこうに差し支えない。気にしない。
さらに聞かれもしないのに、「性格は三枚目、かな」
さらに、「カシコイけどちょっと決まり過ぎない感じでモテる子って
いたでしょ、アレかな」と続ける。
誰も聞いていないと思うが、言い続ける。
我には返らない。
この件に関してはわたくしの自由である。

彼は、けっこう大食いである。相場だと思うので気にしない。
体重を増やさない工夫をするのは、おっかさんの役目であって、
出されたものは、おいしくいただくのが彼の流儀、これは譲れない。

メンクイである。うるさい女は好きじゃない。
かつて彼の恋人候補のシェパードが出入りしていたが
妹以上恋人未満で、まあいとこ同士くらいなところであった。
どちらかといえば、黙ってついてきてもらいたいタイプである。
シェパードは、彼より足が速かったりするので、
ついてくるタイプではない。
彼は古風でもある。



思いついたが、ちょっとヒロシに似ているかもしれない。
‥‥、いいのか?それは。

(ペットブログではないので、犬尽くしは控えていたけれど
 今日はなんにも考えたくない夜なので、スミマセン)






六月のクイーン  

2008-03-25 03:11:22 | Weblog
今日は妄想デー、しばしおつきあいくださいませ。

まだ枯葉色の森は、春霞で全体に白っぽい。
よって、今日は思いきりカラーでお楽しみ、です。

昨年のバラや、雨に煙る濃い緑の森などなど。
下手なんだけど数だけはある写真の中から、
本日は噂のクイーンを選んでみましたよ。
左下の方の黒い点は、もちろんベイビーのお尻。



先週書いたアホ列伝の犠牲
になったクイーンです。
華麗なる復活!をとげて、
 ここにいるのよ~、私はあんたたちが
  来る前から、ここでこうやって、咲いてたのよ~!!!
ハイ、すみません。盲目的に草刈機をぶん回して
ごめんなさい。
年々、迫力を増してゴージャス、熟女風になっていく山つつじ、
でも今年の花が終わったら、枝を剪定する予定なのです。
株が弱らないようにね。

そういえば‥
ねずみ師は、果実の種(食べちゃったあとの)を手近な器で
育てて芽を出したら鉢へ移し、さらにそれが葉を出したら
森へ運びます。
ぶどう、みかん、柚子、柿なんかね。
まだ小さな鉢の中ですが、期待の新人として
葉っぱをつけていっぱしの苗木です。
みかんが寒冷地で育つかどうか、はなはだ疑問ですけど
スタンバッてます。
うさこはおおいなる期待でいっぱいです。
あのとき食べた、あれがね~、こんなになるなんて、って感じ。

ねずみ師は育てるのが、なぜだか上手です。

枯れかかった植物は、ねずみ師のところへ持っていくと
たいていは復活するので、うさこは自分の怠慢で嗄らした
植木を何度も運んだ覚えがあります。
‥‥大きな声では言えませんけど。

この森に初めてきた頃、まさかバラを育てるようになる
なんて、おもいもよらないことでした。
バラを好きではなかったし。
薔薇って書けないし。



でも、薔薇は咲いてくれました。
うれしかったー、ほんとに。
ほんの短いあいだなんですけど、その日のために
せっせと虫退治と肥料やりをしなければなりません。

で、それは少しも苦にならないのです。
再び、あの薔薇が咲いているところを見たいから。
クイーンの花が終わる頃に、葉が繁り始めて
そしてつぼみがふくらんできます。
姿が美しいだけでなく、多くの人が魅惑されてしまう
理由はその香りにあるのだと、知りました。

だから、せっせ、せっせと働きます。

なんたって、そんなうさこに本人が一番、
びーーーーっくり、してます。
今年もビッグサイズのニームオイルが届いてるし!

クンクン親分

2008-03-24 01:18:16 | Weblog
おっかあの視線をさけて何やら一人で遊んでいます。

避けるんです、時に。
なにしてるの~、こっちおいで~と呼んでも
別に~、なんもないよ、僕はなんにもしてないけんね、的な
態度をとります。つまりなにくわぬ顔をして戻ってくるような
戻ってこないような、なんか、ごまかしてはいないよ決して
という明らかに何かを隠している感じがします。
知らんぷりを装えば装うほど、なにかがにじみでてきます。

ま、人間も同じようなことをしますので、よくわかります。
うさこもベイビー以上に顔に出るタイプ。
‥‥ハンフリー・ボガードに憧れます(古いぞ!)



