想風亭日記

人里離れた「想風亭」にて、旧事(ふるごと)を読み、黒犬を友とする日々

ねずみの由来 続き

2008-03-15 00:51:13 | Weblog
~つづき)
それからも小さな野ネズミは懲りることなく現れました。

うさ子は次の次の棟上げが終わったとき、新しい住処の床下に
さつまいもを隠しました。農家の方からいただいた大事な食糧
ですし、芋好きなんスね、あたい。
袋一杯のさつまいもがそこにある、思い出すだけで満足で
日を送り、いよいよ焼き芋でもすっかなと、ある日床下を
のぞきました。
一瞬、目を疑いました。
そこには、芋の皮のかけらと糞とやぶれた袋が無残に散ら
ばっているだけなのです。
ねずみ師は、うさ子の顔をみて、フッフッフッと笑い、
消えたね、ざ~んねんとさらに大笑いしています。
慰めてもくれません。
焼き芋焼き芋と焚き火を熾して期待していた客人に
合わす顔がない。うさ子はがっくりとうなだれました。
それからしばらくして、
「きょうはジャガイモ、焼くよ~」と言い
みんなのところへ戻りました。(キリカエ、キリカエ)

ネズミ一族はその後、現れていません。

↑ 天使の羽?(朝陽で消える)

現れたのは、彼女でした。
建物の周囲を周りながら、母親を捜して鳴いている子猫です。
あげくのはて雄猫に追い立てられて、桜の木の上へ逃げ、
降りられなくなりました。
あのトラ模様はきっとみゃーちゃんの子どもだ!と、うさ子は
急いでシャッターを切りました。 

子猫はそれから一年ほどして少し成長し、そしてすっかり
ヤツレ果てて戸口の前へ現われました。
ねずみ師をみても逃げません。ご飯を食べていくように
なりました。

ねずみ師がいるとシマコはやってきて、ゆったりと長居をします。
でも彼女は今でもノラ猫、りっぱに野生で気まま。
愛のバランスはうまくいかないもので、ねずみ師は
彼女の姿が見えないと、ちょっと寂しそうです。
シマコなりの距離と、ねずみ師の思いがうまく重なると
いいのだけれど。
ねずみ師が百パーセント、シマコに譲って与えているように
見えるけれど、そうでもないのかもしれません。



森のなかでは、人間が考えるところのヒエラルキーは成立
しない。パワーバランスしかり。それぞれの命があるだけ。
実にひらた~くて、ゆったりと結びあっている。
そんなことを日々、感じます。

数日前の新聞の片隅に、
「野良猫が産んだ子猫を保護した人のところへ男子高校生が
子猫を飼いたいからと譲り受けにきた。けれども子猫は解剖され
高校の裏山に屍骸が捨てられてあった、高校生は生物部に所属
していた」(概略)という投稿記事があり、読んだ後、うさ子は
ねずみ師とネズミそしてシマコのことを書きたくなりました。
ねずみ師は名前を借りてもネズミに文句言われないだろ?と
いうことなのです。あのとき助けたんだからね、と。

命を感じるのが難しい時代なのだという意見があります。
そうなんだろうか? そういうことなんだろうか?