想風亭日記

人里離れた「想風亭」にて、旧事(ふるごと)を読み、黒犬を友とする日々

dog year

2008-04-23 01:43:44 | Weblog
IT業界では激しい変遷のさまをあらわすのに、便利に使われているけど
もともとは、7倍の速さで成長し老いていく犬の年齢のことであるね。

ダーリン、ベイビー、親分、いろんな呼び方を気まぐれにしてる
つまり、うちのベイビーなんだけど満10歳にもうすぐなる。
今年の正月は、君も数えでイレブンになったんだねえと
感慨ぶかく杯を交わした。
数え年か満年齢か、どちらが正しいかを言い争ったことが
あった、母と。あれは高校生の頃。
母の主張だった数え年って言い方がこのごろは気に入って、
あまり誰も言わなくなったら、なんだか使ってみたい気持ち。

ベイビーは体重が38キログラム、ダイエットしてである。
放っとくと、40キログラムの大台に乗るので日々注意している。
知り合いのペットショップ・オーナーの姪ごさんに、
「あ~、この子、リンゴ頭だあ!」
「おデブだねえ、この子」
などと、青山通りの真ん中あたりで叫ばれたことがあるが、
決してリンゴ頭でもデブでもありません。
マッチョなのである。
筋肉質で、キムタク似だという話は以前したので、もう書くまい。

いつも思っている。
ドッグイヤーなんだね、君の時間は。
あとどのくらい、いっしょにいられるのかなって。
数える。
平均があと2、3年らしいから、
だからマッチョな君ならあと5年は軽いよな。
だったら、ついでにあと6、7年、
いや、8年。
知人宅の犬は20歳だそうだから、君もいけるかも‥

オヤジ顔負けのイビキで起こされる夜に思う。
つやつやの黒毛をブラッシングしながら思う。
でっかい前足でふんづけられて思う。

ベイビー、君がいない時間をどうしても
想像できないのだよ。

朝晩、往復2キロの道を、ウンチと電柱情報クンクンチェックに
つきあって、たまに顔をあげてニタッと笑う君と歩く毎日。
めんどくさいなあ、つかれてるしなあ、と歩きだしても
すぐに君のおかげで元通り、元気に歩いて、気持ちよくなる。

ベイビー、君は先のことなど考えないのだろうね。
そうだったね、そうだ、今、君といる今。

ドッグイヤー、欲張りな人間に今という永遠を教えてくれるんだな。

(PS:ふるごとじゅく更新、パスワード入れてね)



種まき、その後‥

2008-04-22 03:07:50 | Weblog
        (写真中央あたりにご注目)

ずっと続いた雨と風、やっと少し晴れ間が見えて
ねずみ師は、予定通りに芝タネを蒔いたのでした。

桜の木に止まって、ごきげんにさえずっているのは
セキレイ君です。セキレイ嬢も近くにいます。

一号棟とわたしが呼んでいる最初の家の雨戸(手づくり)の
隙間に巣をかけて以来、この庭がお気に入りのようです。

でも、この日は何かが違います。

木の上から視線を感じます。

ねずみ師は、タネが風に飛ばされないようにずっと腰を
かがめて低く低くして蒔いていたため気づいていないのですが。

ようやく終えて、一服。
空も日暮れ色に変わりつつあるなあ。
あ~、やることをやってほっとした。
とかなんとか、思っていたでしょうね、たぶん。



そして、あーーーーっと大きな叫びが。

セキレイ君が堂々と、タネを召し上がっております。
キュキュキュ、チュチュチュとか言いながら。

バッとねずみ師が立ち上がって、どうにかセキレイ君は
遠慮したようです。
でも、すぐそばの木の枝にいて
視線は、おそらく下へ‥

まだタネに水撒きが残っているのに。
食べちゃうなんて。

だから去年の芝、斑に生えてたんだなあ、
ちゃんと蒔いたはずだと思ってたんだ、やられたなあ。
おまえたちが犯人だな、
今年はそうはいくか。
とねずみ師は苦笑いしつつ、動揺しています。

こらあ~っと追い払うわけにもいかないわけですから。

「そもそも、セキレイ君の巣箱を作ってあげたの誰でしたっけ」
と、ここぞとばかり言ううさこ。ニヤニヤ。

芝タネの予備分を取り寄せておくしかないですね、はい。
ねずみ師は諦めましたが、木の上から視線を外しません。

毎日毎日、歌声を聴かせてくれる小鳥、いないと寂しいわけで。
食い逃げではありませんから。シマコに同じく。




水に流して

2008-04-21 07:42:16 | ヨムヨム
Non,Je ne regrette 水に流して

エディット・ピアフ、晩年のヒットソング。
ノーンと低く通る声で始まる歌を耳にしたことが
ある人は多いだろう。
昨年からピアフの人生を描いた映画
「エディット・ピアフ愛の讃歌」もヒットしているし、
その際に聴いた人もいるだろう。