クンクンしています。
あちこち、クンクンしながら歩きます。
追いかけると、知らんふりして、またあっちでクンクン。
ベイビーがクンクンしたところを、うさこもクンクンしてみました。

雪が融けて、その下には秋に落ちたどんぐりの実が。
赤く色づいているのは、どうしてだろう?
クンクン。
枯葉と土の匂いが、香ばしいのです。
とてもいい匂い。
あー、そうだ、全粒小麦粉をじっくり寝かせて焼いたパンみたい?
お腹が空いてるわけでもないのに、たとえが食べ物になるうさこ。
土の上がこんなにいい匂いだとは知らなかった。
ちょっとおどろき!です。



松の木で作ったベンチにもクンクン。
後をついて行ったうさこは、仰向けに寝てみることにして。
おー、背筋が伸びるう。
地上30センチくらいから、見上げる。
陽射しがぽかぽかしてて、ときどき、ひんやりした風がほほを撫でていく。
まだちょっと肌寒い気もするけど、もうちょっとこのまま、
こうしていたいなあ。

ベイビーがそばにきて、顔のあたりをクンクン。
おっかあ、なにしてんの? とちょっとバカにした態度で
あっちへ行ってしまいました。たぶん、小川のなかへ



下から見上げると、こんな感じ。
どんぐりの木、おーい、まだ眠ってんの?
春だかんね、起きなさいよ。
どんぐりの実から見上げると、こんな感じでしょうか。

クンクン親分、教えてくれて
ありがとさんでやんした。

ちょうちょむすび

2008-03-23 01:46:21 | 晴耕雨読


ベイビーベイビーと節をつけて歌うとしっぽを
ぱたぱたと小さく振って、そして眠ります。

抱っこしてた二ヶ月の頃も
37キロになった10歳の今も
ベイビーベイビーの歌が好き

うす目をあけて、しっぽパタパタで
おっかあがそばにいれば、また目を閉じて



ちょうちょむすびのヒョウ
おっかあといつも一緒の君
よく似ているよ

よく寝て長生きしてくれろ ベイビー

(顔に似合わずこんなやさしい物語を作る今江氏、
 児童文学の大家ですのん!)


オオデマリ

2008-03-22 12:44:42 | Weblog
東北自動車道を北へ向う。
佐野、栃木あたりは暖かい陽射しですが、
那須塩原を過ぎるあたりから、風が冷たくなります。
このあたりから、みちのくの入り口白河の関を通って
旅人は北上す。(なんかねえ、北が好きよ、あたいは)
やっぱり北国はまだ寒いです。(片手運転でパチリ、イケマセンヨ!)

さて今日は、よそ様のお宅なのですが、

八ヶ岳・バラ庭だより すのーまんさんのブログです


最後の方に出てくるオオデマリの木、すてきです。
植えるかむツリー、じゃなくてウエルカムツリーを
スノーマンさんのブログをみてうらやましくなり
ここにも植えることにしましたぞよ。

玄関にこんな花が咲いていたら、帰ってくるのも
お客様も、いい気持ちになるでしょ。
でも、写真のオオデマリは10年ものだそうで
1,2年じゃあんなにたわわに見事な花はつけない、
それはよーく、わかっております、はい。
待ってます、待つのは楽しいので。


ニームケーキ(天然肥料)も届いたし
準備万端ととのってます。
事前に土の中へ牛糞を。よーく混ぜてあります。



下は、かしわばアジサイの苗です。
ここには山桜の木が二本あります。その下に
白い花木を植えてホワイトガーデンにしようという計画です。
客人の部屋からよく見える場所だし
わたしはキッチンから見えます。



ここは森を切り拓いたところなので、花木はあまり
ありませんでした。
そのかわり山桜が春の楽しみです。
花が終わった後、小さな赤いさくらんぼを拾います。
実生の苗を、という魂胆でありますが、これがなかなか…

