想風亭日記

人里離れた「想風亭」にて、旧事(ふるごと)を読み、黒犬を友とする日々

リスペクト 苔

2008-03-19 14:36:04 | Weblog
    水辺の苔だま、花が咲くよ

1ドル99円台 工場の海外移転を警戒 東北の輸出産業 (河北新報) - goo ニュース

懐かしいですねえ、円高。
めぐってくるんですねえ、歳を重ねると同じような状況に
ふたたび遭遇するんですねえ。
このごろは、たまに「あああの頃もこうだった」なんて
いう感じがあって、お、歳とったか?!なんて気がつく。
歳とるのはええなあ、と思ったりしてます。
(10歳はわかいのう、とか言われてももう喜ばないね、
中身がほんとに若くて困ってるし)

でも廻るのがわかると、廻ってきては困ることも多々あって・・・

毎年3月10日の東京下町の映像を見ると、嗚呼、と
絶叫したくなるのを堪えるしかないありさま。
まだ生まれてはいないし、田舎の山の麓にいたから
母ちゃんも無事だったけど。
(父はこの頃は中国でした)

夜、甲州街道を突っ走っていた時、横をたらたら行くなあと見たら
大型トレーラーの上にあったのは、とてつもなくでかくて黒い戦車。
驚愕! 戦車だ、戦車だ、と心の中で叫び、ヒエーと口に出した。
(どこへ向かうのか? 島国細道ニッポンに戦車は無用じゃ)

苦手の経済、指南してくださっているM氏から聞いた話を
時間差で理解し、オオオっと唸りつつ、励む。
ビジネス本を数十冊読むよりよほどいい。

キャリアってすごい、としみじみする。
長く生きてるだけで経験があるというだけでは
ダメなんていう意見があるが、すごいことはたぶん、隠れてるから。
抽出する技、あればいただきです。
円高、株安、揃って来たら買い、か?
「乾坤一擲」と叫ぶのは、今なんだろうな、たぶん。

森の中で10年以上は着ているだろう服をさらに着倒し
おニュー?珍し! って、ユニクロですよ。
世間の流行から250キロは離れてて
それでも廻ってきた円高95円には気づいた、うさこ。
ちょい気合入れたりして。

苔は美しい (ん?話つながる?)

「小島よしお」ではいられないことの数々。
製造業の苦しみや焦燥は取材をすればひしひしと
伝わる。
小島クンは新ネタ探すよりあの芸で首相官邸前(警備員いますねえ)で
パフォーマンス。やらないかな、吉本の株上がるのに。
(サン・ミュージックだそうで、間違い↑)

小陰2年、大陰12年といいます。
人生はこの周期で定まるとこまで行くんだけれど。

どんな時にも柔軟性と適応性、機転で生き伸びる賢さが
あれば・・・と思うのですね。
で、森の生活12年のうさこはどうかといえば、
目先のことにトラワレテときどき懲り固まる己を自覚し、
甘い甘い柔軟剤を使用中。


ノラや

2008-03-18 15:12:59 | 晴耕雨読
  月が昇って ↑

シマコさんは、かれこれ3週間ほど顔をみせません。
夜になっても現れず…

猫に囚われている人を近くに見ていると、
内田百「ノラや」を思い出してしまう。

「風の音がしても雨垂れが落ちてもお前が帰ったかと思い、
今日は帰るか、今帰るかと待ったが、ノラやノラや、
お前はもう帰って来ないのか。」
という悲嘆の言葉で結ばれている。

大の男が猫の話をする。猫の心配をする。
猫は勝手気ままであるので、はたから見れば、性悪女に
振り回される男のようでもある(私見です…あくまで)。
 そういうときの男の人は無性にやさしいのではないか。

それを見聞きするこっちは、男の人が気の毒でもあり猫が
うらやましくもある。
そのうらやましさは、人間同士の嫉妬心にあるような
ドロドロしたものではなく、ちょっと切ない感じ。