友人のストーン女史は、会社帰りにふらっと
寄った映画館で観たそうである。
それからしばらくシャンソンばかり聴いているのよ、
と言っていたが、話を聞いてずいぶん経ってしまった。
で、うさこも遅ればせながらDVDで観ましたよ。

ノーン、ジュ ヌ ~ 低い歌声は耳に覚えがあって
若い頃、さんざん聴いていたことを思い出す。
フランスかぶれの20代の日々、ちょっと切ないような、
苦しいような感じ‥‥。

わたしはじゅうぶんに愛し、尽くし、
いろんなことがあったけど、それはもう過ぎて
しまったこと。後悔してないわ。
もう忘れてしまおう。
わたしは、新しく生きる。
わたしは、これからまた自分の人生を生きる。
というような意味の歌詞。
若いわたくしには無理なのだった。
無理な恋をしていたし。

若くない今、ピアフの声が身に沁みてくる。

映画では、恋多き人ピアフを貧しい天才少女の立身出世話に
仕立てているのが、ちょっと今風かなという印象。
病床のピアフが「父さんのために祈るわ」と言う。
秘密を告白する場面、父のために祈るという台詞は
ピアフのそれまでの人生から考えると意外だった。
でもそれがとても救い、そう思えた場面だ。
一番、胸にきた箇所である。

ピアフの恋は、「永遠のマリア・カラス」くらいには
もっと描いてもいいんじゃな~い、とも思う。
「じゅうぶん切ないわ!ピアフ、かわいそう」
ストーン女史がそう言うので、じゅうぶんではある。
水に流して、オランピア劇場に立っているところでラスト
だから、カラスより立派?
いや、でも、カラスは永遠だし。

もう一つ、映画の感想。

「幸せのちから」主演ウィル・スミスの映画
クリス・ガードナー原作、実話がもとになっている
これも貧しさから立身出世した感動的なおはなし。
こういうのは避けて観ないようにしている。
が、週末の森は大荒れ、突風で外に出れないし、
資料読みにも限度があるので(という言い訳をする)
うさこはしかたなく、観たのである。

貧乏な人がチャンスをつかみ、成功する話なのだが、
貧乏度がピアフとほぼ同じであるね。
ピアフは芸術畑だから実業家のガードナー氏とは
ちょっとそこが違う。

けれども、貧乏で出世するより犯罪者になる人のほうが
だんぜん多いアメリカでは稀にみる話。
ガードナー氏が一般人でもヒーローとして映画化したくも
なるというもの。これこそアメリカ的。
でも、アメリカの本当に貧乏な人は映画館へも
行けないだろう。
貧困大国アメリカなのだから、たぶん観たのは
中間層から上ばかりだったりして‥
本当に余裕のない人には届いていないかも‥ンだな。
(映画公開がサブプライムローンの破綻前と
いうことも意味深な感じ)

ヒット作だけど、ガードナー・リッチ&カンパニーを世に広く
知らしめる役割と、貧しい人に力を与えるのとどっちがどっち?
ややこしな~ ややこしな~ と踊るか?

貧乏→出世=成功! という図式のお話は淡々と観るね。
そういううさこは、貧乏に育ちましたよん。
小学生の頃、生活保護受けてたようですよん。
今、うさこの僅かな仕送りで暮らしてる母は、
これまたすずめの涙の老齢年金にそれを足して
「生活保護」だけは受けたくない、これで充分と
言い張ります。
受けなくていいのですが、そう思いたくなる過去が
あったということなのですねえ。
差別とか気兼ねとかですね。
うさこは小さくとも、よ~くわかってました。
母は長生きし、娘は母親が気兼ねしながら暮らしてた歳に届いてしまったね。

水に流して と歌うノ~ン、というピアフの声
身に沁みます。
お母さん、もう終わったんだよーーー

ぽかぽかぽか

2008-04-17 13:43:21 | Weblog
夢をみる。
だんでらいおん
ぽかぽかしてくると
ふわふわしてくると
妄想ちゅう

若かりしあの夏の日を
思い出すのだ



ちょっと、そこまで行ってくらあ



冷たくっていけねえや
って、ブルブルしてこっちにかけないでよ。




妄想癖、どうせするなら
愉快な時間をリピート。
マイナス思考は、時間のムダ。
先のことは思わない。

今、そばでグーグーと大イビキ
ときどき駆け足で、ふとんを蹴っている。
どこを走っているのやら。
痛くない脚 速いぞ!