アホ列伝的思い出としては、開墾の最初の日に、
山つつじをそれと知らなくて(もう花が終わってた)
バンバン刈り取ってしまって、数年間は存在に気づき
ませんでした。
今では濃いピンクの花が咲き乱れてクイーンと
呼ばれています。復活したクイーンはたぶん
熟女です。6月にはお目見えします。

華やかな景色はもうしばらくオアズケ、
待つのも楽し、です。

モディリアーニ

2008-03-20 16:49:48 | 晴耕雨読
六本木、国立新美術館にてモディリアーニ展開催

パリのモンマルトルにあった芸術家たちのアトリエ、
ル・バトゥ・ラヴォワールを訪ねる旅をしたのは、二十代初めの頃だった。
雑誌でエコール・ド・パリの取材をしたのがきっかけだった。
それから私的な旅であらためてでかけた。

坂道の途中にはアートの気配もないコンクリート造りアパルトマンがあり
Le Bateau Lavoir のプレートが。
モンマルトルそのものが観光名所になっているのだから、あたりまえのこと
ではあったけれども、興ざめした。
ソレナラバときびすを返し、チュイルリー公園へと駆け足で向かう。
オランジュリー美術館があるはずだから。

そこで見たのは、ほのかな光に照らしだされた
やさしくはかなげなマリー・ローランサンの絵。
モディリアーニは、海外への巡回展覧会で貸し出し中と張り紙があるではないか。

モネの睡蓮の屏風(屏風じゃないんだけれど、あれはほとんど屏風画)の前で、
歩きつかれた足を休めながら、モジは何処へ行った?と沈んでしまった。
当時、美術館は老朽化で修理中らしく半分ほどしか公開スペースが
なかった。(現在はすでに新装オープンしてるよう)

画集、複製のポスター、絵はがきを買い込んで重くなった手提げ袋を
下げて外へ出て、なんだか空しい。
まだお昼をちょっと過ぎたくらいの時間だったけれど、
ショッピングやグルメに興味のないわたしのすることは、
あとは公園の散歩くらいだった(これは今も変わらないなあ)
セーヌ河畔を歩いて、古本屋をひやかしながらぶらぶら。

ボリス・ヴィアンの顔が表紙になったペーパーバックス、
JAZZ MEN の写真集が収穫。これも手提げを重くしたけれど、
モジに会えないわけだから、二番手三番手でも買って慰めるしか
ないわけだった。
お昼をちょっと過ぎたくらいの時間、まだ明るいのに
安ホテルへ戻り、辞書を引きつつ写真のキャプションを読み、
モノクロの渋い彼らを眺め、これはここで見るものか? と
やや己に懐疑的でもありました。
でもわたしはたいていそんな感じであーる。

外国人が、京都をそぞろ歩いて日本の美を見出そうと憧れて
いざ、やってくる。バス・ツアーで南禅寺とか行くけれども
湯豆腐をみんなで並んで食べ、借景式庭園を見て長い廊下をみんなで歩く。
なんか想像してたのと違うね、と内心寂しがる。
桜、立ち止まっていたいけどもう先へ行くの?となって、
バスへ戻るとなんか胸の奥に空洞ができていてふさがらない。
というのとたぶん同じです。

東京へ戻って、数週間後に都内百貨店でユトリロ、モディリアーニ展が
開かれていました。
行きました。
パリではなく、東京で、じっくりとモディリアーニ。

わたしの仕事場の入口には、額装したユトリロの複製がかかっています。
訪ねてきた友人が、オオっと言い、見入った後、
「なんだ、コピーか」と言うと、スタスタと中へ入ってきました。
コピー(複製って言えよ)か本物か、それはわたしにとって大事なことでは
ないのです。
寝室のモジも複製、わたしには宝物です。
なぜ自分がその絵に惹かれるのか、白い絵の具で塗られたユトリロや
黒と緑、暗い眼をしたモジを見ると心が休まるのか。
ずっと、今でも考えているのですから。

ps.ふるごと更新、またまた狐のはなしです。今度は熊も出ます。