そのまなざしは、人が人に向けるやさしさと違う種類のもの
で博愛とでもいおうか、無条件の慈愛。そばにいると
見ている者まで空気感染しそうだ。

力のある者が小さくて非力な者を守っているという関係に
たいていは心動かされる。決して上から目線ではなく。
この際、猫のしたたかさは霞んで小さく(太っちょ猫も)
か弱い生き物にみえてしまう。
「大の男と、猫」というのは、なんだかほだされる図で好きである。



仕事場へ通じる路地に行きつけの花屋があって、ご主人は
自宅では猫を飼っている。以前はテリア系の犬がいたが、
行方知れずになって、それきり猫しか飼っていないという。

世田谷の保護センターに幾度も通って探したとき、
「似たような子がたくさんでさ、どれがうちの子かわからないほど
たくさんさね」
そこにはいないとわかって、ようやく諦めて、やってきた猫である。

主人はこちらの好みを覚えていて、好きでない色を除いて
花束を揃えてくれる。野性味のある和花をよく選ぶ。
そして揃えた花束を目の前にかざして「おお芸術だあ」と
自分で言う。ね、そうだろ?とこっちへむかって言う。
そこいらの華道家よりおいらの方が上だね、なんてことも言う。
そうそう、いいねえと相槌を打ち、ちょっと世間話になる。

たいていは、お宅のボウズは元気にしてる?と主人が聞く。
まあまあ、このごろは留守番してるよ。と応える。
オイラんとこの猫ね、ずいぶん前に数ヶ月行方知れずになって、
さんざん探して諦めかけたころに戻ってきたんだよという話になる。

これ何度聞いたっけ、わからないくらい繰り返し。
乞食みたいにぼろぼろになって戻ってきたんだよ、
でも帰ってきたからよかったよ。
ほんとに安堵した顔で話す。
生きた心地しなかったよと。

 親父さんのココロの中にある猫の比重、わたしの中の
ボウズの比重。同じだなあと思うので、何度聞いても一緒に
安堵感を味わっている。

ところが先月の初めに立ち寄ると、また戻ってこないのだと言う。
そのうちまたふらりと帰ってくるよ、と慰めると、
いや今度こそはわからない。もう諦め半分さね、と言った。
その日、主人は花の色を間違え、あろうことかオレンジ色の
なんだか知らない洋花を混ぜ、いつものようにかざして吟味し、
黙ったまま、そのまま包んでしまった。
何も言わずに受け取って、何か言いたいが出てこない。
大丈夫だよ、帰ってくるよと言ったが心もとなさに気が沈む
ことこのうえなし。

 それからしばらくして通りですれ違った時に、オハヨー
ゴザイマースと挨拶をしたついでに、猫どうした?と尋ねると、
おうおう戻ったよ!、でも大変だった、また傷だらけでさ。
主人の声はすれ違う人が振り返るくらいでかかったが、
「それが大怪我しててさ」というのが猫の事だとは人は思わ
ないだろうなとおかしかった。

 花屋の主人、野坂昭如氏、それからねずみ師も。
猫優先の人のビミョウな意外性、見ていると明るい陽が
射してくる感じがします。

 ちなみに、百の愛猫ノラは雄、花屋の猫はオカマちゃん。
イプセン「人形の家」のノラではなく、野良のノラと
わざわざ書いたところが文学者の猫らしいなあ、
イプセンを今ではほとんど読まないだろうから
ノラは野良としか考えないけどね。
どっかのばあちゃんも、道端の猫に「ノラちゃん」と
呼びかけていましたし。

ps:昨日の狐いろいろの話。元はミケモチヒメノカミ。
  食保姫神と書きます。
 


黙ってないんだかんな

2008-03-17 01:42:29 | Weblog
春になった、ようだ。

春になれば、黙ってないんだかんな。

そう歌ったのは、たしか友川かずき。
正しい歌詞は忘れたが、春になれば黙っていない
その理由がちょっとだけ解る気がしてきた、近頃のうさ子。

雪解け水で嵩が増しつつある小川。
飲んでも大丈夫だし、まろやかでとてもおいしい水が
流れています。(水質検査済、もちOK)
この水を守りたい、そう考えると、黙っていられない。