夢を見ている。
ぽかぽかぽかぽかのポジティブ・シンキング
(バブルの頃、妙に流行った言葉だ)
それとはちょっとちがう
力強い楽天主義。
理由はちゃんとあるからね。

抗ウツ剤に依存するのは、生まれてきた意味を
まだ知らないからだね。
知らないなら、知るだけさ!

知る、智る、覚る、知恵の輪三兄弟
ぼくは夢のなかで遊んでる。



いまさらながらに

2008-04-16 10:51:45 | Weblog
はーい、はーい、と駈けてゆくのだ。
(くんくん)親分が(アルファ)親分のところへ。



今にして思えば‥‥
といまさらながら思うことが
たびたび、ある。

どうしてそのとき
立ち止まって、「思う」ことを
「考え」なかったのだろう

いまさらながら、という表現は
じつにいやしいいいわけのひびきが
することに、今朝、気がついた

彼は、後悔などしない
いつも、素直が身上で
まっすぐに、かけていくのだ
思うことを、なおざりにせずに
思うことを行うだけの毎日だ。
それでいいわけだ。

人がそれをしないわけは
人には、すこしばかりの知恵があり
その知恵で判断しているのか
脳の経験則で判断しているのか
わからないが
いまさらながら、と何日置きかに
つぶやくことになる。

(山梨で110番した少女を想って)

みんなで春の仕事

2008-04-15 08:11:19 | Weblog
ベイビーはこれでも手伝っているわけです。
雪が融けてふたたび薪の片付けと整理整頓なのだ。
周囲に草が生い茂る前にやってしまうべ。

走り回りすぎて、前足が ちょっと痛いんだけれど、
ハウスって言われたくないから手伝うよ。



U氏とN氏はなかなかいいコンビです。どうしてかって?
アルチザン的な仕事人U氏と
湘南から都心のオフィスへ電車通勤する毎日で
ペーパーより重いものは持たない典型的リーマンN氏なわけで
足して二で割ると、不足を補ってちょうどよいことに。
だんだん腕を上げてニバイ、ニバイになることを希望して
やまないうさこです
N氏は野性味をつけ、愛娘に自慢できることをめざしてるのだ。
ふたりはいい感じで、テキパキ。
仲良しなら、イインダヨ~ン。



ねずみ師は秘密兵器で効率的に薪を運びます。
高価な機械だけど、これだけ活躍すると元がとれます。
隣に別荘を建てたSさんちに薪を運んであげたこともあるし
大雪のときは除雪車がくる前に出動して道を作るし
大水害で道路が壊れたときは、ほとんどの大仕事を
これで解決したというすぐれもの。
この中で過ごす時間がながいので、
これはつまり、ねずみ師の愛車のようです。



使った道具はメンテナンス。
職人道です。



ベイビーは、手持ち無沙汰のN氏に
ちょっと同情的なのよ、これはそーゆー態度です。


柔らかな雨2 ハナウタ篇

2008-04-14 01:04:51 | Weblog
      ベイビーは、ハナウタが聞こえると
      しっぽブンブンさせて、やってくる。

木の芽がふくらんだ
窓のさきの木の芽

木の芽のさアきに
雫が一つ生まれた

うまれた雫
雫がまあるく光った

光ったと思ったら
きらきらきらりと落っこった

落っこったと思ったら
またひとつ生まれた

木の芽 木の芽
木の芽のめぐりに雨が降る
        (童謡詩「春の雨」作:若山牧水)

 よくハナウタを歌う、かってに節をつけて。
 ご機嫌なのかといえば、そうと限ったことではなく
 たぶん、我を忘れている感じに近い。
 人は他人がいるから我を思うわけで、
 他者を意識しないとき、我もまた消えている。
 そんなときは、ハナウタである。

 るるるるーららーりりりー、りらりりりーとか
 文字にするとナンだが、けっこうメロディアス。
 まあ、どっかで聞いて記憶にあるような節がつながって
 オリジナルなような、そうじゃないようなのを口ずさみつつ
 何かする。何もしていないときは歌わない。
 料理だったり、掃除だったり。
 そう、歩いているときはよく歌っている。
 もちろん東京じゃなくて、森ン中です。



今日みたいな日は、牧水の詩集なんかいい。
ぱっと開いた頁に、森の景色にぴったりの歌があったんだな。
「春の雨」
この詩は曲はついていない。
ってことは各々、気分に合わせて節をつけて歌おうぜ。