チベット暴動のニュースをみて怒っている人へ
チベット通といえばこの方、渡辺一枝さんのチベット写真集
「風の馬ルンタ」をぜひお手元に一冊(本の雑誌社刊)

ps:ふるごとじゅく更新、加筆修正しました。







ねずみの由来 続き

2008-03-15 00:51:13 | Weblog
~つづき)
それからも小さな野ネズミは懲りることなく現れました。

うさ子は次の次の棟上げが終わったとき、新しい住処の床下に
さつまいもを隠しました。農家の方からいただいた大事な食糧
ですし、芋好きなんスね、あたい。
袋一杯のさつまいもがそこにある、思い出すだけで満足で
日を送り、いよいよ焼き芋でもすっかなと、ある日床下を
のぞきました。
一瞬、目を疑いました。
そこには、芋の皮のかけらと糞とやぶれた袋が無残に散ら
ばっているだけなのです。
ねずみ師は、うさ子の顔をみて、フッフッフッと笑い、
消えたね、ざ~んねんとさらに大笑いしています。
慰めてもくれません。
焼き芋焼き芋と焚き火を熾して期待していた客人に
合わす顔がない。うさ子はがっくりとうなだれました。
それからしばらくして、
「きょうはジャガイモ、焼くよ~」と言い
みんなのところへ戻りました。(キリカエ、キリカエ)

ネズミ一族はその後、現れていません。

↑ 天使の羽?(朝陽で消える)

現れたのは、彼女でした。
建物の周囲を周りながら、母親を捜して鳴いている子猫です。
あげくのはて雄猫に追い立てられて、桜の木の上へ逃げ、
降りられなくなりました。
あのトラ模様はきっとみゃーちゃんの子どもだ!と、うさ子は
急いでシャッターを切りました。 

子猫はそれから一年ほどして少し成長し、そしてすっかり
ヤツレ果てて戸口の前へ現われました。
ねずみ師をみても逃げません。ご飯を食べていくように
なりました。

ねずみ師がいるとシマコはやってきて、ゆったりと長居をします。
でも彼女は今でもノラ猫、りっぱに野生で気まま。
愛のバランスはうまくいかないもので、ねずみ師は
彼女の姿が見えないと、ちょっと寂しそうです。
シマコなりの距離と、ねずみ師の思いがうまく重なると
いいのだけれど。
ねずみ師が百パーセント、シマコに譲って与えているように
見えるけれど、そうでもないのかもしれません。



森のなかでは、人間が考えるところのヒエラルキーは成立
しない。パワーバランスしかり。それぞれの命があるだけ。
実にひらた~くて、ゆったりと結びあっている。
そんなことを日々、感じます。

数日前の新聞の片隅に、
「野良猫が産んだ子猫を保護した人のところへ男子高校生が
子猫を飼いたいからと譲り受けにきた。けれども子猫は解剖され
高校の裏山に屍骸が捨てられてあった、高校生は生物部に所属
していた」(概略)という投稿記事があり、読んだ後、うさ子は
ねずみ師とネズミそしてシマコのことを書きたくなりました。
ねずみ師は名前を借りてもネズミに文句言われないだろ?と
いうことなのです。あのとき助けたんだからね、と。

命を感じるのが難しい時代なのだという意見があります。
そうなんだろうか? そういうことなんだろうか?





ねずみの由来

2008-03-14 09:48:05 | Weblog
最初の小さな一棟目が完成したのは二年たった頃でした。
意外と早い。(全員素人のわりにはです)
そういえば玄人の左官屋さんが一人混じっていたっけ、失礼。
あの人、どうしてるかな。
井戸もみんなで掘りましたので、台所に水道がつきました。
これは大革命大進化でした。
ま、今日のテーマはそういう自慢、いや自己満足じゃなくて
ねずみ師がどうしてねずみを名乗るのかというお話です。

ある夜、ガサゴソと小さな音がするので眼を覚ましたねずみ師は
懐中電灯で物音のする方を照らしました。
そこには段ボール箱がひとつありのぞきこむと、いました。
小さな白いネズミが滑って、音をたてているのでした。
段ボールの底からなんとか絶壁をよじのぼろうとして、
入るのはカンタンだけど、出るに出れなくなったのです。
何度も挑戦して、段ボールが揺れています。

ねずみ師がよく見ようとすると、ネズミもまたじっと
見上げています。そしてふたつの眼同士はキラっと通じ合いました。

ねずみ師はそっと手を伸ばして白い小さな身体をすくい上げました。
てのひらに乗ったネズミはじっとしています。
冬の終わり頃でした。
まだ寒い明け方、ひき戸をあけて表にそっとネズミと置くと
「おかえり」(と言ったかどうか)と放しました。
ねずみ師はシュラフ(寝袋)へ戻りました。
小さなネズミの眼が、すこしもおびえていなかったことに、
ねずみ師はほっとして、また眠りにつきました。

それからもネズミは懲りることなく現れました。
(つづく)

野宿野郎! って

2008-03-12 20:52:49 | Weblog
↑道路の修復工事の帰り、うさ子はへばって荷台に
 乗せてもらった。

『野宿野郎」http://weblog.nojukuyaro.net/
野宿好きが嵩じて雑誌を作った発行人はまだ若い
女性のようです、行動力がありますのお。

想風亭を訪れる人は、特に野宿好きでもキャンプ好きでも
アウトドア愛好家でもありません。
どちらかというとインドア、書斎派で、うさ子に代表されるように、
物思い耽り派が野っぱらに立ち尽くすの図といった感じです。
あ、ねずみ師は違いますけど。
たまにオレってアウトドア~な人もいますが、この自然は
やや手ごわいようで初心に立ち返ります。
初林間学校の子供みたいで、大変なのが楽しいようです。

想風亭を訪れる地元民(今ではお友達ですけん)のオッサンから
「こりゃ、北の国から、だべ?」とか
「あやしいナントカ探検隊だな?んだな?」とか言われたものです。
ああそうか、そうなのかと気づかされて、確かに似ている。
でもあやしくはないので、きっぱりと否定し
「帰る場所を作っているのだ」と言うと
「ふふ」と鼻先で息を吹いてオッサンは引き上げます。
あれからずっと、仲良くしていただいていますが、
あゆや山女漁が解禁になると、獲物を届けてくれます。
ありがたや~。

過剰な物質とまっさらの自然。
この両極を行き来して、無常の意味を思います。
言葉を知るだけでなく、体感すると人は強くなる気がします。

知識は体と一体化するとがぜん有効になる。
大脳に収まっているだけでは使い道は意外とないわけで。
情報過剰というけれど、情報を使ってはいないわけで。
また使わなくてもいい情報が多いということもいえるわけで。
だから、ここでは聞きかじりの話はしなくていいし、
森のふくろうが、ほーほーほーと鳴きます。
あほーあほーあほーというのは、うさ子の幻聴。

そんなわけで森の暮らしで、実は身体が緑色になったような
眼球には緑のフィルターがかかっているような、東京にいても
森の色が離れないという時期がありました。

四季をめぐる景色は毎年同じということはない。
あまりにすばらしいのでつい撮ります。
拙い、おまけに画素数の小さな写真ですが少しづつ
過去写真もアップしようと編集中です(再現ではなく)

野宿はねずみ師が造りあげてきた庭で、
五月になったら再現しようかなあ。桜の木の下かなんかで。







カニ座かしらね

2008-03-11 09:32:58 | Weblog
掴んだら離さない。
それはカニだ。

※本日のテレビニュースより
 某町の裏金プール金、自民党世耕議員へ流れる、町長逮捕。 
 町長さんのおうちの裏の道路、裏金の一部で舗装し、近隣住民が喜ぶ。
 近隣数は3軒。裏金の残りは町長さんのおうちに保管してあったので、
 こういう事態(合併による監査で発覚)になってかえってよかったとの
 町長さんの弁。

こういう理屈、よく大人の、歳食った人たち使ってます。
うさ子(ウザコ、って濁らないでね)には素朴な疑問があります。
お金って、それって、国庫のもんじゃなかと? 一部はあたいの
親戚とか、ぐるぐる回ってあたいのお友達とか、誰かのお給料から
当然しごくのやりかたであらかじめ(天引きね)さっぴかれたお金
も入っておるとじゃなかと?(源泉徴収税は痛いよ~、日々沁みる。)
でも、ぐるぐるぐる、廻る。お金は廻る、天下のまわりもの。
でも裏とかプールとかどこかに留め置きされれば、そりゃ
「掴んだら離さない!」方式ではなかね。