雨をみつめていると、最初はいろんなことを思い出したりする。
だけど、雨にけむってぼーっとかすんだ木々を
眺めるともなく見ているうちに、
頭に浮かんだことが滲んで消えて
いい気持ち、やわらかな、何かに包まれるような
ここちになってくる。

芝生の上に、小鳥がやってきた。
雨んなか、歌いながら。
土の上でなにかついばんでる。
飛び去って、木の上で、また歌ってる。
雨んなか、けっこう楽しそうです。
ふふふん 
 




柔らかな雨

2008-04-13 16:34:39 | Weblog
このところ、よく雨が降ります。

週末、金曜日にちょっと晴れ間があったけれども
土曜日からまた少し雲が多くなってきて
日曜日は朝から、しとしとやわらかな雨。

まだ肌寒い空気のなか、ちょっとでも陽が射すと
その温みがうれしいです。



クンクン親分は、やっと咲いた水仙のそばで
あやしい行動をとがめられて、ステイ中なのだ。
カメラをかまえると、なんだかな~、ジジ臭い顔を
するね。ふんべつ臭いというか…
似合わないなあ、ったく、ぜんぜーん。



芙蓉の芽が、ちょっと背が伸びた!
白い大きな花が咲く予定なんだけど
八月まで無事に育つことを祈るばかりである。
なにせ、雨、風、どちらも大がついて
やってくるから。それも頻繁に。
春が来たと思ったら、次はそういう季節が
すぐにやってくる。
やわらかな雨の降るこの季節、
この森はつかのま、やさしい顔をします。

糸を紡ぐ話から‥加工品etc.を語る

2008-04-11 01:33:47 | Weblog
ふわふわの綿花を丸く集めて、それをひっぱって
捩って糸が紡がれていく。
綿からいったいどうやって糸ができるのか。
撚っていくって、どういうことなのか。

それが、かねてから素朴な疑問であった。
おなじように、蚕の繭玉から絹糸が紡がれるのも
なぜあれが糸になり、それが一反の布となり
それが身体を被い飾る着物になるのか。
だれがそれを思いついたのか。
すごいことだ!

と、かねてから素朴な疑問の一つとして
わたくしの脳内に眠っておりました。

機織りは神話の最も重要な場面として登場する。
蚕を育て繭をとるのは、新しいことではなく
最も古い仕事である。

古代文明が発展した地には、必ず布の文化がある。
これまた、不思議。
○型からー状のものを引き出し、□にしたり◇したり
していくという発想を、人間はするらしい。

そういう感覚がまったくないわたくしは、起源が
知りたくてしかたがないのである。
アーティストという類の人、特に造形にかかわる人は
そういうことを思いつくのがあたりまえなんだろうけど。
平面的なわたくしには、ありえないことだから。

で、ねずみ師を訪ねる。
モシモシ。

玉から糸を撚っていく順序を聞き、ふんふんとうなずく。
~長いから略~


           ↑考える犬(晩メシ関係について考察)
話はどんどんと発展した。

三味線の白い部分は子供を産んだことのない雌猫の腹の皮。
三味線の糸は絹糸を油でコーティングして固く強くしたもの。
どうしてネコ皮なわけさ!!!
どうしてそういうことを思いついたのさ!?

さ~、いろいろ試すんだろうね。
牛皮、ふだん使ってるでしょ。革って書いてるけどね。
水気を含むと固くなるから、油を塗る。匂いも他のよりしないから
多用されてきたんだろう。牛革ってあたりまえに財布とかカバンとか
靴とか、平気だろ? あれだって、皮だからね。

豚革ってのもあるし、子羊の財布ってのは高級品ですよ!
(と、うさこが知ったかぶり)

若い頃、急に気になりだして布カバン、布バックっていうの
あれに持ち替えたことがあったね。
動物の皮だってことが気になるとなるもんなんだ、
なんだかむやみとね。

へー、そうっすか。
そうだよ、考え出したら、食欲だってなくなるしな。
へー、‥、あたいは肉系、最初から苦手ですから食欲はないっす。
布バックはちょっと、持ってないですけど、かわいいっすよ。

無駄にするところがないんだよ、って本来はゴミを出さなかった。
祈ってますもんね、インディアンとかアイヌとか。
みんなそうさ、だって命をいただくからね。

と、ちぐはぐな会話が交錯しつづけ、
どんどん広がりまして、
ねずみ師のエコって、社会現象とは関係ないところに
あることに気づきました。

知識ではなく感じるところから始まる
それが思想、なんだなあ。

              PS:ふるごと更新しました。