ねずみ師に
「あの人たちはお金が欲しくて選挙に出たのでしょうか」とうさ子。
「金、欲、権力。それしか考えていないのさ。
 カニだよ。カニとおんなじ、穴ん中へ溜め込むんだよ」
「へ?」 うさ子、かに道楽の巨大看板を思い出す。

カニは砂のなかから獲物を捕え、えっさこらさと穴へ運んで
溜め込むそうである。
それをひとりでこっそり食べるのである。

人の顔をしているが、人ではない?
犬の顔をしているが、犬ではない?
はい、変な顔です。

追記:このカニは磯や浜辺にいる小さい小物で
   かに道楽で食されるような大物ではない。
   小物は自分の穴に入りきれないほど溜めて
   穴に自分が入れないと引越しますが、溜めた
   獲物のことは忘れてまたそこに溜め込む。
   (うさ子は書き損じを溜め込んでいる…どうする?)
   


待ちづかれ(再現シリーズ)

2008-03-10 00:30:38 | Weblog
待つの~あたし(オレ)待つの~
彼はとても疲れているのです。
待ち疲れ、です。


そして、これだよ~、まだかよ!


飯ごう担当はU君、そして豚汁はN君。
ここに来ればこんなめにあっちゃいます。
炊飯器あるしー、まだ雪残ってるのに、えー外?
という始まりだったわりには、意外に盛り上がりました。
オレだけが、疲れちまった、匂いだけかよ~、もう眠い・・
日が傾きはじめて、昼間暖かかった陽射しもなくなって
やっと出来上がりました。
こんな数年間を経て今があるけど、ちょっと懐かしの再現ビデオ風。


太宰の娘

2008-03-07 00:07:17 | 晴耕雨読
太田治子さんと津島祐子さん、ふたりとも太宰治の娘。
お二人ともおおよその紹介記事でそう書かれます。
これはすごいことだな、と思います。
日本人は血筋第一主義だな、ということでアホらしく
すごい。
最近テレビを見てうんざりした、すごい血筋は
竹下元首相の孫っていう、アレ。カナシ~、テレビ。

前置きが長くなりました(↑前置きでした)
「心映えの記」
太田治子さんの作品、とても好きな本。
こころがしっとりと、ちょうどいい湿度を取り戻す
そんな内容でした。
ちなみにうちの破滅派姪っ子にたまには読めと手渡すと
「ひさしぶりに本よんだ気ぃしたよ~」。
竹下孫によく似た言い方でお墨付きくれました。
きっちり返却を要求し、背表紙が目にふれるところに
置いてあります。

※ふるごとじゅく更新しました、よろしく。



ふきのとうを待って

2008-03-06 07:51:13 | 晴耕雨読
小川のそばにあるのは木製ベンチ。雷で打たれた赤松を
倒して二つに割って拵えたものです。あ、ねずみ師とその一派が、です。
私はな~んも、カレー皿とかをそこへ運ぶのみです。
今はすべてが雪にうもれていますが。

うららかな春は
きびしい冬の
  あとから来る
可愛い蕗のとうは
  霜の下で用意された
         作:宮本百合子

団子坂近くの仕事先へ所用で寄った折、来た方向へ
戻らず、坂道をぶらぶらと散歩。
途中で目に止まったのがこれ、行き過ぎたけど戻って
やっぱり撮りました。
文京区駒込、浄土宗榮松院の入口に掲げられて
いました。



『宮本百合子』
二十歳の頃、初めて自分で買った文学全集です。
湯浅芳子、野上弥生子なども、ここから知りました。
その後、貧乏生活の若き日、同じアパートにいた
某航空会社勤務の女友だちに借金の形に預けたまま
そのまま返ってこなかったような記憶が…
それはつまり、そう、そんなわけで、
よって私の本棚から消えて久しい。
情熱の人宮本(中条)百合子は、無知な青二才の視界を
照らし、行動する歓びを教えてくれた気がします。

思いがけない遭遇に、ちょっと嬉しかったのでパチリ。